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ミャンマーの思い出④追悼と心を癒するご縁

先週、ミャンマーの鎮魂と平和を祈る集いに参詣しました。クーデターより亡くなった方を追悼することと、早く平和が取り戻せるように願う儀式でした。

参詣者は7割はミャンマー人・3割は日本人ぐらいでした。ほとんどは若者で、賑やかでした。ミャンマー語が耳に入ると、懐かしい感じがする。突然、スーレーパゴダを知り合いと訪ねた思い出が蘇る。

(パゴダは仏塔という意味、日本でお寺参りと言えます。ご覧の通り、スーレーパゴダは金に塗られて、夜でも灯かりの下ではキラキラと光る。夜中でも暑いミャンマー、敬虔な信者が多い国で、ぜひ自分の目で見たかった所にいけて最高な気持ちでした。ミャンマーなりの景色でした)

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友達が突然聞く―

「バイポーラ―くん、何曜日に生まれましたか?」

え?

実はミャンマーでは、何曜日に生まれたかことで占いのように運命が決められてると地元の信じか伝わっています。そして、スーレーでは曜日による神様に拝むことが習慣です。

私はオーストラリア育ちの日本人で、もちろん何曜日に生まれたか分からない。スマホですぐ調べて、初めて火曜日に生まれたことが知られました。テクノロジーって本当に便利だな、と思いました。グーグルがなかったら、どうしたんだろうと考えながら、適切の祭壇に辿り着いて、祈りました。
不思議な所もあるが、ミャンマーは美しい国だとその夜心の底から思いました。親切で優しい、信念で習慣を守りながら(たまに怠けるがほぼ)毎日頑張る人々とこの南の国で暮らせることが本当に楽しかった。




2月1日のクーデターでは、社会全体がひっくり返された。政府は怖いと思っても、勇気を絞り出してデモに参加するミャンマーの公民は、愛する民主主義を取り返すために闘いつつある。その中で治安部隊(「テロリスト」と呼ばれてる)の取り締まりに巻き込まれて殺された方は750人超える。

ニュースを日々読んで、同情を禁じえなくて、心が痛んでいたので先週の集いに参加してもらえ、同時に在日ミャンマー人の応援する気持ちで足を運ぶことに決めました。

日本のお寺はミャンマーのパゴダと比べたら外観は地味だが、同じ仏様に祈ることだと、皆は理解していたでしょう。

私は立ちながらミャンマーを尋ねたことある日本人のお坊さんの説教を聴聞しました。次は、お経をあげられ、参詣者の皆と静かに聞きました。これも終わり、僧侶たちが退場したら、今度はミャンマー人のお坊さんが出番する。

そこで、突然ミャンマー人の参詣者は一誠で地面に座る。私と他の日本人の参詣者は空気を読んでから一緒に座ることにしました。知らなかったが、これがミャンマーの伝統的なお祈りする慣例です。

ミャンマー人のお坊さんはパーリ語でお経をあげると、ミャンマー人は異口同音で合唱し始めました。そうか、ミャンマーでは子供の時からお経を暗誦して覚えるのだ。再び、ミャンマー人の信念に感動しました。

お祈りは日本語に訳してくれて、ミャンマー人僧侶は読んでくれました、


「苦しみが消えますように

幸せになれますように

平和をこの地球でも手に入れますように

亡くなった人は早くニバーナに行けますように

法・真実の教えを聞け

お釈迦様の教えをよく聞け

僧侶の教えを聞け」


実は、私は宗教との関係は複雑で、本気の信仰者とは言えないが、仏教の習慣と交えると安心します。そして、在日のミャンマー人はいつも通りに前向きで、たまにふざけて笑顔でいる姿を見れることで、心は少し癒えました。この世を去った犠牲者を想いにしてきましたが、未来はきっと明るいと考えるようになれました。

この夜に、素晴らしいご縁でした。

一人で来て、そっと一人でお家に帰りました。

ミャンマー、頑張って!




(今月CDMに寄付することを忘れません!)