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原野を探しに

ちょっとした空き時間に本を読む。
自分の中に長らくブームのようなものがあって、種類はおおかた堅苦しいものに偏っていた。

自分の組んでるユニット・Anti-Trenchの相方である向坂くじらは、いつでも我が読書刺激を誘発させてくる。困ったもので、特にこれを読みなよとは言ってこない、やつはただ素敵な本屋に行くだけなのである。

するとどうだろう、気付いたらくじらより本を買っている、雑多に。
買すぎじゃない?とか言われてもお構いなしな自分は決まってこう答えてる、なんか気になるんだよね...、なんて適当なんだ。まあ...いいんじゃない?読んでみなよとくじらにいなされるのが常。

そうじゃない、俺はこんな話がしたくて書き始めたんじゃない。読む本の幅を広げようと思って、堅めな論理的なものばかり掘るのをやめようと考えたのは去年くらいからだった。
素敵な本屋には素敵な本がたくさんあって、夢のような話が集まっていて、時々なんというわけでもない気持ちにさせてくれる。

一個前に読んでいたのはリチャード・ブローティガンの「芝生の復讐」という短篇集だった。
ひとつひとつの話は語り口も違えばフィクションのようだが、遠い知らない国の話というわけでもない不思議な感覚にさせられた。
うしろの解説にもある通り、日本語訳の藤本和子さんの翻訳が美しすぎて違和感なく景色が見える。すごく衝撃を受けた。

そしてつい最近から星野道夫の「旅する木」を読み始めた。エッセイ集はあまり読んだことがなかった自分にとって、アラスカで暮らす星野道夫さんの言葉はだいぶ新鮮だった。
この本はくじらと素敵な本屋に行ったときにとてもいい本だからと一冊プレゼントしてくれたもので、何もかも新鮮に感じている。

ちょうどこの前、北海道に向かう飛行機の中で続きを読み始めたら、山岳画家の“坂本直行さんのこと”という章に辿り着いた。

坂本さんが敬愛していたアイヌ民族の古老・広尾又吉との交流と離別について書かれていた。彼の原野に対する深い愛や、星野さんが憧れた坂本、そして北海道について。

章を読み終えると飛行機の小さな窓枠から北海道の広大な端っこが見えてきて、原野ではない現代の姿に星野道夫の言葉が重なって見えて、心を躍らせた。

数年前、フォトグラファーの松千代と慰安旅行と称して旅した北の大地はあまりにも寛大で、何もかもを受け止めてくれた気がした。
西から東までを横断して、ただひたすらにまっすぐな道は季節の匂いを感じさせながら、多くのことをどうでも良くさせた。

この地に心の縁を感じて止まなかったのは当時の自分の小ささや大きな存在へ憧れの表れであるのかなと思っていた。

しかし、この本を読んでからあの窓枠から眺めた北海道に同じ感情を抱いたのだから、やはり北海道は性に合うのかもしれない。
そしてまた、ちっぽけな存在だってことを感じさせてくれるのもなんだか不思議と良い気分だった。

空港までの帰りの道中、大きな青空に包まれながら山や林が遠くを通り過ぎて行くのをじっと見つめては、またこの場所を訪れようと心に決めた。

そんな俺は今、帰宅して坂本の描いた六花亭の絵をじっくり眺めながら、包み紙を剥がすところであります。

(2024/04/29)

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