行動制限の無いGW1

   日記より26-3「行動制限の無いGW」1       H夕闇
                 五月九日(月曜日)曇り
 昨夜は、温かいフカフカふとんで深く眠れた。文化的な生活は有り難い。
 前の晩は、むすこと孫娘Mに誘われ、自動車に乗ってO村のUダム湖でキャンプ。G・W(ゴールデンウイーク)も終盤で、沿道の田(た)ん圃(ぼ)では代掻(しろか)きや田植えが進み、水鏡に新緑の七ツ森が映った。この前やっと花粉籠(ごも)りが明けてホッとしていたら、季節は春から一気に進み、もう初夏の風景である。炬燵(こたつ)や石油ストーブを片付けたばかりなのに。
   孫キャンプ田ん圃たんぼに山みどり H夕闇
 葉桜の下にテントを張り、バドミントン、木登り、蔦(つた)のブランコ。それから湖畔に安楽な椅子を据(す)えて、早々に缶(かん)ビールと文庫本。鶯(うぐいす)の声を耳にし乍(なが)ら、ハプスブルク家の歴史を辿(たど)る。
 日の傾く頃、バーバに買って貰(もら)った包丁(ほうちょう)で、孫娘がカレー用の野菜を切った。
 一昔前は土に穴を掘り、石で竃(かまど)を組んで、火を焚(た)いたものだが、近頃は直か火が禁止とか。伜(せがれ)は不燃性マットを敷いた上で目新しいキャンプ用品を駆使し、手際よく火を起こした。嘗(かつ)て僕が家族を引き連れてテントを担いだ頃には無かった道具だから、一切(いっさい)を任せた。姉と妹も連れて行ったが、一人だけ受け継いだようだ。その頃は未だアウト・ドアなんて言葉も無かった。
 見ていると、例えば、黒板で使う金属製の指示棒みたいに伸縮する火吹き棒は、今や民芸資料館などに展示される火吹き竹と同様に使う。祖母も土間の竃で竹を吹いて、薪(たきぎ)を焚き付けたものだ。白い煙りが目に沁(し)みたっけ。うちわで扇(あお)ぐよりも、一点に集中するから、確かに効率が良い。頑張(がんば)って吹いている内に、ボッと小気味の良い音を立てて点火する。
 それを散々(さんざん)いじって叱(しか)られたMは、スマホのゲームも時間を制限されて、退屈がった。仕方が無いから、三日月より太い半月(はんげつ)前の朧(おぼろ)月(づき)を僕と見上げて、昔なら七日と判定。そんな太陰暦の知識を小学校で教わったのかと問うと、自(みずか)らスマホで調べたとのこと。(帰宅後に日めくりカレンダーを確かめると、旧暦四月七日だった。)
 ライス・カレーの夕飯が済み、夜の帳(とばり)が下りると、乙名(おとな)もウイスキーを飲む以外することが無い。はるか対岸のキャンパーか、しわぶく声など時に聞こえて、水辺(みずべ)一帯しじまが深い。さざ波は微(かす)かに音を立て、遠いキャンプ・ファイアが揺れる。それが湖面に映って、宵闇(よいやみ)の濃さを際(きわ)立てる。日常生活の雑念から放たれ、時が穏やかに移ろうのが感じられる。
 だが、山の湖畔の詩情なんて、子供には関心が無い。宵(よい)の無聊(ぶりょう)を託(かこ)つ、なんて芸当は出来ないから、退屈凌(しの)ぎに僕が孫を夜の散歩へ誘ってみた。よその家族連れや若者たちの団欒(だんらん)をチョイと拝見、といった趣向である。小規模なダムだが、ダム湖を一周するには夜が更けるだろうから、此岸のテント・サイトが尽きる当たりまで、と目算した。
 Mが角灯(ランタン)を翳(かざ)し、車一台分だけ舗装した道路を行く内は良かったが、よその子が何をして遊ぶのか、より間近に拝見したくなったらしい。道から外れて草地のサイトへ入って行き、テントを経(へ)巡(めぐ)った。        この子は(幼い頃から)興味を持つと暴走する質(たち)で、止めても止まらない。鬼ごっこが大好きで、ジージ&バーバは掴(つか)まえられなかった。
 と、先を行く孫の影がヒョイと坂を下ったと思いきや、僕の足元の感触がグニャッと変質した。泥へ踏み込んだ、と直感した僕は、体ごとM諸共(もろとも)に対岸へ倒れ込んだ。更に、急いで(腹這(はらば)いの侭(まま))小さな尻を押し上げて、法面(のりめん)を登らせた。然(しか)し、既に遅く、Mの靴(くつ)は両足とも(靴下まで)ドロドロ。はだしでテントまで戻るしか無かった。
 それから共同トイレの洗面所で足を洗わせた。自家用車には(幸いにして)、着替えやサンダルが有ったが、思い返せば、これが一夜の不運の始まりだった。(翌日その辺を帰路の車窓から目で追うと、草の中に小川が流れていたのだった。)
 伜が焚き火を消して、寝袋に入る。が、間も無くブーブーと異音が聞こえた。裏山の木々が風に鳴るのと違って、人工の機械音は耳に付いた。この侭(まま)で夜通し鳴り続けられては溜(た)まらぬ。
 隣りのテントからも出て来て、山菜を採(と)りに入った人が森でスマホを無くし、それが鳴るのだろう、と当て推量の噂(うわさ)。むすこも何度か暗い山へ分け入って探したが、結局は見付からない。照明用に携(たずさ)えたスマホは意外に明かるかったが、何せ斜面が急だ。第一、熊(くま)が出没するとの注意書きを見掛けるから、孫を置いて行かれた僕は、気が気ではない。発信音は断続して随分(ずいぶん)と永く続いたが、それを気にして居(い)られない程の災難が軈(やが)て訪れた。
 諦(あきら)めて寝床に潜(もぐ)ると、一番先に寝付いたのは孫娘だった。その寝顔を僕は暫(しばら)く見ている。チューリップの蕾(つぼみ)みたいな口元が、近頃は一人前に文句を言うようになった。その分、人の世の悲哀も多分そろそろ感じるだろう。家や学校で悩みは無いか。将来どう育つのだろう。幸福な人生であって欲(ほ)しい。そんな事を思っている内に、伜の鼾(いびき)も漸(ようや)く聞こえ始めた。
 Mの顔をズーッと見守ってみたい、というが一頃の僕の望みだった。幼時この子は表情が豊かで、正直き率直にクルクル変わる。それが僕には興味深く、いつまで眺(なが)めても飽きない。それで、よくよく観察してみたかったのだ。所(ところ)が、惜しむらくは、本人がチッとも落ち着いていない。仕方が無いから(善後策として)せめて眠ったらジッとするだろうと思うが、本人は「お昼寝、嫌い!」と厳しく拒(こば)む。そうして元気に走り回る。あれこれ手を出して、動き回る。結局それを追い駆ける側の乙名(おとな)たちが先に疲れ果て、ハーと溜め息を吐く仕儀(しぎ)となる。
(日記より、続く)

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