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「自己紹介」激動の20代の経験で人生決まりました

今思い返しても色々とありました…


はじめに…

ボランティア、大学中退、リサイクル業界で仕事、労働災害により怪我、後遺症、動きにくい身体での物販、長男の仮死状態での誕生、父との死別、親友との死別、祖父母の介護、これが20代で起きた大きな事です。
20代のなかなか激しい経験から今の人生決まりました!

はじめまして!
東京で「学習塾」の経営をしております「ゆーすけ」と申します。
現在は「物販」も営んでおり様々なビジネスを学んでおります。

趣味は多趣味ですが長く「写真撮影」を楽しんでおります。
ペットも大好きです!

「現在」の事は別記事にてアップしていきたいと思います。
今も人生を楽しんでおりますのでなにか役に立つことがあるかも知れません。

上にざっくりと20代で起きたことをピックアップしました。
大きな出来事でこの感じでしたので他に細かいことも沢山あります。
今回ピックアップした出来事は自分の「人生観」や「その後の人生」にとても大きな影響のあった出来事でした。

「ボランティア」

大学に行く意味、これに悩んでおりました。
当時はまさに就職氷河期でした。
ですので求人を見ても何も期待も出来ない、未来も想像できない状態でした。
そんな時に知人の紹介で子供の面倒を見るボランティアをはじめました。
こちらは「教育現場」の裏側を本当に知ることが出来ました。
そして子供や教育に関しての今の思想が生きております。
ここから現在経営をしております「学習塾」につながっております。

「大学中退」

上の「ボランティア」と同時期です。
何も期待できない大学、、、通学時間や勉強と全て無駄に思って感じておりました。
そんな中で当時は初めて「ボランティア」を通し生きがいを見つけていたので「大学」への優先順位はとても下がります。
結果として自分の性格「ハマったらとことん追求」と言うところが出てしまい「中退」の道を選びます。
現在の人生は「大学中退」がなければ無いので後悔はありません!

「リサイクル業界で仕事」

こちらも今の生き方に大きな影響があります。
世の中で「不要」と思われているものがこんなに「価値」があるのか!
こんな物がこの値段で売れるの?
ここはこうなっているのか、、、
その他に「人」の良い所、嫌な所とたくさん経験しました。
そして自分がこんなに色々と出来るんだ!と考えが改まりました。
こちらでは仕事も順調に覚えていき「正社員」としても勧誘されていましたね。
ですがここで私が「サラリーマン」になるのは絶対に嫌だ!と言う経験をします。

「労働災害により怪我」

ある日、普通に仕事をしていたら当時アルバイトで勤めていたリサイクル屋で怪我を「させられ」ます。
「無能な社員」がその会社におりましてその社員がトラックの操作を誤ります。
その側にいた私がその操作ミスに巻き込まれて首の骨を痛めました。
こちらは影響も大きく現在も後遺症に悩んでおります、、、、
この経験から「こんな社員嫌だ(サラリーマン)」と自分の根底が完成しました。
私自身が「適当な仕事の被害者」となったのです。

「後遺症」

そして後遺症との戦いになります。
「痛み」と「不自由」こちらとこのあと長い戦いになります、、、
痛みはやはり打ったところが痛い、そして歪みからかあまり関係のない腰痛として出てしまいました。
こちらは今も天気によっては悪化します。
不自由は今は大きな影響を残していないのですが当時は左半身に麻痺が残り「力」が入りにくい状態でした。
このときの経験でいざという時は「国」も「会社」も何も助けてはくれないと言う経験をします。

「動きにくい身体での物販」

現在も続けております「物販」この頃から自然と営んでおりました。
「リサイクル屋」での経験と自分が長く楽しんでいた「パソコン」を利用してある程度の利益を得ていました。
十数年たった今でもこの経験は大きく生きているので20代での経験は大事ですね。
この時は左半身の後遺症の影響が有りましたが歯を食いしばり作業をしておりました。

「長男の仮死状態での誕生」

その頃に後遺症に苦しみながらも自分を支えてくれた人と結婚をします。
順調に妻は妊娠し「長男」の誕生となりました。
当時は「自然分娩」が一番かな?と思い普通の産院で出産となりました。
ですが難産でとても時間がかかり長男が産まれてきたら生体反応もとても小さく「両親」が抱くことも出来ずに大病院へと救急搬送されてしまいます。
この日の記憶は鮮烈で今一番大切に考えている「家族」への気持ちは何よりも大きいものになった瞬間でした。

「父との死別」

その後はどうにか仕事をしながら慎ましやかに幸せに生活をしておりました。
ですがここで「超健康優良」であった父に大病が見つかります。
見つかってからはとても早く亡くなるまでに1年持ちませんでした。
父に孝行をしっかりと出来なかったことが今も悔やんでおります。
幼い頃から父とはとても仲が良く兄弟のような親子でした。
今でも父とは物凄く会いたいです。

「親友との死別」

不幸は続くというのはこの事か、、、と当時は思いました。
本当に仲の良かった「親友」が交通事故で急に亡くなってしまったのです。
父の死と親友の死と心に大きな穴が空いたのを実感してしまいます。
この時に「人って簡単に死ぬんだな」と言うのを実感いたしました。
今も自分の「思想」にはこの親友と過ごした時間と話した内容は生き続けております。

「祖父母の介護」

この大切な人たちの「死」を経験した直後に当時健在であった「祖父」が倒れます。
超高齢者であった祖父は息子である私の父の死を受け入れ頑張って生活をしておりましたが祖母は認知症、自身の高齢、息子との死別により限界に達し肺炎に倒れてしまいます。
この時に私は「自分のやる事」と認識をして祖父母との同居を決心します。
周囲からは大きく反対をされましたが「妻」と話し合い子供が小さいうちのほうが良いと「すぐに引っ越し」をしました。
我ながらものすごい行動力だった瞬間です。
ですが、これはまた別に記載いたしますがかなり大変でした、、、

いかがでしょうか?
20代でももっと苦労した人や大変だった人も多くいると思います。
ですが私は「今の自分」を構築できたのはこの20代での濃すぎる経験からと思っております。

当たり前に居てくれる「周囲の人間」
当たり前に過ぎている「いつもの生活」
当たり前に動いている「自分の身体」

実はどれも当たり前ではないのです。

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長文を読んでくださいましてありがとうございました!

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