読書感想文「ハッカーと画家」
こんばんは。
ポール・グレアム著「ハッカーと画家」という本を読んだ。
せっかく本を読んだのだから、読んだ本の事について書こうと思っているのですが、あまりかしこまって書くと私の筆では本質をすくい損ねそう。
それではこの良い本に対して失礼なので、今回は読書感想文と言う形で、本の内容というよりは読んだ後に思ったことを素直に書き殴っていきたい。
このテキストを読んでくれている方が、この後に書く私が考えた事やそれに近しいジャンルに興味がある方であれば、機会があれば本書を手に取って欲しいなと思う。
本の基本情報
タイトル:
ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち
著者:ポール・グレアム
初版発行:2004年
補足として、この本の中で「ハッカー」という単語は「良質なプログラムを書く人」という意味で使われている。
作りたい
私は、何かを作ることが好きである。
恐らく自分が何かを作っているという感覚さえ得られるなら、どんなジャンルでも好きである。
幼少時代のガンプラ作成に始まり、木工・絵・版画・洋裁和裁・編み物・作曲・作詞・短歌・俳句・レゴブロック・料理・その他身の回りにある物の修繕等々。
飽き性な為、何かひとつの創作ジャンルに専念することが出来ず、その時々で面白そうな事に手を出してきた感じである。
作ることは楽しい。
普段何気なく見たり利用したりしている物をわざと手作りしてみたりすると、現在の形になった理由を実感出来たりする。
当たり前の中に、名前も知らない誰かの考えたことが埋まってたりするのである。
そんな発見が自分の中で組み合わさって、何やら新しいアイディアになり、それを実際に具現化するのも楽しい。
夜、お気に入りの音楽を聴きながら何かを作っていると、大げさでなく神様になった気分になる。
時間と金と体力が許すなら、ずっと作っていたいとすら思う。
「○○ハック」という言葉の意味
前段でも書いたが、この本のタイトルの「ハッカー」という言葉は、この本の中では「良質なプログラムを書く人」という意味で使われている。
世間一般では(少なくとも日本の、私の周辺では)ハッカーと言うと、コンピュータを用いてシステムに不正にアクセスする人の事だと思う。
なんで「良質なプログラムを書く人」と「コンピュータを用いてシステムに不正アクセスする人」が同じ呼び方なのだろう。
調べてみると、「hack」という言葉の元々の意味は
(木々などを)ぶった切る
という意味らしい。
一般に「hacker」と呼ばれる人たちの名前は、その人たちの手法(ハッキングと呼ばれる行為)に由来しているのでは無く、その人たちの目的(古い慣習などを自分たちの手で変える、断ち切る)に由来しているのである。
(ハッキング行為をしてる全ての人が、そんな大義を持っているのではないだろうが。)
その物事の本質を見出して、無駄を削いだり新たに構築し直したりすることを目的とした行為は、大なり小なり「hack」と呼べる性質を帯びている。
こう解釈すると、確かに「良質なプログラムを書く人」だってハッカーである。
何なら画家だって、その目的によってはハッカーなのである。
最近よく聞く「○○ハック」という言葉。
これも「乗っ取る、侵略する」という意味で捉えるよりは、「それまで当たり前にやってきた作業を見直す、改める」という意味が正しいんだろう。
私はハックという言葉を「乗っ取る」という意味で捉えていたので、目から鱗な感じになっている。(私だけなのかもしれない。)
今度「○○ハック」という言葉を見かけたら、どんなニュアンスで使われているか見極めてやろうと意気込んでいる。
富を生み出す
この本の中で、「富」という言葉の解釈について触れられている部分がある。
文章の引用をどこまでして良いのか良く知らないのでそのままの引用は避けるが、私が受け取った感じとしては、
「富とは誰かに分配される物ではなく、生み出すものである。
貨幣は富のやり取りを分かりやすくする為のものでしかなく、富そのものではない。
例えば貴方が暇な時間を使って故障した車を修理したなら、それは富を生み出したということである。貴方が鉄の塊を車に戻した分だけ、世界は豊かになったのである。
もし貴方が富を生み出せたなら、それは誰かを損させることなく、その富によって利益を得る事が出来る人を裕福にしたことになる。
」
みたいな事が書かれていた。
(度々ですが、原文の通りではなく、ニュアンスの再現ですので、あしからず)
もし何かを作ることで、それだけ世界を豊かに出来るなら、作ることが好きな私にとってこれ程嬉しい世界は無い。
ゲーム化する怖さ
もう一つ、この本を読んで考えた事がある。
昔見たアニメで、未来の都市が描かれていた。
そこでは、生活に必要な全ての事をコンピュータがやってくれる。
じゃあ人は何をしているかというと、コンピュータが行った計算結果を、手作業で再計算しているのである。
「なぜそんなことをするのか」と、都市の外から来た旅人が訪ねると、都市に住む人は「することがないからだ。だから絶対に間違いのない計算結果を、再計算することを仕事にしているんだ」と答えるのである。
それを見た時には「んなアホな」と思ったのだけど、今になって思うと、そんな事態は現代の至る所にある気がする。
そこに居ることさえ出来れば、特に何かを生み出さずとも生きられる世界。
人生ゲームの「あがり」みたいな世界である。
そんな所にいたら、きっと私は他に何かすることは無いか探し回ると思う。
もしかしたら、その場所に居続けられる可能性を少しでも上げるために、他人の足を引っ張って自分を優位な位置に持っていくかもしれない。
何かをしないでいる不安を、より集団の中心に向かうことで解消するかもしれない。
要は何かする事がある前提で、身体が作られているのである。
きっと何もしないと言う事は出来ない。
もしかしたら、これを業と言うのかもしれない。
だったら何か、自分と他人に役立つものを作りたい。
最後に
長々と書きました。
ここまで読んで頂けた方がいるなら、本当にありがとうございます。
そして、読み難い文章ですみません。
「ハッカーと画家」、ものづくりに興味がある人なら、きっと楽しめる本だと思います。
機会があれば、是非手に取ってみて下さい。
ではでは。