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Sweet like Springwater ⑤ 天然水のような甘さ(短編小説)

次の休日、二駅離れている本屋さんに訪ねた。この本屋さんは開店して一年も経ってなく、インテリアはことごとく新規なものばかり、店内に「新しさ」という空気がこもった。春香は何時間も本棚の間を浮遊して、拾い読みしながら時を費やした。異常に長く店の中をぶらぶらしたので、店長が好奇心に耐えらず近寄ってきた。なにか探していますか?いいえ、ただ一杯の本に触れ合えて、嬉しくい気分になって時間が忘れてしまって…今日がここ初めてですけど、くつろげる空間でアットホームな気持ちになります。どうぞ、ゆっくり過ごしてください。お互いに笑顔を交わした。

店長は五十年代の男で、親切な態度をとっていた。元気よく笑って、話をつづける。

このお店を立てるのは十六年間も努力して、銀行員と口論もして、山々な行事をのりこえてから最後にローンを許可されました。立派な店を立てたなって自慢で言ってるけど、そこそこ儲けてるし、リターン客さまも週に増えてきて、本当に夢が叶ったと思ってます。まぁ、苦労が減ったという訳でもないですけどね。最近、わたしの旦那さんがね(私らゲイなのね)鬱病になってしまい休職中になって、こっちがもっと頑張らにといけなくてですね。彼はドイツ語の講師をしてて、今年はドイツへ旅行する予定がですね、こんなに忙しくなったため、仕方なく延長することになったんです。ドイツには何回もいったことはありますけどね。ビールが美味しくて、森林もきれいでね、最高ですよ。私は言葉を話せないけど「アゥフ ヴィダァゼェイアン」だけは覚えただけですね。でも、旅行している間、ほんとうに面白い人と出会いますよ。「私は日本人は知ってる、ゲイの人も知ってる。でも、ゲイの日本人は初めてだ」そんなことも言われて。ただ純粋に考えごとを表していたと思いますけど。人って本当は親切なんですよ。心を開ければ、この素晴らしい世界を受け入れることができますから。でも、今は本屋の店長という役割に忠実しないと。クッキングのセクションを見回りましたか?今月、いっぱい新しい書籍を購入したので…

あと十五分間も店長さんはいりろな愚痴を零しながら喋った。春香はずっとあいづちを打っていた。ようやく解放されてから、春香はもう一度店の中をぐるんとして、一冊の本をレジで買い、出口の方へ進んだ。料理書だった。



背の低いガチガチの男性は一週間ほど来店してなかった。もしかしたら、職場を変えて、他のお店でミーディアムコーヒーを召し上がっているんだろうか。知り合いでもないのに、顔に慣れてきた人と縁が切れて、春香はいささかな寂しさを感じた。紫羅蘭と過ごした一日を思い出した。いままで、数え切れない人と擦れ合って、これからも何人ものと擦れ合うのだ。初めての挨拶から「さようなら」までの時間を楽しく、お互いに優しくできれば、この人生という長くて短いエピソードを充実できるだろう。

そう思っている時に、もっと深く過去を振り返ってみたら、何かの違和感に気付いた。友達っていなかったのではないかと思った。子供の時は、恵美の面倒が最優先で、クラスメイトに誘いを全て断っていた。思春期はバイトが一大事で、いつも家族の為に稼げないと心配していた。学校とバイトの間に、話し合う人はいたけど、友達っていう関係だとは言え難い。

そういう孤独な人生でも、春香は平気だった。自分と他人の間に隙間を空けたほうが、安心できるとずっと感じていた。そういう考えで、本気で親しい人は家族以外にいなくても、それで良かった。しかしながら、この理念のままでずっと生きていけられるか。ちょっと考えてみた。

カフェでは、一番親しい仲間は沙也加だった。でも、この二年間の間に、仕事以外の話をしたことはなかった気がする。沙也加に顔を向けると、春香の喉から質問が溢れ出て、口から滑った。

沙也加さんはいつも仕事のあとなにをしてますか?

