切り花

     日記より26-12「切り花」         H夕闇
               九月十五日(木曜日)早朝
 きのうの朝は大変に苦しい思いをした。コスモスを切って呉(く)れ、と所望(しょもう)されたのである。赤、白、ピンク、色々取り混ぜて欲(ほ)しいと言う。面と向かって(全く悪びれずに)要望されて、僕は何と答えたら良いものやら、言葉に窮した。目を白黒させて暫(しば)し絶句した。それから、何本ほしいのか、ノロノロ問うた。顧(かえり)みれば、己(おのれ)を完全に失った形で、何とも不甲斐(ふがい)ない。
 昨日も(いつものように)コーヒー・カップを携(たずさ)えて土手のベンチから夜明けの空を眺(なが)めたのである。きのうの朝焼けは、金色に輝く雲の狭間(はざま)から、オレンジ色がかった空が覗(のぞ)き、少し神々(こうごう)しかった。蚊(か)に刺されるのを恐れて、近頃はコーヒーを半(なか)ばにする。土手を下り、残りを啜(すす)り乍(なが)ら、道沿いの花畑を見て回ると、そこへ犬を連れたO夫人が通り掛(か)かったのである。
 妻から厳しく言い付かったことを思い出して、僕は先日の礼を述べた。O家ではプランターで野菜を栽培しているそうで、先日は我が家の玄関ノブに(ビニール袋に入れて)きゅうりが掛(か)けて有った。こういうことをするのはO夫人以外には無い。贔屓(ひいき)のベーカリーが有るらしく、そこで買ったくるみパンをお裾分(すそわ)けに与(あずか)ることも有る。くるみ好きな家内を近所の穴場(あなば)へ案内して一緒(いっしょ)に拾いに行ったことも有るようだ。先日はくるみときゅうりが両方とも玄関に届いていた。(気さくな近所付き合いが出来(でき)て、有り難い。)
 きのうの朝は、その届け物の礼を述べたのである。そして、不意に(その返礼という訳でもあるまいが、)花を所望されたのである。それが僕に取(と)って苦痛に直結することは、人々の想像に余る所(ところ)であろう。
 これが女房子供なら、僕の考え方を充分に理解とまでは行かないまでも、面倒(めんどう)な事柄だから近付くまい、とて敬遠する所。だが、よそ様の場合い、そうは行かない。一から事情説明する必要が有る。だが然(しか)し、その説明が実に困難なのである。いや、解説の以前に、僕自身、十分に考えが纏(まと)まらないから、困るのである。

