見出し画像

大過なく小過なくが難しい〜*落書きnote

 こんにちは。お立ち寄りいただきありがとうございます。
 フゥ〜っていうか、ハァ〜っていうか、長いこと生きてきて、おいらは最近、深〜いため息をもらすことがある。
 詩人で彫刻家の高村光太郎の墓碑銘「一生を棒にふりし男ここに眠る。彼は無価値に生きたり」のような心境だよ。
 もっともおいらは無名人、世間の片隅でひっそり生きる年寄りだから、高村先生のような高邁な哲学には及びもつかないけれど。

 偉そうなことを言っちゃったけど、実は平凡に生をまっとうするのが一番難しいかもしれない。
 おいらは現在、毎日が日曜日のサンデー毎日、独り暮らしのしがない年金生活者で、チマチマと正直に生きてきたのが取り柄といえば取り柄さ。
 これでも若い時は、波瀾万丈の生き方に憧れたものだ。だけど根が小心者でさ、ここ一番で勝負するという度胸はなかった。
 まあ、現役の頃は大過なく小過無く無難に生きてきたというわけだよ。

 で、最近は体が不自由になり車椅子生活で、隔日に病院で透析を受け、パソコンを閲覧し、テレビを見て、noteをみるという日課になっちゃった。
 その中で最近、有名人の訃報に時々接することで「これは他人事ではないぞ」と気になり始めている。
 冒頭「無価値に生きたり」という言葉を引いたのは、そういうことに関係する。「死ヌ」。とっても不安だ。まだその心構えができていない。もうちょっと待ってくれ。

 中世神聖ローマ帝国の神学者マルチン・ルターは「死は終末ではない、生涯の完成である」という言葉を遺している。
 異教徒のおいらはルターの生涯を知る機会が少ないが、本で「ルターは、人間を義(正しいもの)とするのは、すべて神の恵みであると悟り、そして心の平安を得た」(塔の体験)と紹介している。

 その点、頓知の一休(一休宗純=室町時代の高僧)はユニークだ。
 禅僧として悟りを開いた一休さんの辞世の言葉は「死にとうない」だった。死ぬ直前、弟子たちに「この先、大変な事態が起きたら読みなさい」と遺した手紙には「大丈夫。心配するな、何とかなる」とあったという。

 宗教的戒律、外見や見栄、権威・権力にとらわれず、大衆と共に生き、漢詩や書画も一級だった一休さん。

 ルターや一休さんに教えられたのは、少なくともおいらは、なかなか生涯を完成できず、みっともない終末を迎えるだろうという思いのなかで、大過なく小過なく平凡な人生を送ることこそ、実は一番難しい、と思ったことである。
 さて、あすは晴れるのか?曇るのか?

   *フォト ▽こも巻、初冬の訪れ

画像1

*俳句巡礼 淋しさにまた銅鑼うつや鹿火屋守(原 石鼎)

 さびしさにまたどらうつやかびやもり(はら せきてい)
 季語は「鹿火屋守」で秋。もう死語に近い季語。
 田畑をシカやイノシシなど獣害から守るため、火をたいてケモノがきらう臭いを燻(くすぶ)らせるのが鹿火、その番小屋が鹿火屋、小屋番が鹿火屋守。
 昔は番人が一晩中、大声をあげ板や銅鑼などを打ち鳴らし続けたという。
 【原石鼎】島根県出雲市出身、大正のはじめ虚子の「ホトトギス」に登場、「鹿火屋」主宰、医専中退後放浪の奥吉野で俳句に専念、1886年(明治19年)~1951年(昭和26年)
 【俳句手控え】俳句は「余情の短詩」といわれる。文章には起承転結があるが、俳句は起承転結のいずれかをスパッと略し、足らざる部分は余情で感じ取る。要するに言い切らないのだ。
 「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」は飯田蛇笏の有名句だが、忘れられたように鳴っている「くろがねの風鈴」に深まる季節を感じさせる。これが余情だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?