コロナ下の出産風景2

   日記より26-22「コロナ下の出産風景2」      H夕闇
             二月十日(金曜日)曇り+大雪警報
 きのうの昼下がり、(ここまで僕が日記を書いていた頃、)病室の娘がスマホから開設したE(インター)ネット上の連絡網で、妻は娘の嫁(とつ)ぎ先T家の両親と会話を交わしていた。以下、その概要の記録。
 妻M(娘から送られて来た写真を見て)「点滴してるのかな」 
娘K「そう」
T家の舅(しゅうと)N氏「何か臨場感が出て来ました」
娘は「今からです」と言い残して、手術室へ。看護師に付き添われて歩いて入った、とは後に聞いた。それから半身麻酔を受けたと言う。
T家の姑(しゅうとめ)Sさん「Kちゃん、がんばって」
 妻が臨戦態勢を宣言。僕も日記を中断して、妻のスマホからT・H両家のネット井戸(いど)端(ばた)会議(かいぎ)へ参加した。
夕闇「前略 ドラマや映画なら、こんな時は分娩室の廊下に新米(しんまい)とうさんやジージ&バーバたちが集まって、そわそわウロウロしている場面。所(ところ)が今は皆それぞれに病院や自宅や職場へ散り散りバラバラ。それでも各所で皆スマホの同じ画面を覗(のぞ)き込んでいる。コロナ下の出産風景、とでも云(い)った所(ところ)でしょうか。草々」
 第一報がわりに、母と子の枕(まくら)を並べた写真が一斉(いっせい)に配信されたのは、夕方六時前だった。
妻「おめでとう」
姑「わあ、かわいい」
舅「余りにも可愛すぎて涙が出そう」 
姑「Kちゃん、お疲れ様でした。ありがとう!」
妻「初孫、おめでとうございます」
夕闇「前略 僕は孫が男か女か未だ知らないのです。産まれるまで言わないでくれ、と娘夫婦に予(あらかじ)め頼んでおいたのです。お楽しみは最後に取って置きたかったからです。でも、もう知りたいのですが、妻も誰も教えてくれません。知らせを待っています。草々」
娘から「やっぱり女の子だった」と知らされたのは、その後だった。
舅「女の子で良かったです」
 婿(むこ)殿(どの)は男ばかりの二人兄弟。T家に取(と)っては初孫で、然(しか)も二代を跨(また)いで初めて得た女児である。T夫妻は必ずやメロメロになるに違い無い。