 このコスモスの花畑では、他にも苦(にが)い思い出が有る。
 少女が花を摘(つ)み取っているのを、偶然に見(み)掛(か)けたのだ。それも、花の首だけ、幾(いく)つも幾つも捥(も)ぎ取っている。あれでは、花瓶(かびん)に挿(さ)して暫(しば)らく愛(め)でる、なんてことも出来まい。切り花は、水を与えられなければ、即刻にも萎(しお)れるに違い無い。手に握っている間だけ眺めて、いずれ飽(あ)きら、ポイと無造作(むぞうさ)に捨てる。そんな態度が初めから伺(うかが)われるような扱い方だ。
 無邪気(むじゃき)な処女の残酷さ、という概念を以前どこかで読んだことが有るが、もう中学生と見受けられる程の年(とし)恰好(かっこう)だ。然(しか)も、傍(かたわ)らには母親らしい中年の女性が寄り添(そ)って、頬笑(ほほえ)ましく見ている。
 道路に沿って花々が咲き揃(そろ)っていたら、誰かが丹精(たんせい)を込めて育てている、とは想像できないだろうか。確かに、この土手の一帯は当該人物の所有地ではない。だから、(法律の観点からは、)花壇として占有する権利は誰にも無い筈(はず)だ。けれども、誰の所有にも属さない空間が、草の茫々(ぼうぼう)たる荒れ地の侭(まま)であるよりは、花の咲く花壇に作り変えられたら、余程ましだろう。疲れて帰るサラリー・マン、学校で嫌なことが有った子も、帰路に少しばかり目を慰(なぐさ)められて帰宅するのではあるまいか、、、、、など当該人物は夢想して、暑い盛りも草取りに励(はげ)んだ。日照りの頃には、水も撒(ま)いた。嵐に薙(な)ぎ倒されると、(この夏は余り無いが、)杭(くい)を打ち、紐(ひも)を張って、支えなければ成らない。
 誰か一人が摘み取って持ち帰るのでなく、その侭に咲かせておいて道すがら皆で眺めたら、公共の福祉に当たるのではあるまいか。環境の美化は、公助良俗とも云(い)えるのではないか。
 無論、そこには(公(おおやけ)の観点ばかりでなく)私的な思い入れも有った。二十年程も前の父の日、当時は未だ一人暮らしの父を招き、親子三代で花畑を切り拓(ひら)いたのだ。川沿いだから、石が多く、耕(たがや)すに一苦労した。老父も鍬(くわ)を振るい、孫たちを指揮して種を植えさせた。それが育ち、花を開き、軈(やが)て自然に種が零(こぼ)れて、翌春も芽を出した。
 コスモスは草の一種で、強く、放っておいても自生する。だが、より強い雑草に負けぬよう、春の芽の内に雑草を毟(むし)ってやると、育ちも良いし、見栄(みば)えもする。父が同居し、後に逝去。子供たちも巣立ち、僕が定年退職してからは、追い追いに一人で花壇を拡げた。
 自分個人の土地ではない、と自戒するから、強風で倒れた花(その侭では間も無く枯れる花)を取って来て家内に生けた場合い以外、生きている花を切り取ることは自(みずか)らに禁じている。亡父の墓参りの際に手向(たむ)けたことも有るが、やはり倒れて余命が幾(いく)ばくも無い花に限っての話しである。
 子供たちに対しても、生きているものを摘むことはさせなかった。特に禁止しなくても、そういう男だと父親を察したようだった。
 未だ幼かった頃、原っぱに咲いた花を子供が摘んで、それを僕が叱(しか)ったことが有る。野生の花は、放っておいてやれば、永く生きられるが、取ってしまえば、(花瓶で水を与えても、)そう永くは持(も)たない。だから、野の花は、自然に寿命が来るまで(手を出さずに)ソッと見届けてやるのが良い。そう僕は子に教えた。
 そういう訳で、僕は切り花という物が嫌いだ。近く絶えつつ有る命を、美しいとは余り感じない。寧(むし)ろ気の毒に思う。是非とも身近に置きたいのなら、(金銭ではなく)汗水を観賞の代償として花壇を作るべきであろう。それが叶(かな)わぬなら、せめて植え木鉢(ばち)かプランターで生かす配慮を払うのが、生き物に対する礼儀ではあるまいか。生命を尊重する思想は古くから有るが、只の言葉や概念を越えて、具体的な形に表す工夫(くふう)をしたら、そういう風(ふう)にならないだろうか。
 従って、狩り(ハンティング)や釣り(フィッシング)を趣味とする人の気が、僕には知れない。獲物を糧(かて)として有(あ)り難(がた)く頂(いただ)くのならば格別、今時(いまどき)は生きた物を面白(おもしろ)半分いたぶり、苛(さいな)み、傷付け、果ては殺す戯れ(ゲーム)に過ぎない。単に生き物を弄(もてあそ)ぶ行いは、許し難(がた)い。昨今ロシヤ軍の撤退した跡地からの報道に憤(いきどお)る人は、破壊と殺戮(さつりく)と拷問(ごうもん)の残虐行為から、僕ら人類一般の日常的な振る舞いも見直して欲(ほ)しい。これが、捨て犬を育て野に花を培(つちか)った僕の考え方である。よその人には、中々(なかなか)説明の難しい見方である。
 いや、よそ様の前に、先ず我が家の子供たちの母親が反対した。N先生夫妻に相談しても、妻に同感だった。綺麗(きれい)な花に感動して思わず摘み取った子供の素直な感性を、乙名(おとな)が摘み取っては成らない、との意見だった。この点、僕は未(いま)だに納得(なっとく)の行く結論が得られないで居(い)る。もう半世紀余りも生きているのに。

 乙名のO夫人だって、コスモスたちを傍(かたわ)らに愛(め)でたいから、僕へ要望したのだろう。色を取り取りに、と希望したのが、その証拠だ。それも、僕が丹精する様子を見ているから、(勝手に取らずに、)僕へ所望したのだろう。花に関する誠実の有り方が違うだけなのではないか。形が違った相手には、どう考え方を伝えたら良いのだろうか。いや、そもそも何も言わずに希望に沿うのが良いのか。。。。。
 きのう僕は窮して言葉にならなかった。散歩の帰りに貰(もら)って行く、と言うので、それまでに玄関の前に置いておく、と辛(かろ)うじて答えた。そして、草の中へ分け入り、倒れた株を探した。だが、幸か不幸か、今年は台風の直撃が(今の所)無く、倒れている花が少ない。有るにしても、既に枯れ、萎(しお)れて、見(み)目(め)に麗(うるわ)しくない。それでも多少は見られそうな所を選んで、内心で花に謝り乍ら切って、玄関前に(じょうろの水に挿(さ)して)用意しておいた。余りパッとした見(み)栄(ば)えでなくて、申し訳が無い次第(しだい)だが、意の有る所を御賢察を願えれば、幸甚(こうじん)である。果たして、それは望み得ないだろうか。
 O夫人は看護師、人の生き死にに携(たずさわ)る仕事だ。それに、サッパリした人柄だから、きっと理解して頂(いただ)けるのではないか、と思うのだが、これは我(わ)が侭(まま)な我田引水というものだろうか。      (日記より)

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