色変わり水仙

   日記より27-1「色変わり水仙」           H夕闇
              令和五年四月八日(土曜日)曇り
 けさ椿(つばき)の蕾(つぼみ)が一つ解(ほど)け始めた。葉裏に隠れて、きのうまで僕は気が付かなかったが、それは丸々と太り、根元までピンクに色付いて、今にも一枚ずつ花びらが開きそうだった。それが本日は到頭(とうとう)(上の花弁から)一枚ずつ解(ほぐ)れ始め、もう七枚も薄い花弁が蕾の本体から離れて隙間(すきま)が出来ている。
 僕は昨日まで右側の枝ぶりにばかり気を取られていた。そちらの方に開花しそうな蕾が幾(いく)つか有って、いかにも期待の持てそうな膨(ふく)らみと色付きを感じさせたからだ。緑の若葉に隠れて密(ひそ)やかに慎(つつ)ましく咲こうとする者に対して目を配れなかった自身を、チョッと恥じる。
 この苗木は、初孫の二歳の誕生日に植えた物だ。植えたのは春雨の降る日で、雨ガッパを着た父親(僕の伜(せがれ))が日の射し込みそうな所を選んで植え、その植樹の様子を孫本人は(皆と一緒(いっしょ)に)自転車置き場の屋根の下から見守った。その記念樹を僕は(孫の名に因(ちな)んで)「めめ椿」と呼んでいる。
 最初の年は(苗で買った時から蕾が付いていたから、)沢山(たくさん)の花が咲いたが、その後は何年も咲かなかった。小さな細長い蕾が出来ても、それが余り膨らまず、又は膨らんでも、その侭(まま)で咲かずに終わってしまった。そんな期待外れの繰り返しで、幾年もガッカリして来た。
 そうこうする内、どこからか妻が聞き齧(かじ)って来て、周囲に追(お)い肥(ひ)を始めた。回りの土を掘って、そこに生(な)まごみを埋めるのである。ごみが微生物に依(よ)って土中で分解され、植え木の栄養となり、(それが功(こう)を奏(そう)したか、)去年おととしと、たわわに薄紅色(うすべにいろ)の花が咲くようになった。そして、今年も咲き始めたのである。

 きのうの雨風で、ゆすら梅(うめ)(桜桃(おうとう))は粗方(あらかた)が散り、葉桜(はざくら)ならぬ葉(は)梅(うめ)になった。階下の座敷きの窓際(まどぎわ)に小机(こづくえ)と座(ざ)椅子(いす)を据(す)えて勉強するのが僕は好きだが、本からチョイと目を上げた時に網膜の隅(すみ)へ飛び込んで来る満開の花の姿を、殊に気に入っている。働いていた頃(出勤前に)その様を目に止めて「日ねもす庭を眺(なが)め乍(なが)ら本を読んでみたい。」とツクヅク思ったものだ。(花盛りは週末まで待ってくれないのが常だ。)世間では停年退職後を「余生」などと貶(おとし)めて云(い)うようだが、とんでもない、今こそ本来の僕の生き方である。
 ゆすら梅は、世上「桜前線」が取(と)り沙汰(ざた)されると同じ頃合いに咲くが、この庭に一早く春を告げるのは、さざんかの根元の福寿草である。さざんかの紅(きれない)にウッスラと雪が積もった景色は、実に良いが、花の無い庭で落ち葉の中から(更には、雪を跨(もた)げて)黄色い花が顔を出すのも、チョッと堪(こた)えられない。
 この福寿草、その由(ゆ)来(らい)に就(つ)いては、諸説紛々(ふんぷん)。N氏が入院の折りN夫人が見舞いの際に持参した鉢植(はちう)えを、N氏他界後の片付けで我が家へ植え替えた、とする説。いや、病院に「根が付く」と言って縁起(えんぎ)が悪いから鉢植えなど持ち込む筈(はず)が無い、寧(むし)ろ切り花で飾った、とする説。その切り花を挿(さ)し木(き)したら、我が家の庭に根付いた、とする説。諸々(もろもろ)が飛び交って、未(いま)だ定まらない。いずれにしろ、N家に縁の有る花であろう。
 それを僕は数年前の草取りの時(不注意にも)根こそぎ毟(むし)り取ってしまったことが有る。幸いにも翌春それが叢(くさむら)から芽を出し、黄色い花が咲いた。以来(従前通りに)僕の庭に春の訪れを告げている。

