一人ひとりという言葉に惹かれる

一人ひとり。

インターンの業務で添削をしていると、この言葉によく遭遇する。個人的には、この言葉が好きだ。「一人ひとり」というと、なんだか自分を見てくれているような感覚がある。

それで、就職活動をしている中でも一人ひとりという言葉によく引っかかるし、目にする。なんでだろうと思っていたのだけど、その理由が少しわかった。

たぶん、大学受験のときの予備校のチューターさんが影響している。(チューターは、塾や予備校で担当生徒のメンターみたいな役割をする人)

僕は、今の大学に大学受験で入学している。高校は偏差値50より少し上くらいで、その中でも、僕は下から三分の一くらいの成績だった。そんな僕にとって、今の大学はちょっと背伸びをしないと届かない大学だった。

けれど、いける自信はあった。というのも、過去の経験があるからだと思う。

高校受験のときにも、内申点が悪いところから頑張ったし、中学の部活で努力した経験が、そういう自分の踏ん張る力を形作っているんだと思う。(詳しくは下の記事を読んで欲しい)

だから、きちんと努力をすれば自分なら出来るという気持ちがあった。とはいえ、勉強は出来ないから、予備校に通うことにした。

予備校は、映像授業で勉強を教えてくれるところで、そこにはあるルールというか、制度があった。それは、毎週チューターさんと生徒数人でグループ面談をしないといけない制度だ。

でも、僕はそれが嫌だった。というのも、勉強は一人でやるものだし、塾に余計な人間関係を持ち込みたくなかった。

学校には友達がいたし、塾で人間関係をつくって勉強以外に巻き込まれるのが嫌だった。だから、塾には友人と呼べる人はほとんど居なかった。とはいえ、同じ高校から通う人も少しはいて、ときどき会話をすることはあったのだけど。

そんな考えを持つ中で、毎週のグループ面談なんてされたら、強制的に人との関係性が出来てしまう。それが好きな人もきっといるだろうけど、僕は嫌だったから、面談には参加しないことを担当のチューターさんに伝えた。

すると、「じゃあ、俺と個人で面談をしよう」と、そのチューターさんは提案してくれた。

余計な人間関係を持ち込みたくないとは言え、チューターさんなら、勉強の相談ができるし、勉強にも支障が出ないと思い、個人での面談をお願いすることにした。

そこから、チューターさんと毎週、個人面談をするようになる。


面談が、週に一度の楽しみになった


チューターさんとの面談は、とても息抜きになった。いつも、張り詰めて勉強をしていた僕は、毎週のその時間が楽しみになった。

面談の中で、雑談もしたのだけど、その中で、チューターさんがなんでチューターになったのかを聞くことがあった。

「受験に失敗をして、自分の経験を活かしたいから、チュータ―になった」。

そう言われた。

僕は、なんてかっこいい理由なんだろうと思った。だって、自分が失敗したことを他の人のために活かすなんて、相当の利他的な想いだ。

ホントだったら、一番悔しいはずなのに、人のために自分の経験を活かそうとできる。とてもすてきだと思った。

そして、実際、いろんなアドバイスをくれた。

「9月から過去問を毎日少しずつ問いたほうが良いよ。おすすめは、問い毎に分けるとか、科目毎に分けてやるとか!」。

「日本史は、この参考書がおすすめ!書きながら出来るから、定着率上がるよ。それに一問一答を加えて俺はやってた。学校で友だちと問題を出しあってたわ」。

僕は、それを取り入れていった。学校で、友だちと休み時間に一問一答の問題を出し合って遊んだし、参考書は実際に買って、最後まで愛用した。記述式の試験もこれのおかげで高い成績だった。

それからも、アドバイスを貰ったり、相談を聞いてもらったりしながら面談を続けた。

でも、一番嬉しかったのは、成績が伸びると一緒に喜んでくれたことだ。


一緒に喜んでくれる人ほど、ステキな人は居ない


僕は、受験の山場と言われる夏が終わっても結果が出ずに、しょげていた。正直、自分なりに勉強に取り組んでいる自信があったから、結果が出ないのが辛かった。

それでも、勉強を続けていると、11月くらいに一気に成績が上がった。それこそ、見違えるくらいに。

成績表はいつもチューターさんから受け取るのだけど、その成績が伸びたときにめちゃめちゃ一緒に喜んでくれた。チューターさんの成績が伸びたんじゃないかと思うくらい喜んでいた。

結果が出たときの嬉しさと、一緒に喜んでくれる人がいることによる嬉しさと相まって、僕は心の底から、ふつふつと湧き上がる喜びを感じていた。

そうして、そこからも毎週の息抜きとして面談を続けて、最後は、受験を始めた当初に行きたいと思っていた大学に進学できた。

合格発表のときには、もう塾には行っていなかったから、電話越しの報告だったけど、喜んでくれた。人を喜ばすために、受験勉強をしていたわけではないのだけど、僕はチューターさんが喜んでくれることが嬉しかった。他人ごとを自分のことのように喜んでくれるのが、嬉しかった。

今でも思うのは、連絡先交換しとけばよかったなってこと。そこだけは、後悔している。

大学生になり、かっこいい人を多く見るにつれ、この人との記憶は薄れていたけれど、改めて、かっこいい大人の一人として、頭の中に強く刻まれていることを書いてみて実感する。

わがままで、グループ面談が嫌だといったのに、「個人面談でやろう」と言って、僕一人と向き合ってくれた。もちろん、「めんどくさいやつだな」と、思われたかもしれないけど、感謝しかない経験だ。

一人ひとり。

自分の意見を一つの考えとして認め、それに合わせた提案をし、僕を尊重してくれたこのチューターさんとの経験を僕は忘れない。

そして、そんな経験があるからこそ、一人ひとりという言葉に惹かれてしまう、今の僕がいる。

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