周囲が理解してくれない??ばかぁ!!!
様々な場面で、周囲の理解が必要、周囲からの理解と協力がいる、周囲の理解がない等の言葉を耳にする。
もちろん、互いに理解しあえることは大切であり、バリアフリーな世界を目指す上では大切な考え方である。
しかし、「周囲の理解がない」「周囲の理解が必要」って言葉、自分が大変なとき、困ったときにだけ使っている人が多い気がする。というより、そういう場合にしかリアルでは聞いたことがない。(テレビは除外します)
そもそも、その人たちは周囲を理解しようとしているのだろうか?
自分達が周囲を理解しようとしないのと同じで、周囲もわざわざ一個人を理解しようとすることはほとんどない。
いや、むしろ、普通に生活している分には、いちいち周囲を理解しようという視点で生活をしていないでしょ?
人は何かに気付いたときに、理解しようとするものだ。一個人が頭の中で悩んでいること、困っていることに対して、いちいち理解しようとする聖人はほとんどいないだろう。俺くらいだ!!!
つまり何が言いたいかと言うと、
「周囲の理解がない」と立腹することは間違っていると思うのです。
理解してほしいなら、自分で動く、伝えるしかないのです(  ̄ー ̄)ノ
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