 ゆすら梅が花ふぶきと散る頃、青いムスカリが庭中あちこちに頭を擡(もた)げる。本来ここは庭などと云(い)える程の代物(しろもの)でなく、只(ただ)の仔犬の遊び場だった。それが十年の生涯を終え、家内が一頃はやりのガーデニングに凝(こ)ったことが有る。ムスカリは(早春のクロッカスやクリスマス・ローズと共に)その名残りである。
 玄関先の水仙(すいせん)は、亡母が(永眠の数日前)実家の庭から移植した物だ。妻は鈴蘭(すずらん)水仙を気に入っているが、僕はラッパ水仙の方が良い。これに僕は今年ビックリ仰天(ぎょうてん)した。
 去年この水仙は白い花を付けた。その時に僕は若干(じゃっかん)の違和感を覚え乍らも、その異(い)な印象を追及しない侭に「母らしい花だ。」と見做(みな)して見過ごした。(後に省(かえり)みれば、その色に目を留めても良かった筈(はず)である。)母は生前に永らく看護婦として働き、その白衣姿に白いラッパ水仙は適(ふさ)わしいと思えたのである。(昨今の看護師は青やら赤やら病院に固有のユニフォームだが、嘗(かつ)ては髪に着けたナース・キャップから足元のサンダルまで白一色、それもワン・ピースのスカートで患者を世話して、白衣の天使と呼ばれたものだ。)
 今年そこに咲いたのは、黄色のラッパ水仙だった。やや反り返った六枚の花弁は淡い黄、その真ん中から突き出たラッパは一段と濃い黄色、二色(ふたいろ)の対照的な(コントラストの)彩(いろど)りが美しかった。初め僕は齟齬(そご)も無く「美しい」と受け入れたが、やや有って、不意に去年の白衣を想起した。そして今更に不思議を感じた。同じ球根から年に依(よ)って違った色の花が咲くものだろうか、色(いろ)替(が)わりの水仙は有っても、色の変わる水仙が有るのかと。
 数日そんな感想を抱きつつ毎朝(コーヒーを飲んだ後のカップから)水を与えていた。そして、気付いた。ラッパと花びらの濃淡二色が次第(しだい)に(目に留まらぬ位(くらい)の緩やかさで)薄れて行くこと、白衣の色合いが立ち現れて来ることに。黄色く咲いたラッパ水仙が一週間程で白く色変わりした。萼(がく)の付け根(即ちラッパの奥)に黄色味が残るものの、殆(ほとん)ど白。いや、真っ白と云わんよりは、寧(むし)ろ乳白色に近い。
 水仙には様々な種類が有るようで、色と形に種々取り合わせが有るらしいとは知っていたが、年々咲く花の色が入れ替わる所か、咲いた同じの花の色が一春の内に変化するとは、全く以(も)って驚いた。

 庭ばかりでなく、この季節は裏のS川も賑やかだ。先ず花(はな)筏(いかだ)が(流れるともなく)緩やかに流れて来る。川上から花の便りである。それに誘われて、先日は岸辺を上流へ辿(たど)って見た。春めいた日和(ひよ)りで、(それ所(どころ)か、初夏の陽気で、)汗ばむ程だ。土手に覆(おお)い被(かぶ)さり、更に道路や川筋まで食(は)み出(だ)すばかり枝垂(しだ)れ掛(か)かる大木が、満開に咲いている。その向こう(団地の崖(がけ)の下に)枯れ草の茫々(ぼうぼう)たる空き地が有る。以前ここに長女が勤めた保育所が有った。ここへ通った頃、娘は桜が綺麗(きれい)だったと毎日のように話した。
 その娘が嫁(とつ)ぎ、子を産んだ。先日は近所のZ川沿いへ花見に誘われ、夫婦で出掛(でか)けた。コロナ下で(夫も含め)誰も身内の居(い)ない病院で初産(ういざん)を果たし、里帰りの後、一箇月健診で「発育良好」の御墨付(おすみつ)きを貰(もら)った。さぞや安心したことだろうが、又これからも大変だ。母子孫の三代の女たちは、一時の骨休め。暖かな日差しの下でノンビリ堤を行くと、花見客が幾人(いくたり)かベビー・カーに集まって、孫娘は人気者になった。
 裏の小川では、時折り花筏を揺らす者が有る。未だ水面(みなも)から踊り上がる程には暴れないが、間も無く産卵期を迎える鯉(こい)が水中を泳ぎ回っている筈(はず)だ。時々軽鴨(かるがも)が番(つが)いで遊ぶ姿も見掛ける。
 茜(あかね)空(ぞら)の下、それらを眺め乍らコーヒーを喫するのが、毎朝の楽しみで有る。      (日記より)

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