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雑文のつもりだったけど、フリーレンの感想。 エルフ的視点、言葉とイメージ。

 葬送のフリーレン、いい漫画です。とはいえ、私はアニメしか見ていません。特に、ハイターが好きです。ハイターの死後のイメージが僕にはとてもしっくりくる。天国が本当にあるかどうかと考えるよりも、どうせ分からないなら素敵なことがあった方が良いという、楽観的だけど人間の想像力を肯定する死生観が、私は好きです。彼らの世界は、とても現実世界とかけ離れています。ですが、なぜか彼らの言葉や動きは私たちにスッと馴染む。あの漫画の世界には、果てしなく長生きをする生き物〈エルフ〉が出てきて、その視点で物語が進んでいく。エルフ達からしたら、人間一人の寿命なんて一瞬でしょう。エルフのように長い人生を、私たちはイメージできない。
 ですが私たちは、特にアニメを観る人が多い私を含む若年層は、自分の人生をアニメの人間のキャラクターたちを観るときのように、一瞬だと感じているのだろうか。少なくとも私は、一瞬だと感じたことはありません。高校生活あっという間だったなとか、いつの間にか酒を飲める年だなとか、そういうことを思ったことはあります。ですが、それは人生が一瞬であると思うこととは違います。なぜなら、不慮の事故や病気で死なない限り、自分自身の人生というのは今までよりこれからの方が長いと容易に想像できるからだと思います。少なくとも私は、自分の人生や周りの世界をエルフ的に見ている。まだまだ余裕があるし、つい先送りしてしまう。だけど本当は私は人間で、気がついたら歳を取っている。僕が葬送のフリーレンを見て感じた美しさは、若者のエルフ的視点と人間的現実の差異を、ファンタジーというそれが成立する世界に落とし込んで、見事に物語となっていることなのだと思います。もちろん、若者全員がエルフ的視点をもつわけではないと思いますけどね。

こういうことを書いてると、少し悲しくなってきます。ついつい、物語自体ではなく、その背後にある比喩、構造を見つけ出して、言語化しようとしてしまう。別にそれが悪いことではない。けれど、もう少し等身大でアニメの世界に入り込みたいと感じるときもある。フリーレンの物語、前半では人と魔族が操る「言葉」が、後半は魔法を操る「イメージ」という言葉が印象に残ってます。言葉とイメージ、現代社会では相反するもののように感じます。一般的には頭の中にイメージできていても、言語化できなければ、イメージできていないと同義です。芸術の世界では必ずしもそうではありませんが、私がよく美術館に行くと、説明文がない絵画よりも、説明文がある絵画に人は集まっています。言葉とイメージでは、今現在は明らかに言葉偏重になっています。まあ、無言でイメージを伝えるのはそれを言語化して伝えるよりコストがかかりすぎますから、そうなるのも仕方ないと思います。でも葬送のフリーレンの世界では、魔法がある。魔法は、言葉によっていちいち説明しなくても、イメージができればなんでもできる。イメージの力によって説明を受けずに新しい魔法を使えるようになったり、実力差がありすぎる相手に勝ったりすることができる。しかしやはり言葉は魔法のように、人に強い影響を与えたり、魔導書のように魔法を文字として残すことができる。あの世界では、言葉とイメージはそれぞれの強みを持っていて、どちらかに偏重していない。もし私たちの世界に魔法があったら、今よりは少し生きやすい人が増えたのかもしれないと思った今日この頃です。

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