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最近のほぼ百字小説 2025年1月25日~2月4日
【ほぼ百字小説】をひとつツイート(ポスト)したら、こっちでそれに関してあれこれ書いて、それが24篇くらい溜まったら、まとめて朗読して終わり、という形式でやってます。気が向いたらおつきあいください。
1月25日(土)
【ほぼ百字小説】(5722) 風呂から風呂へと次々風呂を巡っているが、この風呂、前に入った風呂では? 同じところをぐるぐる回っているのか、とのぼせた頭で見回すと、湯に浸かっているのは猿ばかり。回っているのではなく逆行しているのか。
まあこういうところに行ったわけです。いろんな風呂のあるところ。巡っているとこういう気分になる。そして、温泉といえば猿。これとは関係ないんですが、ニホンザルが雪の中で温泉に浸かってる映像とかありますが、あれって、出るときはどうなってるんでしょうか。濡れたままだとめっちゃ寒いと思うんですが、平気なのか。昔からずっと疑問です。知っているかた、教えてください。まあそれはともかく、いつのまにか猿になってる、なんてことが温泉に浸かってるとおこりそうな気がする。そのくらい緩んでしまうんですね。『アルタードステーツ』なんてSF映画がありました。瞑想タンクみたいなのに浸かってると原始人というか猿人というかそういうのまで逆行してしまう。いや、うろおぼえですけど。ヘンテコな映画だったなあ。
【ほぼ百字小説】(5723) 妻と娘といっしょに来たが、入口で男湯と女湯に分かれるから、ひとりで湯に浸かって、ひとりで出てきて、ひとりでぼんやり座っている。当たり前だし、だから何だということはないのだが、そういうものだな、と思う。
そのまんまです。いやほんとにそのまんま。そして、だから何だということもない。でも、考えたらなんか不思議だし変じゃないですか。もちろん当たり前なんだけど。そして私はそういう感じがおもしろいと思う。そんなことを書くには、このマイクロノベルという形式はかなりいいと思う。ほんとにそんなことだけを書ける。長くなると、持たせるためにそうじゃないことも書かないといけなくなる。でもそんなことだけを書きたかったりするんですよ。
【ほぼ百字小説】(5724) 墓地の入口は山のふもとだが、うちの先祖代々の墓はそこからさらに下ったところ。狭くて入り組んだ道でいつも迷い、誰のだかわからない墓に手を合わせることになるが、帰りは上へ上へ行くだけだから迷わなくて済む。
山のふもとに墓地があるのは本当で、だから子供の頃の記憶では、なんか細い山道みたいなのを延々歩いていくことになってるんですが、実際にはぜんぜんそんなことはない。これは、その頃の記憶のままに書いたやつ。山のふもとにあるのに、そこからまだ下っていく、というのがそれなのかな。記憶を下っていく。だからたぶん、夢の話でもある。まあそれを言い出したら、私の書くものはほとんどが夢の話ですけどね。
1月26日(日)
【ほぼ百字小説】(5725) 繰り返し聞いていると、単なる音の羅列にしか聞こえなかったものが、曲に聞こえてくる。それは音に限ったことではなく、あの繰り返しは、この世界をひとつの曲として聞くために必要なことだったのか、と今はわかる。
これは、一種のあるあるだと思います。ディミニッシュスケールとか。メロディーとして聞こえてくる。そして、同じようなことが時間とか空間に対して起きるとしたら。時間ループものの新解釈として成り立つんじゃないか、とか思いますが、まあそれに限らず、反復練習によっていろんなことがやれるようになる、というのはそうか。
【ほぼ百字小説】(5726) かんからかんから転がっていく。空っぽだから風に吹かれてよく転がる。空き缶が次々通り過ぎる。そのために作られた専用道路なのだ。人間に与えらえた仕事は、たまに引っかかっている空き缶を拾って再び転がすこと。
あれ、いい音しますよね。風が強くて、うまく転がっていくのを見た。まるで空き缶を自動的に運ぶ仕組みみたいに見えた。そんなふうにいろんなものが自動化されたあと人間に残された仕事はこんなのになんではないか、と。実際、そういうのって機械には案外難しいんですよね。
【ほぼ百字小説】(5727) あの巨木が倒壊した。夕暮れに長く長く伸びていたその影によって、遠く離れた土地にまでその存在が知られていたが、今はもうそんな影も形もなくて、何もないことによって人々はその巨大さを思い出しているのだとか。
まあこれもあるあるですね。無くなったことで巨大さがわかる。よくも悪くも。影が遠くまでとどくものすごく大きな木、というのは、今昔物語集にも出てきますね。本当にそんなものがあったのかどうかよりも、そのイメージは魅力的。ちょっと夢の話っぽいし。
【ほぼ百字小説】(5728) 怪獣が来た。いつか映画で観たような巨大怪獣だが、何も壊さない。建物を避け、何も踏み潰さず、何も踏み抜かず、静かに静かに空気のように歩いて、そのまま街を通り過ぎた。人間なんて、もういないのかも知れない。
また怪獣を書いてしまった。調整のやり直しだ。でもまあこれはなかなかいいと思います。何も壊さない巨大怪獣、というのはなかったんじゃないか。寝てるだけの怪獣、というのはウルトラマンにありましたけどね。そもそも怪獣がなぜ暴れるのか、と言えば、たぶん人間がいるからだと思うんですよ。暴れたり壊したりするのは、怪獣にとってもなかなかしんどいことだと思うし。べつに壊す必要がなくなったら、なにもしないんじゃないかなあ。
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