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#4日目: 一般論という名の束縛
一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。
俺は今とても個人的な話をしてるんだ。
一般論っていうものは、ひどく都合の良いものだと思う。
自分のあらゆる一面も一般化すれば、まるで他人事のように置き換えることができる。
自分の嫌いなところ、苦手な部分、弱さや狡さ。
そうした醜い部分を昇華させてしまえば苦しみを味わうことなく生きていけるから。
だけど、
そんなとき「本当の自分」はどこに行ってしまうのだろうか?
そんなことを考えさせられる本をご紹介します。
羊をめぐる冒険(著:村上春樹)
「あー、村上春樹ね」と思われる方もいるでしょう。
確かに文体には特徴がありまくりで、読みづらい・自分には適さないと感じる人も少なくないでしょう。
それでも、この作品には人類普遍の真理が隠れているように思うのだ。
一般化とは自分の思考を捨てることだ。
誰かの思考に依存し、自分を見失うことだ。
そして、自分自身から目を逸らすということだ。
唯生きているだけに他ならない。
それはちょうど、あらゆるものを呑みこむるつぼなんだ。気が遠くなるほど美しく、そしておぞましいくらいに邪悪なんだ。そこに体を埋めれば、全ては消える。意識も価値観も感情も苦痛も、みんな消える。
では、一般論の対極に位置するものは何か。
作中では明記されていないが、
それは「弱さ」であると考えられる。
人は何をもって自分の「弱さ」に気が付くのか。
それは文字通り人それぞれだ。
基準なんてものは存在せず、非常に曖昧なものだ。
そして、そんな弱さにどう人が向き合うのか。
それだって、個人に由来する。
俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや……
自分と向き合うためには、自分自身を見つめるほかない。
いくら他人と比べたところで、自分の何かが変容するわけではないのだから。
余談(というか独り言?)
まったく背景を知らないまま(もちろんアドベントの意味も知らず)ジョインして、指定された投稿日が当日だった夕です。たまたまリュックに羊をめぐる冒険が入っていたのですんなり書けたので助かった。
過去の自分に感謝。
だから、もしかしたら「ノルウェイの森」でこの投稿を書いていた場合もあったのかもしれない。とは言え、僕が思うに村上春樹らしく、かつ初期の作風が好きなので、この作品が適しているのだろう。
運命の巡り合わせにも感謝。
……来年あたりに美幌町に行こうっと。