こんな基本的な会話もしていなかった。でも、このアイスブレイカーを思いついた途端、一秒も躊躇なく言えた。自分にこんなに自信があったんだと春香は思った。そして、沙也加は何気なく返事した。

ー別に…ただ、休んでスマホを弄ってる。

趣味とかはありますか?

ーうん、ダンスしてる。

この答えを聞いて春香はびっくりした。知ってなかった、ずっとダンサーと一緒に仕事してきてたこと。

どんな、ダンス…春香はダンスって言われても、全く分からない世界で、深堀したいけど、興味をどうやって表すか迷っていた。 でも、沙也加はすぐに説明しに駆けた。

「コンテンポラリー」と沙也加はポーカーフェイスのままで言う。

春香は頷いたような音を立てたけど、馴染みがない言葉を言われて、少し困惑した。

それってどういうダンスですか?と聞こうと思ったところ、沙也加はスマホを出して画面を春香が見える位置に持ってきて、動画の再生ボタンを押した。沙也加が一人でステージに立ってた。ライトは薄暗い。髪型と服装がバイトの沙也加とぜんぜん違う。音楽が流れてダンスを始めた。動き方も身体も服装もぜんぶ美しかった。手足が水のような滑らかさで動く。表情も変っていく。前半は笑って、後半は泣きそうな顔になった。感動的な演技だった。音楽が終わり、観客席から拍手が響いた。春香も、手を合わせて無音の拍手をした。なにか、感想を述べたかったが、その時カフェにお客さんが入ってきた。

沙也加がステージに立ってるイメージが春香の心の中に一日残った。凄いと思って、少し羨ましく思った。それは、自分が人の前でダンスするつもりはないけど、情熱を傾けて好きなことをやることは、確かにかっこいい。いっぱい練習して、仲間も作って、最後に観衆の前で発表する。スリリングだろう、楽しいだろう。この気持ちを自分も味わいたいと春香は思った。

沙也加は春香に趣味に付いて訊き返さなかった。それは、春香にしてはありがたかいことだった。だって、趣味っていっても空虚だ。仕事と家事だけで、読書なんかは暇つぶしみたいで、趣味はおろか情熱が湧くものは一切ない。

じゃあ、自分は一体なにのために生きているのかと真剣に考えた。現在、お母さんは金融的な悩みもないらしいし、恵美も卒業が近づいたら本気になって就職に努めるだろう。いつの間にか、心配事が消えて、人生が楽になっていた。そしたら「お姉さん」の役割はどうなるんだろう。これから「お姉さん」は必要されない。じゃあ、どうやって生きるのか。沙也加みたいに趣味があればいいのに。

そして、海に行ったあの時をもう一度思い出した。楽しかった、本当に楽しかった。新鮮な空気を吸って生き生きした。自由で心配ない一日、気持ちよかった。もう一回、翼を広げて遠い土地でバカンスしたい。

そう思いついたら、わくわくした。旅行することを生き甲斐にしよう。日本に留まらず、世界を一周とかは。海外といったら、英語も勉強しないと。英会話レッスンを始めるのに勇気を出さないと。でも緊張感を破ってやってみれば英語で話すのが楽しくなる。そして、海外旅行なら、珍しい食べ物に挑戦しないと。世界にどういう料理があるんだろう。

春香は今まで仕事に夢中してたけど、その日は他の夢をみれることができてきた。仕事を志すこともいいことだけど、この広くて華やかな世界を探検しなかったら勿体ない。よし、と春香は自分に言い聞かせた。このシフトが終わったら、新しいページをめくろう。 


(つづく)


本来はerubakki_yojitaさんの画像を借りました。シュールで興味深い作品を描くアーティストです。是非、インスタグラムのページへお参りください。

https://instagram.com/erubakki_yojita?igshid=YmMyMTA2M2Y=


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