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昭和30年代 赤線消滅 岡町・洞泉寺遊廓の終焉

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昭和33年4月の売春防止法施行とともに、近世から続く奈良県大和郡山市にあった二つの遊廓、岡町と洞泉寺の紅灯もその灯火が消える。行政と業者のせめぎ合い、さまざまな思惑に翻弄される接…
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記事一覧

#13 まとめ〜新聞から見えた赤線終焉の時代 〜

 12回にわたり、みなさんと一緒に見てきた「新聞で見る昭和33年の奈良赤線地帯のようす」です…

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#12 赤線廃業後の奈良木辻、郡山岡町、洞泉寺はどうなったのか

 昭和33年3月15日、奈良県では3箇所の赤線地帯が最後の営業を行なった。翌日には解散式を行…

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#7 大阪・京都・名古屋等他府県における赤線転廃業の状況

 それでは同じ時期、他府県の赤線地帯はどうなっていたのか、大和タイムスに記載されている内…

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#11 奈良三赤線の終焉 一斉に解散式 洞泉寺特飲街組合は伊勢参りで“慰労会“へ

 ついにこの日が来た。大和タイムスは連日一面トップで大きく赤線最後の日について報じている…

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#10 紅い灯もあとすこし、廃業を待つ県下の赤線地帯

 昭和33年3月。4月1日の売春防止法施行にさきがけ、15日で一斉廃業することを決めた奈良県の…

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#9 売春問題座談会 行政 vs 特飲店業者 本音を語る

1.座談会の目的と座談会参加者 売春防止法の施行があと1ヶ月に迫った昭和33年2月27日。翌日の…

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#8 最後の賑わいをみせる奈良3大遊廓、接待婦・引子の嘆き

 昭和33年2月に入ると、いよいよ売春防止法施行まで2ヶ月を切り、転廃業へのスケジュールが具体的に定まってくる。法案可決の際には皆が「本当に実行されるのか」と疑ったものだったが、この時期になると、接待婦のほとんどがその後の身の振り方を真剣に考えるようになっていた。今回は、そういった接待婦に焦点を当てた記事を紹介したい。  まずは、2月以降の奈良三大遊廓の状況から。 これらの記事からわかることは ・2月に入って県内の特飲店は一斉廃業することに決まった。 ・「これが最後」と一晩

#6 洞泉寺・岡町遊廓 最期の日は3月15日と決定

 「赤線最後の日」というと、昭和49年(1974)に公開された映画「赤線最後の日」の影響が大き…

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#5  奈良県内の赤線と青線白線

 昭和32年前後、奈良県の赤線地帯は奈良市内の木辻と郡山の岡町、洞泉寺の3箇所のみである。…

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#4 洞泉寺遊廓の山中楼が貸本屋へ 赤線からの転業

1.洞泉寺遊廓を知っていますか? 遊廓や赤線に興味がある方なら、もしかするとご存知かもしれ…

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#3 大和郡山市における昭和32年前後の事件と赤線地帯

 この写真は、昭和35年にアマチュアカメラマンの秦峯一氏が撮影した、通称「銀座通り」と言わ…

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#2 洞泉寺遊廓の終焉と町の人たち 売防法施行4ヶ月前

1.売春防止法施行を4ヶ月後に控えた赤線のようす 前回は、売春防止法が成立してまもない昭和…

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♯1 洞泉寺遊廓の終焉と町の人たち 全ては売防法公布から始まった

1. はじめに〜遊廓と売春防止法について〜 昭和31年(1956)5月24日に公布された「売春防止法…

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