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ウェブ業界の当たり前な常識に思う

ウェブ業界に初めて足を踏み入れた時、そこにある「当たり前な常識」に、とある違和感を感じたのを覚えています。

人によっては「何を今さら」と思うことかもしれません。が、前回書いた「本を読む時間はないのに、ミームを見る時間はあるモヤり」からもう一歩思考を深めて、改めて「ウェブ業界ってそもそも…」というところにフォーカスします。

ウェブ業界は「これ」で儲けている

私が初めてウェブ業界に足を踏み入れたのは、社会人歴10年目を迎えた年でした。それまでテレビ局の、いわゆる「現場仕事」に向き合ってきた私にとって、ウェブ業界のあらゆる仕組みがキラキラと先鋭的に映り、今となっては瑣末なことにも感動を覚えたものです。

そんな私が違和感を感じたのは、「PV単価」という指標でした。

…何を今さら?という声が聞こえてきそうな超初歩的な話ですが、PVとはpage view(ページビュー)の略で、あるウェブサイトが閲覧された回数です。ここでは似たような概念である「インプレッション」や、動画コンテンツでいう「視聴回数(再生回数)」も含めて、ウェブ業界が追い求める数字の象徴として「PV」と表しています。

このPVに「単価」が付くということは、あなたが今このnoteの1ページを閲覧している「1ページビュー」にも、値段がつけられるということです。しかし大きな疑問に思うのは、このお金は誰が、何のために、誰に対して支払われるものなのか?ということです。

テレビ業界は「これ」で儲けている

唐突ですがテレビ局が何で儲けているかといえば、放送法に基づく、公共の電波を利用するための「電波料」です。

電波は希少な資源なので、国民共有の財産とされています。国が管理しており、利用したければ免許を取得しなければなりません。テレビ局はこの免許を持っている数少ないプレイヤーなので、「この電波を使いたければCM費を払ってください」というセールストークによって、広告主からお金をもらうビジネスモデル。わかりやすいですよね。

話が逸れましたが、ウェブ業界における「PV単価」というのは、一転して少々わかりづらい仕組みです。誰かがたまたまクリックしてあるページにアクセスした、というたったそれだけの「行動」が、どうしてお金を生み出すのでしょうか。

売り買いする人たちの原理

結論から先に言いますと、その理由は私たちの1ページビューという行動が、電波と同じく「有限(時間を割かれるから)であり、貴重な資源」だからです。またまた「何を今さら」という感じかもしれませんが、これは意外と見落とされている重要なポイントなのではないかと私は考えています。

なぜなら1ページビューという行動がお金を生むほど価値を持つようになったのは、ほんの最近のことだからです。2008年に初めてiPhoneが日本に上陸し、同じ年に旧Twitterやfacebookが一気に広がりましたが、この頃を境として、私たちの1ページビューという行動を「お金を出してでも欲しいもの」と考える企業がにわかに増えていきました。

売り買いする人たちの原理はこうです。
▶︎人々の注目を集めて自社のサービスや商品を広告したい「広告主」は、PVやインプレッションを指標としてリーチを広げ、どんな属性の人がどれくらい見た(ページビューした)のかを確認することで、効果測定を図ろうとする
▶︎そんな効果測定に足るだけの効果を出そうと、「広告会社」はPVやインプレッションの高いメディアやプラットフォームを探し求める
▶︎「プラットフォーム」「メディア」にとって、PVやインプレッションはお金を生み出してくれる打ち出の小槌のような存在であり、自分たちへの評価(企業価値)そのものと言っても過言ではない
※スタミケさんの記事を読むと、この構造がすんなり頭に入ってきます!

蚊帳の外にいる一般ユーザー

ではユーザー目線に立った時、この構造をどう捉えれば良いでしょうか。上で見たように、ユーザーの手の届かないところで、私たちの1ページビューは交渉の材料にされたり、場合によっては売り買いされたりしています。

私が最初に感じたウェブ業界の違和感の正体は、まさにこれでした。要するに、大きな構造の蚊帳の外にいるユーザーの1ページビューという行動に、マーケットが勝手に売値をつけ、売買している。たとえるなら、私たちの「時間」や「注目・関心」が、まるで豚肉のようにスーパーに陳列されているわけです。

豚がその事実をどう思うかはさておき、マーケットの原理で養殖や高付加価値化(ブランド豚など)の研究が進んでいます。それと同様に、私たちのページビューもいかにその数字を増やし(時には水増し)、その質(しっかり見ているかどうか=釘付けになっているかどうか)をいかに高めるか、という研究が日夜、進められています。私たちがその事実をどう思うかはさておき。

私たちのアテンションはスーパーに陳列された豚肉と同じ?(※画像はAI生成)

私たちのアテンションには価値がある

豚肉を例に挙げましたが、本来、豚肉にたとえられる私たちの1ページビュー=アテンションには、お金を生み出すほどの価値があります。その価値を生み出す、いわば「農家(生産者)」の役割を果たしているのは、私たち一人ひとりです。

一人ひとりのアテンションは、有限であり貴重な資源。だからこそ、私たちはその資源を対価として、インターネットの様々なサービスを無料で楽しめている側面もあります。

しかし、だからといって漫然と無料のネットサーフィンを楽しんでいるだけでは、上述のような大きな仕組みに組み込まれ、ただただアテンションを量産させられる家畜としての日々が続いてしまいます。猫ミームや陰謀論、過激な投稿など、見終わった後で「ああ、なんて無駄な時間を過ごしてしまったのか…」と後悔するようなことが、無意識のうちにたびたび起こってしまうのです。

価値がある、という事実を逆手にとる発想

このままでは「PV単価」という値札がつけられたアテンションが、知らぬ間に広告主や広告会社を喜ばせ、メディアやプラットフォームを潤わせるだけーー。

そこで私は考えました。そもそもお金を生み出すほどの価値があるのであれば、そのリターンを自分の手で受け取ることはできないのか?と。名付けて「アテンション換金術(仮)」。つまり、私たちが1ページビューのために費やす時間や注目・関心を貴重なお金と捉えて、投資・運用するという発想です。

まだまだ開発途中なのですが、次回のnoteで一部、その具体的な方法をお伝えしたいと思います。乞うご期待ください!

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