#310 第二の故郷 ミャンマーの休日
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
私は東南アジアで10年近く仕事をしてきまして、コロナ前は出張ベースで年に半分は海外で過ごす日々を送っていました。
東南アジアでの仕事は、本当に毎日が文字通りの「激動」でした。どでかいスーツケースを持って東京のオフィスに出社して、仕事を終えたらそのまま羽田空港に向かいます。ラウンジで夕食を食べ、シャワーを浴びて機内で過ごしやすい服に着替え、深夜便の搭乗時間になるまでビール飲んだり、仕事したりして、翌朝4時半とかにバンコクに到着。
特に多くの時間を過ごしたミャンマーに向かう時には、バンコクから更にヤンゴンに乗り継ぎます。しかも、ヤンゴンでの朝一のお客さん打ち合わせなどがある日は、到着時間を少しでも早めるため、スワンナプーム国際空港からドンムアン空港までGrabタクシーを捕まえて移動してヤンゴン入り、みたいなことも普通にやってました。
スワンナプーム国際空港でパスポートコントロールの順番を待ちながらGrabを呼び、荷物をピックアップしてそのままタクシーに乗り込みドンムアン空港まで移動し、バンコク朝7時発のヤンゴン行き便に乗り込む、みたいな移動です。今は、当時の肌感覚を忘れてしまったので、到底無理だと思います笑
パスポートコントロールの順番待ち中に、どの辺の位置でGrabタクシーを呼べばベストタイミングでドライバーと合流できるかとか、一番タクシーが付けやすいEntranceの場所なども熟知していたので、無駄な動きは一切なく空港間の移動をしていました。
先日は、それだけ日常化していたミャンマーでの暮らしについて、少しだけご紹介させてもらったのですが、今日は、ミャンマーにいながら仕事がない時は、どういう過ごし方をしていたのか、ご紹介します。
前回の記事をご覧になられていない方は、ぜひこちらもお楽しみください!
ヤンゴンの休日
大体ミャンマーで仕事になる時は、2週間程度の出張となることが多く、2週間現地でガンガン仕事して、1週間休憩のために日本に帰って、また休憩が終わったら現地に渡航、みたいな生活でした。
だから、必然的に土日跨ぎとなるケースが多いのですが、平日の激動の反動もあり、比較的土日はゆっくり過ごすことができました。
ミャンマー最大都市のヤンゴンのホテルでは、会社とコーポレート契約の交渉をすることでランドリーバッグ3枚まで無料とか、宿泊価格も通常価格よりも抑えてもらっていました。これだけ長い期間、同じホテルに泊まっているので、ほとんどのホテル従業員とも顔見知りになり、チェックインするたびに「Yuya, welcome back〜」と笑顔で言ってくれる関係性でした。
日本とミャンマー間の荷物の持ち運びを最小化したいので、現地に置いておくようのスーツケースもあり、次にミャンマーに来る時まで預かっていてもらう、みたいこともしてました。
そんな半分自分の家みたいな気分になれるホテルで、土日は朝から朝食会場に行き、ホットチョコレートやコーヒーを飲みながら、2、3時間ひたすらYoutubeを見る、みたいな生活でした。笑
当時独身だったことと、平日が超ハードワークだったので、反動での土日午前中のこのゆったりとした時間が、自分にとってのご褒美というか、超幸せな時間でした。Youtubeに飽きたら本を読む、みたいな感じで、「せっかくミャンマーにいるのに!」と思われる方もいるかもですが、それくらい日常になってしまうと、人はどこでも新鮮さを忘れてしまうことを学んだ原体験です。笑
で、朝食会場がクローズして追い出されると、プロジェクトでチャーターしていた車のドライバーを呼び、近くのマッサージ屋などで更に2時間過ごしました。
いくつか常連のマッサージ屋があり、電話予約するとミャンマー人のスタッフが「あぁ、Yuyaさんですか〜今日はどうしますか?」と日本語で答えてくれました。今思うと、仕事以外にもこういう人間関係があり、人の愛嬌というか、暖かさを本当によく感じた国です。
で、朝からダラダラしてマッサージしてお腹が減ると、日本食レストランで昼食。当時、ミャンマーには多くの日本企業が進出していたので、日本食レストランも沢山ありました。また、日本人のニーズをうまく抑えていたのが、日本の漫画を置いてくれてるお店です。ここでもまた2時間くらいひたすら漫画読む、みたいな感じで、私がキングダムを読み始めたのは、ヤンゴンでよく行く日本食屋さんに置いてあったから、というのがきっかけです。
同じく仕事で来ている仲間がいる時には、合流して一緒に昼食に行き、昼から飲んだりしてワイワイすることも。今考えると、当時のプロジェクト仲間を本当に特別な存在だと感じられているのは、こうやって昼から一緒に食事したり飲んだりする時間が圧倒的に長かったからかもしれません。一緒に仕事する人と、仕事以外で食事して、人間対人間としての信頼関係を築けたのは、本当に幸せなことでした。
ネピドー缶詰事件
ヤンゴンから首都ネピドーには、国内線で1時間程度、車だと高速で5時間程度の場所にありますが、ヤンゴンからネピドーへの日帰り出張のつもりが、結果的に2週間帰って来れなくなったこともありました。
とある契約の最終合意をするために、ヤンゴンから朝ネピドーに向かいキーパーソンと交渉をしていたのですが、一部の契約が合意に至らず、合意できないとプロジェクト開始できないので、急遽ネピドーにもう一泊することになりました。
しかし、翌日も更に交渉はねじれていき、全くヤンゴンに帰る目処が立たず・・。そもそも日帰りのつもりだったので、着替えなどもヤンゴンに置きっぱなしでしたが、いよいよこれは、と覚悟を決めて、着替えや海パンをネピドーのスーパーで大量購入し、長期戦に臨みました。
朝イチでお客さんやステークホルダーと数時間詰めて打ち合わせをし、終わったら日本に状況をレポート(議事録送付)してテレカンで作戦会議をして・・というのを繰り返す毎日だったので、夕方手前くらいになるともうクタクタです。
だから、一緒にネピドーで詰めていた仲間と「せめて気分転換を」ということで毎日仕事が終わったらホテルのプールで泳いでいました。
ミャンマーなのにオススメなタイ料理店
ザワザワしているヤンゴンと比べて、本当に人も少なく広大な土地でゆっくりできるネピドーは個人的にはかなりオススメです。
ネピドーは、ヤンゴンと違い日本料理屋も少なく、というか飲食店自体がかなり少ないです。今は状況変わったかもですが、私がネピドーで一番オススメのお店はTai Kitchenです。(なぜThaiでないのかは不明 笑)
グリーンカレーやガパオライスなどの代表的なタイ料理もクセがなく、普通に美味しい。一番オススメはマンゴースムージーで、何杯でも飲めます。笑
東南アジアでの仕事でよかったのは、コロナ前の2010年代でさえ、場所を選ばずに仕事ができたこと。お客さん打ち合わせに行く前にTai Kitchenで資料作って準備して、終わったらまたTai Kitchenに戻ってきて仕事、みたいな感じでした。
当時独身だったからここまで身軽に動けた面はありますが、今になっても満員電車に乗って通勤したり、時間をベースにオフィスで働くのが苦手なのは、この時の原体験が染み付いているからかもしれません。
なかなかミャンマーに行かれる方、さらにはネピドーまで足を運ぶ方はいなさそうですが、もし万が一行く機会があれば、ぜひお立ち寄りください!