 僕は子供の頃からライス・カレーが好きで、殊(こと)更(さら)お肉が好物。脂身の付いた豚肉を皿の隅(すみ)に取り除(の)けて置いて、最後にジックリ味わった。又、小学校の夏休みには、最初の数日間で(歯を喰(く)い縛(しば)って)宿題の山を制覇し、後は伸び伸びと解放感を満喫した。
 省(かえり)みれば、お楽しみは後に取って置いて、当面は只ひたすら下積みに耐えるのが、少年の頃からモットーだった。先送りした夢を胸に抱いて、(今は苦しくとも、)常に最大限の尽力をする。少しの油断も自(みずか)ら許さない。途中で諦(あきら)める気楽さよりも、後々にジワジワ湧(わ)いて来る自責の念が、遥(はる)かに甚(はなは)だしいからだ。そのことを僕は(経験上)知っていた。だから、厭(い)やでも(泣き乍(なが)らでも)最善(ベスト)を尽くし、頑張(がんば)ってしまう。
 但し、努力は、意志だけの問題ではない。頑張る技術的な能力が必要なのだ。自己(セルフ)制御(コントロール)や心の構え方など経験知も身に付けなければ、頑張り続けることは出来ない。それらの鍛錬(たんれん)を積んで初めて、人は努力できる。そういった認識が今日の若者たちに不足なのを、僕は永年の教員生活で知った。人を愛するには(相手の美貌や人柄(ひとがら)などより)こちらに人を愛せる丈(だけ)の人格的な成長が不可欠だ。(Eフロム著「愛するということ」)同様に、人は誰でも努力しようと意志さえすれば出来るのではなく、相応な技術と能力が必要なのだ。
 子供の頃からの禁欲的(ストイック)な生き方は、(半(なか)ば無意識だったが、)僕を育てた祖母の人生観だったようだ。点滴が巌(いわお)も通す、と云(い)った概念や克己(こっき)心(しん)を幼い僕に教えたのは、確かに祖母だった。明治の女だった。
 或(ある)いは、そんな生(き)まじめさに、僕の娘Kも似たかも知れない。そして又、その娘は、、、?
 だが、そうやって停年まで働いて、退職後の余暇(云(い)わば、人生の御褒美(ごほうび))に漸(ようや)く辿(たど)り着いた今日、一抹(いちまつ)の疑問符が生じた。物事には時が有る、喜びにも賞味期限が付くのではないかと。恵まれたチャンスを元の侭(まま)でソックリ温存しようとしても、その味わいや色の具合い等は(知らぬ間に)指の間から零(こぼ)れ落ち、二度と戻って来ないものではないだろうか。そこに時宜(じぎ)という言葉が意味を持つ。一期一会(いちごいちえ)も同義だろう。
 例えば、僕のカレー皿の隅の宝物を隣席の弟がサッと横取りして、大喧嘩(おおげんか)になった幼い思い出が有る。かれは好きな物から先に食べる主義だった。第一、玉葱(たまねぎ)やジャガ芋(いも)や人参(にんじん)などが溶け込んだカレー汁の中で混沌(こんとん)と培(つちか)われた風味は(幾(いく)ら好物でも)単独では失われる。純粋培養(ばいよう)は、却(かえ)って美味とは言えないのだ。
 又、休暇も労働の合い間に程良く適度に散りばめられることで、隠し味を発揮する。毎日が連綿(れんめん)と休みなら、それは(バカンスでなく)無職と同然だ。幸福は永く保てず、腐敗する。僕は大学で社会心理学者Eフロムの「自由からの逃走」を読んだが、世界一民主的なワイマール憲法の下で極めて自由に独裁者を選んだドイツ人の逆説(パラドックス)に、宿題のノルマから解放されたら自由にも食傷した日本人小学生を、僕は思い出した。
 「若きウエルテルの悩み」は、若い時に読むに限る。自身のロッテを心に抱いて、その年頃に適(ふさ)わしい強烈な現実感を味わえるからだ。もしも読書を老後の楽しみに取って置いたら、胸が詰(つ)まる程の恋い心には共鳴できまい。「赤と黒」の倫理に反する程の野望も、同じい疾風(しっぷう)と怒濤(どとう)の青春に於(お)いて繙(ひもと)くのが適(ふさ)わしい。ジュリアン・ソレル青年の若い野心は、訳知りの乙名(おとな)には、危険なだけである。
 幸運と出合って存分に味わうのにも、然(しか)るべき時(タイミング)が重要な要素ではないのか。もったいないから、と大切に秘蔵した種も、いつか知(し)ら、宝箱の中で腐(くさ)ってしまうことが有る。それに気付いた時の口惜しさ、無念。後悔と自責の念は、(我慢(がまん)を積んで来た分だけ余計に)耐え難(がた)い。只今この時に賞味してこそ、価値を持つ場合いが有る。生きる時間に限度が有ることを感じる年齢になれば、今を楽しむ術(すべ)が必要らしい。
 とは言え、僕は結局この習(なら)い性(しょう)を捨てられないだろう、とも一方で予感する。所詮(しょせん)、人は己(おのれ)の自然から逃れることが出来まい。その根強い性癖を、人は個性と呼ぶのではないか。それを失うことは、人格として死ぬことと同じではないのか。コツコツ努力を積むことが(端(はた)目(め)には辛そうに見えても、案外)本人には生(い)き甲斐(がい)である人だって居(い)るだろう。禁欲と忍耐の逆説的な快楽を積み重ねて、然(しか)も積年の努力の成果を(目標を達成した瞬間に)一気に纏(まと)めて享受するのなら、その人は禁欲主義なのか、快楽主義なのか。
 人は様々(さまざま)、産まれた子が将来どんな人生を選ぶのか、その生き様を見守りたい。
 そして、祖母は幸せだったのだろうか。
 つれづれと取り留めの無い筆で綴(つづ)ったが、誰(た)そ彼(がれ)時(どき)に有る者が、これから人生を始める親愛なる人へ、心を籠(こ)めて贈る次第(しだい)である。老婆心を参考にしてもらえるなら、甚(はなは)だ幸いだ。    (日記より、続く)

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