私の推しは5歳のむすめ
私は5歳のむすめ、Sの全肯定オタクだ。むすめに憧れの気持ちがある。
むすめは天真爛漫で自由人。末っ子で、10歳と8歳の兄がいる。初めての人にも「こんにちは!」「ありがとうございます!」「バイバーイ!!」と臆せず話しかける。オンラインMtgがあるとひょこっと顔を出して、「あ~Sちゃん!こんにちは!」「わあ~noteで見たよ!会いたかった~」と言われにんまりする。友達のお母さんやお兄ちゃんの習い事の先生にもいきなりぴたっとくっつく。
私は空気を読む子どもだった
一方私は弟2人の長女。人見知りで、自分の気持ちを人に伝えるのがなかなかできない子どもだった。幼稚園の先生に手をつないだりくっついたり、憧れていてもできない。
お姉ちゃんだから!と周囲の期待に応えようとしていた。大好きなお父さんが「昔お医者さんになりたかったんだ~」と何気なく言ったら「わたしはおおきくなったらおいしゃさんになりたいです。」と卒園アルバムに書いてしまうほどに、周りを見ている子どもだった。
小学校3年生のときに弟が生まれ、周りの友達と遊ぶよりも弟と過ごすのが楽しくなり、弟のお世話をよくしていた。授業参観のときに当時1,2歳だった弟が私の席までとことこ歩いてきちゃう。そんな可愛い姿をみんなに見てもらうのがこの上ない喜びだった。みんなから「ゆいちゃんの弟かわいい~」と言われることのなんと嬉しいことか。
今振り返ると、私は身内全肯定オタクなところが昔からあった。友達より家族。
「わが子は推し」がモットーに
時は流れ、2人の息子の母になった。息子たちとの暮らしは大変なこともそりゃあある。それでも、歩けるようになる!字を読めるようになる!歌ってる!尊い!!好き!!!いちいち感動できる。
まさにオタクのそれである。
「恐竜が好き!?恐竜博物館行くよ!」
「鉄道が好き!?!?!?!大宮の鉄道博物館でしょ。」
私の持つのめりこみ力と機動力が大いに子育てに発揮された。
「わが子は推し」がモットーになった。
女の子がひとりはいた方が良い?
男子2人との暮らしにひいひい言いつつ過ごしていたところ、実母がよく「女の子が一人はいた方が良い」と話していた。
3人目を妊娠したとき、私は性別はどちらでも良いな~と思っていた。けれど、周りからは「女の子?男の子?」とよく聞かれたし、女の子だとわかると「よかったね~」と言われた。男の子2人のママは「3人目女の子が必ず生まれるなら産みたいんだけど~」という人までいて、よくわからないなと思っていた。
女の子だからなんだ?男の子だってこんなにかわいいのに。
昔「女の子なんだから家のことしなさい」と言われて「私は家事嫌いだから結婚しない!!!!!!」と母とぶつかったことがある。とはいっても、大人になったら買い物やお茶によく行き、おしゃべりに花が咲いていたし、弟たちは私よりは無口だし、言いたいことはわからなくもない。
でも「一般的にこうだ」とか「女の子が男の子が」といった、1/2の確立でしかない話をさもみんながそう思っているみたいに話すことがわたしは好きではない。子どもたちは、それぞれひとりの人間として生きていってくれればいいと思う。
そんなことを思いながら、生まれてきたむすめだった。
むすめを取り巻く世界
男の子女の子関係なしに、3番目は何かと得なのかもしれない。生まれながらにして連れまわされて大変かもしれないけれど、お兄ちゃんの園に連れて行けば「かわいいね~」とみんなから声を掛けられる。お兄ちゃんの友達から「こっちにおいで~」「一緒に遊ぼう」と可愛がってもらう。園の先生たちも「Sちゃんおはよう!おいでー!」とぎゅーっとしてくれる。
「これが、末っ子長女の愛され力…!!!」
私とは違う個性に、驚くばかりの毎日だ。
保育園を休んだ日に起きた事件
