クリスマス・コンサート
日記より28-15「クリスマス・コンサート」 H夕闇
十一月二十五日(月曜日)晴れ
近頃は随分(ずいぶん)と落葉してしまったが、買い物へ出ても、道中が楽しみだ。普段は川沿いの土手道を自転車で走り乍(なが)ら広い川景色や遠い山並みを眺(なが)めるのが好きなのだが、この季節には紅葉の並み木道を選ぶことが増える。
贔屓(ひいき)のスーパー・マーケットBへ通うにも、環状線は交通量が多く、排気ガスが漂っている気がして、敬延するのが常だが、いちょうの木々が延々と続き、黄一色の帯が長く続く。
それと並行する旧道の街路樹は、僕の知らない樹種だが、緑の葉が(枝先へ行くに従って)黄、オレンジ色、赤と変わる。一本の木の葉で色違いが生じる丈(だけ)でなく、隣り同士の木でも紅葉の進み具合いが違っていたりする。様々な色合いが混然モザイク状になって、それも良い。
多様性の美と云(い)えようか。日本語の文章が、ひらがなの地に漢字やカタカナが(時にアルファベットも)適度に散らばっているのは、見目に良い。何事に依(よ)らず、多種多彩、諸々(もろもろ)の要素の入り混った豊かな彩(いろど)りには(例えば七色の虹など)目を奪われる。一方、モノ・トーンの美しさ、と云う美意識も有る。白一色の雪景色などは、その最たる物だろう。白の濃淡だけが世界を領する統一感は、小気味が良い。墨絵(すみえ)は、色彩を脱した銀世界の静寂に魅了された人たちの作品だ。
日に依って、気分に依って、だから僕は道筋を選ぶ。又、行きと帰りでルートを替えれば、どちらも味わえる。
もみじ狩りと称して紅葉の名所旧跡へ繰(く)り出(だ)す光景がニュースで流れるが、僕は余り感心しない。みやげ物を物色し、飲み喰(く)いの行列に忙殺されて、自然美なんか碌(ろく)に目に入らない。それ位(くらい)なら、日常生活で買い物の道すがら(いつも見(み)慣(な)れて色褪(あ)せた風物の中に)見逃(みのが)して来たキラめきを再発見する喜びを、寧(むし)ろ僕は尊重したい。それは普段着の好もしさかも知(し)れない。例えば、贅(ぜい)を尽くしたイブニング・ドレスの社交サロンに、小じゃれた木綿(もめん)の着物姿が現れたら、却(かえ)って乙(おつ)ではないか。柳宗悦の民芸運動も、普段使いの器(うつわ)に目と心を注ぐ精神が、共感を呼んだのだろう。去年(惜しいことに)他界したシナリオ・ライター山田太一も、同様の視点を目指(めざ)したようだ。
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一昔前に五年ばかり同居した亡父とは、A駅から東の方(T団地方面)へ上る坂道を、時々眺(なが)めた。
駅の反対側に大きな森林公園が有り、そこへ休日の散歩に行ったのだ。父は草木が好きだったらしく、停年退職後に植え木職人まがいの仕事を始めた。我が家へ来たのは、脚立(きゃたつ)から落ちたりして、その片手間(かたてま)仕事も続かなくなってからである。御隠居(ごいんきょ)の健康の為(ため)に、僕は散策の案内を買って出た。新緑の季節など特に綺麗(きれい)だったが、僕は花粉マスク。
一頻(ひとしき)り森の小径を歩いて、昼食には駅の向かい側のスーパーMで弁当を買った。それを店内で食べる広場(今日に云うイート・イン・スペース)も有ったが、僕らは電子レンジで温めるのみで、又それを森へ持って行き、東屋(あずまや)で開いた。林間の空気を吸って森の気配を感じつつ食べるのが、父は好きだった。
そのスーパーの前の並み木道も、秋には良かった。ここの街路樹の種類も僕は知らなかったが、とにかく赤や黄に色付いて、そこへ日が当たると美しかった。一度その坂道を上って、丘の上のレストランで昼を食べたことが有る。むくつけき親子にしては、随分とハイ・カラな御食事を果たしたものである。
昨日そのイタリアン・レストランTへ二度目に入った。長女とコンサートへ行く前に腹(はら)拵(ごしら)えしたのである。十数年ぶりの店内は、余り変わっていない気がした。常連らしい女性客で、ほぼ満席だった。住宅街を見通せる窓辺に僕らは席を取り、日替わりスパゲッティを注文。
その後、コーヒーお代わり自由、とは嬉しかった。馴染(なじ)みの道を往復するのも懐かしかった。枯れ葉の並み木が美しいのも良かった。小春日和(こはるびよ)りに落ち葉を娘と一緒(いっしょ)にカソコソ踏むのも楽しかった。
坂の途中にRTと云(い)う名の洋菓子店が有り、亡父と覗(のぞ)いたことを思い出した。だが、そこは高級な有名店らしく、お値段も高級だったので、這(ほ)う這(ほ)うの体(てい)で逃げ出したことも思い出した。
今回、けれども娘は強気であった。何せ財布(さいふ)は父親もち、母親からも(事前に電話で)認知を受けているのである。あれこれショー・ケイスを物色した上で、長女は生(な)まパイに決断。二つ注文したが、僕は胃もたれ胸焼けしそうなので、一口だけにして、後は娘に譲った。
僕は「孫には甘い。」と言われる。高級ケーキなんか子供たちに食べさせなかったものだ。この子にも、チョコレート・パフェを一度だけだった。(一度だけだから、よくよく娘は覚えていた。)北S地区から五キロ余りの道程を歩いた褒美(ほうび)だった。
あれから時が流れ、少女も一児の母となった。偶(たま)に子を夫に任せての気散(きさん)じだろうに、おやじの相手を選んで呉(く)れたらしい。家計を預かれば、滅多(めった)に贅沢(ぜいたく)も出来(でき)まいから、おやじも奮発したのである。
本当は、元々コンサートへは母親と行く予定だったのが、昨夕は資格試験の帰りに弟が実家で夕飯を食べることになり、それで急遽(きゅうきょ)その代役が父親に回って来た、と云った所(ところ)が実態らしい。
保育士の職業柄、手を洗うことが多いので、その手に痛々しい罅(ひび)割れが多かった。
きのうの日程の順序としては、昼に駅で待ち合わせ、坂を上ってスパゲッティ、坂の下のコンサート・ホールまで戻って入場整理券を入手、又それから坂を上ってパイを食べて、又もや坂を下った。都合(つごう)、気に入りの並み木道を二往復した訳である。
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(日記より、続く)
いつもの公園の遣(や)り水(みず)にて
瀬を速み流るる声の爽(さ)やけさよ もみぢ葉ちるは日の射す枝か 夕闇