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最近のほぼ百字小説   2024年12月27日~2025年1月10日

【ほぼ百字小説】をひとつツイート(ポスト)したら、こっちでそれに関してあれこれ書いて、それが24篇くらい溜まったら、まとめて朗読して終わり、という形式でやってます。気が向いたらおつきあいください。


12月27日(金)

【ほぼ百字小説】(5653) 物干しの亀が怪我をしていた。手の爪が一本、取れてしまっていて痛々しい。いったい何があったのか。とりあえず、傷が治るまでは部屋の中に入れておくことにする。亀がそれを望んでいるのかどうかはともかくとして。

【ほぼ百字小説】(5654) しばらく部屋の隅で寝ていたが、どうやら外に出たいようで、物干しに出るなり水に潜って目を閉じた。室内で冬眠したあの頃とは、もう違う。まだ娘が生まれる前のことだからな。亀も変わる。こっちもだいぶ変わった。

【ほぼ百字小説】(5655) 心配していたが、これまでと変わらず板のスロープを上り下りして盥の水に入ったり出たりできているようだし、手の怪我もだいぶ治ってきているようなのでひと安心。そういえば、あの亀の怪獣もよく怪我をしていたな。

 あったことそのまんま。亀が怪我をした。けっこう前のことで、今はあいかわらず水中で冬眠してます。

12月28日(土)

【ほぼ百字小説】(5656) どこまで転がっていくのだろうと見ているが、どこまでも転がっていく。遠近法の見本のような消失点のある風景の中を転がっていく。遠ざかっても小さくならずそのままの大きさ。転がりながら大きくなっているのかな。

 番号がゴロゴロ、なので、転がる話を、と思って書いたんですが、まあだまし絵みたいなのを書きたかったのかな。遠近法を使った錯視みたいなのはおもしろいですね。世界がバグったみたいな感じになる。

【ほぼ百字小説】(5657) どろどろいどは、どろのようにどろどろではあるが、どろに似たどろではないもので、でも自分がどろだと思いこんでいるどろどろいどもいて、いきなりそれを知らされたりするとどろのように崩れ落ちてしまうので注意。

 これもそう。「泥」でまとめていて、ちょっとこういうのがここに欲しいな、という空きを埋めるために書いた。パズルの空きの部分はそのピースの形になってるから、足りないピースの形がわかる。あ、もちろん、どろどろいど、と書きたかっただけでもある。

【ほぼ百字小説】(5658) 猿の手を読むのはもう何度目か。読んだはずなのに忘れてしまっている細部がおもしろいが、それより今は怪我をした亀のことを思わずにはいられない。物干しの盥の水底で冬眠している亀。痛々しい亀の手の回復を願う。

 このまんま。亀日記ですね。それにしても、こんなことになるとは。そして、「猿の手」は、やっぱりおもしろい。いろいろ勉強になります。もちろん亀にもいろいろ勉強させてもらってますが。

12月30日(月)

【ほぼ百字小説】(5659) 心というものが演算過程でしかない、ということが証明されてしまい、様々な計算機械がその能力を用いて次々に自分にも心があることを自ら証明し始めると、人間は次第に心というものについて言及しなくなっていった。

 心があるのかどうか問題。まあ私はどっちでもいいんじゃないかと思ってます。というのは、例えば、亀には人間が考えるような心はないだろうと思うし、でも心がないとしても亀がかわいいことには変わりないし、心がないとしてもそれによって亀という生き物の価値が変わるとも思えない。そう考えると、心のあるなしは、わりとどうでもいいことなんじゃないかと思うんですよ。そう思うようになった。

【ほぼ百字小説】(5661) タイムマシンを過去へと進める動力源は搭乗員の後悔で、だから必然的に当人にとっていい現在に属していない者たちばかりを過去に送り込むことになってしまう、というのが、これまでの計画の失敗の原因なのかもなあ。

 過去をやり直したい、という願望によってタイムトラベルが行われる、という話。まあそんなでもなければ過去に行こうなんて思いませんよね。私はそう思うんですが、違うのかな。そして、この主人公もすでに後悔している、というサゲ。

【ほぼ百字小説】(5660) 高収入だと歌っている。作業は楽で、働きやすい職場で、しかも高収入なのだという。行ってみようかな、と思ったが、男はダメ。地球人で価値があるのは、女だけらしい。つまり女にとって彼らは侵略者ではないのだな。

 こういう侵略もの。こーしゅーにゅー、というのはそういう宣伝をしているトラックが大阪にはあって、風俗店なのかな。それをそのまんま。これの侵略者はそんなのじゃなくて、本当にいい仕事を世話してくれる。それも女性にだけ。そういう侵略者が現れたとしたら、人類は男と女に分断されそうですね。そういうのはこれまであんまりなかったような気がする。