「お腹がいたいから保育園今日はやすむ」
先日、むすめが保育園を休んだ。
お腹が痛いといっても、さほど体調が悪いわけではない。そんな日は、家でお絵かきをしたり、積み木で遊んだり、おうちごっこをしたり。一人の世界で遊ぶことが多い。
▲むすめのお絵描きが好きすぎる
「〇〇屋さんに行ってきていい?」
隣近所に、沖縄の焼き物、やちむんの工房兼お店がある。近ごろそのお店にひとりで行き、店主のMさんと何やらお話をすることがお気に入りのむすめ。
保育園を休んでいる昼間に?と一瞬思ったけど、仕事に集中していたこともあり「いいよ~」と返事をしてそのまま集中していた。
しばらくすると、携帯が鳴った。画面を見ると、息子たちが通う小学校からだ。
「学校から電話?何か息子たちにあったかな?」
学校から連絡があるとケガなどあったのかとどきっとする。
「もしもし」おそるおそる電話に出る。
「あの~、Sちゃん、ひとりで、学校に来ています。」
「???????」
「自転車でひとりで来たみたいで。「お母さんに言ってきたの?」と聞いたらはじめは「うん」と言ってたんですが、しばらくしたら「言ってない」って(笑)。お母さんが心配しているんじゃないかと思い、ご連絡しました」
「あ~…すみません!すぐに迎えにいきますね」
子どもたちが通うのは児童数は30名弱のちいさな学校。教室の入り口が幼稚園の入り口のように中庭に面していて、外からそのまま上がれる作りになっている。むすめは日頃から授業参観のときに教室に机と椅子まで出してもらい参加させてもらうこともあり、学校が大好きだ。
慌てて学校へ向かうと、次男が授業を受けている教室のドアの前で寝そべっているむすめがいた。寝そべりながら、なにやらぐずぐず言っている。
「S!ひとりで学校に来たの?」中に入りたくてぐずってるのかなと思いながら声をかける。
「ブリッジしようとしたら頭ごんってぶつけた~」と言って頭を抱えている。
頭を抱えたいのは私だ。
先生方に平謝りして、一緒に家に戻った。息子の友達は「あ、Sだ!なにしてるの?」「バイバーイ」と声をかけてくれる。島の距離感が心地よい。
こんなむすめだが、私が長男と次男をきつく叱ってしまいやり場のない気持ちを持て余していると
「あのさ~、かっか、さっきは怒ったね。やさしく言ってあげてね」
と諭されることもある。むすめといると飽きない。
子どもたちへ
男の子だから、女の子だからということは子どもには言いたくない。3人とも、一人の人として尊重したいし、なんなら早く自立して家を出てほしいなー、そうしたら何しようかなー、とずっと思っている。私はむすめに「女の子だから近くにいてほしい」とは思っていない。
私は比較的、学生時代は男の子女の子があまり関係のない環境で過ごしてきた。けれど、ワーキングマザーになったとき、初めて、社会構造そのものが女性の社会進出にやさしくないと感じた。ただ逆に、男の人も男らしさにしばられてるんじゃないか?とも思う。
女の子だとか男の子だとか関係なく、子どもたちがその人らしくいられる社会であってほしい。
家には新幹線や恐竜などのおもちゃばかりだったのに、いつのまにかピンクや花、おひめさま、かわいいものが大好きになっていたむすめ。「やっぱり女の子だね~」とよく言われる。私もつい言いそうになるけれど、その言葉はぐっと飲みこんでいる。
黄色いミモザの花を見たら、きっと「わあ、かわいい!!」と普段より高くなる声で言うんだろうな。いつもあなたのひょうきんなところに救われているよ。ありがとう。
▲私のケーキはとらないで。
この記事はフェレロロシェさんによる「ミモザの日」を広げる活動「 #ミモザの日だから伝えたいこと 」の企画で書きました。ミモザの日について、詳しくは特設サイトをご覧ください。