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最近の【ほぼ百字小説】 2024年11月29日~12月13日

【ほぼ百字小説】をひとつツイート(ポスト)したら、こっちでそれに関してあれこれ書いて、それが24篇くらい溜まったら、まとめて朗読して終わり、という形式でやってます。気が向いたらおつきあいください。


11月29日(金)

【ほぼ百字小説】(5597) 月から持ち帰った土に水を加えて作った泥を団子にして月の砂でぴかぴかになるまで磨くと、その表面には月の海と呼ばれる部分とまったく同じパターンが出現することから、月も同じようにしてできたと考えられている。

 月の話、そして泥の話。月と泥と怪獣を考えているから、こんなのが出てきた。泥団子は、とても泥とは思えないぴかぴかになりますね。娘がまだ保育園に行ってたとき、親子で遊ぶイベントがあって、そのとき作って磨いた泥団子はまだ置いてある。ぴかぴかのやつ。子供の頃によく作ってたからそうなるのは知ってたけど、それでもやっぱり不思議ですね。そして月も、自分で光ってるんじゃなくて太陽の光が当たってるだけなのにあんなにぴかぴかなのはやっぱり不思議だ。
 しかしこれ、「月」に入れるか「泥」に入れるか。

11月30日(土)

【ほぼ百字小説】(5598) いつものことだが泥を捏ねていると指と泥との境目が曖昧になる。さらに捏ね続けて泥と自分との境目がわからなくなる寸前で引き返すのもいつものことだが、今日は引き返さなくてもいいかなと思っている。自分か泥が。

 泥です。そして泥遊びあるある、ですね。どこまでが自分なのかわからなくなる、それが気持ちいい。そして、そんな考えもまた自分の考えなのか、それとも泥の考えなのか。もちろんそれも気持ちいい。たぶん、小説もそうですね。

【ほぼ百字小説】(5599) 昔よく遊んでいた空き地は今も空き地のままで、その隅には、あの頃と同じように月着陸船がある。アポロのそれとそっくりだから、そうだろうと思っていた。着陸脚は草に埋もれて見えないが、今もしっかり立っている。

 私は、アポロ世代、万博世代です。アポロは盛り上がったなあ。月着陸船のプラモデルとかありましたよ。そして、空き地にあるものをいろんなものに見立てて遊んでいた。ロケットとかロボットとか。見立て、というより、半分くらい本気でそうだと思ってたような気がする。

【ほぼ百字小説】(5600) 終わりは見えないが、ある点までには確実に終わっている、という当たり前のことが、この年齢になってようやくイメージできるようになった。近未来のその中に自分は存在しない、という明確なイメージ。そういうSF。

 ほんとに当たり前のことなんですけどね、でもなかなか実感できなかったなあ。もうこの年齢になると、あと10年くらいはいけるかも、だろうけど、20年となるとだいぶ運がよくないと無理だろうなあ、とか。そして20年という長さというか短さははっきりイメージできてしまうんですね、これまで生きてきた長さと比較して。そして、そう思うと、SFとかで漠然と考えてきた「未来」という言葉なんかが、全然違って見えてくる。まあいいことなんだろうとは思いますが。

12月1日(日)

【ほぼ百字小説】(5601) 月を動かす方法を教わった。さっそくやってみると、なるほどおもしろいように月の位置が変わる。なあんだ、こんなに簡単なのか、と拍子抜けして、こうなると、ずっと動かないものだと思っていたことのほうが不思議。

 世界の仕組みの話。月というのは、舞台とか映像の書き割りの背景として使われることが多くて、なんか都合で動かしたりできそうな気がする。まあそういう世界。そして、月は動かないものだと思われている世界、というのがオチと言えばオチですね。

【ほぼ百字小説】(5602) 夜中、物干しが明るいのでガラス戸を開けてみると、月が出ていた。満月。それはピンポン玉ほどの大きさで、水を張った盥の真上に浮かんでいる。水の底では、亀が石のように冬眠している。月の夢を見ているのだろう。

 月とスッポン、じゃなくて月と亀。小さい月、というのは、私の妄想の定番。箱庭的なものが好きだからかな。箱庭の上に浮かんでいる月。物干しは私にとって、亀の領域で、だから一種の箱庭で、なんで「だから」なのかわかりませんが、まあそういう世界にそういう世界の月が出る、という妄想。そして、それは冬眠中の亀が見ている夢、という話。物干しにいる亀はしょっちゅう月を見上げているので、まあ月の夢も見るでしょう。

12月2日(月)

【ほぼ百字小説】(5603) ニセモノのほうがまだ使い道があるらしいから、もうニセモノになることにしたが、待てよ、そもそも何かのホンモノだったことなんかあったっけ。まあ使い道も価値もないホンモノだから、どうでもいいことではあるが。 

 あるあるだろうと思います。よくできたニセモノというのはなかなか便利ですからね。ニセモノのほうが性能が良かったりするし。レプリカントなんかそんな感じですね。

【ほぼ百字小説】(5604) あの星の爆発で放射された様々なものによって地球上の生命は滅んでしまったが、それによってその生の瞬間が記録されることになった、とも言えるか。それをストロボ光と写真に喩えるものは、もう存在してはいないが。

 ガンマ線バーストとかそんな感じ。そういうのが地球全体に降り注ぐ。それがある瞬間を記録するためのものだったとしたら。そのせいで生命がすべて滅んでも、べつに記録したほうは気にはしないでしょうね。目的は果たせたから。それはそれとして、ストロボとかもうそろそろ死語なのかな。

12月3日(火)

【ほぼ百字小説】(5605) 自転車が行方不明。探さないでください、と置手紙があるが、自転車の筆跡なのかどうかわからない。最近、新しい道路ができてからすっかり交通量が減った国道を集団で疾走する自転車が、頻繁に目撃されているという。

 自転車というくらいだから、自分で自分を転がすことくらいはできるだろう、とか、走るために生まれたんだから、もっと走りたがっているのかも、とか。まあそんなところから。そんな自転車たちが集団で走っているところは、夢の中の景色みたいでけっこう気に入ってます。

【ほぼ百字小説】(5606) 泥の柱と塩の柱がいくつも並んでいる。黒い柱と白い柱。胡椒の瓶と塩の瓶のように、と一瞬は思ったが、塩のほうは喩えではなくそのものだから、塩の瓶ではない別の白い何かに喩えないと、とチェス盤のような場所で。

 泥の話。泥の柱と塩の柱、どちらもなんだか人間っぽい。あの世とこの世の境界の風景みたいなのが書きたかったのかな。塩の瓶と胡椒の瓶とでチェスをするのは、刑事コロンボ。チェスプレイヤーが犯人の回。レストランで、テーブルクロスが市松模様みたいなやつで、そこでテーブルの上にあるものでチェスが始まってしまう。なかなかおもしろいシーンでした。タイトルは、「断たれた音」だったかな。

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