12月31日(火)

【ほぼ百字小説】(5662) 泥人間の表面に植物らしきものが芽を出す。はたしてそれは、泥人間にとっていいことなのか。抜いてしまう泥人間もいれば育てている泥人間もいるから、まだ結論は出ていないようだ。泥人間にはいろんな可能性がある。

 泥です。ここんとこずっと泥で200篇並べようとしてて、そうなるとちょっとこのへんにこういうのが欲しいな、と泥の話を書くことになる。こうなると、自分を掘っているのか自分が掘られているのかわからない。ということで、しばらくは泥の話が多めになります。泥に植物が生えたら、はたしてそれは泥人間なのか。草人間ではないのか。とか、そんなことを思って書いたのかな。泥しかない空き地もすぐに草っ原になりますからね。

【ほぼ百字小説】(5663) 泥のことを書くには、泥の気持ちを理解しなければならず、それには泥になるのがいちばんで、だが泥には書くことができないから、泥のことを書くのを誰かに依頼することになって――、そんな連鎖で世界は泥だらけに。

 例によって泥です。大晦日に泥のことばかり書いているのもどうかと思うんですが、まあ仕方がない。これは世界が泥まみれになった理由ですから、ふさわしいといえばふさわしいかもしれない。

【ほぼ百字小説】(5664) 見渡す限りのぬかるみの中に突っ立って、まだぬかるんでしまう前の世界のことを思い出そうとしているこの自分は、ぬかるみが思い出そうとしているまだぬかるむ前の何かなのだ、と思い出して、泥のように崩れ落ちる。

 世界が泥だらけになる話といえば、『ぬかるんでから』(佐藤哲也)ですが、泥の話を書いているので、また読み返して、すごいなあ、とため息をついて、そして自分の中から出てきたのがこれ。『ソラリス』の泥版でもある。

2025年
1月1日(水)

【ほぼ百字小説】(5665) 泥船が泥の海へと出航する。たくさんの泥人間が組体操のように繋がりあってできた船。ここからどこへ向かうのか。泥平線の終わりには何があるのか。乗せてもらえない役立たずの人間たちは、羨ましそうに見送るだけ。

 あけましておめでとうございます。今年も泥を並べています。それにしても、新年の最初がこれかあ。まあ船出ですから、ふさわしい光景ではあるか。何かと悪い喩えに使われる泥船ですが、泥の海なら大丈夫かも、とか、わりと前向きですね。いや、人間にとってではなく坭人間にとって、ですが。
 まあこんな調子ですが、本年もよろしくお願いします。

【ほぼ百字小説】(5666) 泥コンピュータです。正確に積み上げられた泥が崩れ落ちる過程が演算で、その操作は、泥とどれだけ仲良くなれるか、にかかっていると言われていますが、さらなる上級者になると喧嘩したり仲直りしたりもできるとか。

 新年そうそう泥だらけですが、まあ今はそればっかり考えてるんだから仕方がない。泥マシンというのはなかなかおもしろいんじゃないかと思います。泥の粒子サイズのナノマシンの集合体とか。ソラリスの海もそういうものじゃないかなあ。まああっちはたぶん天然ですが。そして、道具を扱うのには、ちょっと理屈では説明できないコツみたいなものがある、というのはあるあるですよね。

【ほぼ百字小説】(5667) 竜だと思っていたがどうやらそれは竜の着ぐるみで、竜の着ぐるみを来て竜に成りすましていたのだ。いや、騙したなんて言うけど、そもそも竜なんて実在しないんだから。脱皮するように着ぐるみを脱ぎ捨てた蛇が言う。

 あまりにも泥だらけなので、お正月っぽいやつも。辰から巳なんですね。竜と蛇って、似たのが続き過ぎじゃないか、もうちょっと離したほうがいいのでは、とかよく思ってました。まあ体形はだいたい同じだから着ぐるみにも入れる、ということで。

【ほぼ百字小説】(5668) 例年通り妻の実家へ行き、例年通り近所の川に棲む尻尾の長い動物に橋の上から挨拶。夫婦と子供らしき三匹がいる。何年もずっとそうだから、同じ個体とは思えないが、どうなのかな。まあこっちもそうかもしれないが。

 ヌートリアです。何年か前に見つけて、毎年見ている。まったくそのまんま。でもまあヌートリアじゃなく何かわからない動物、として読んでもおもしろいかも。いや、実際、ヌートリアだと思い込んでるだけですからね。

1月2日(木)

【ほぼ百字小説】(5669) 私には違いないのだが、どうやら妻の夢の中の私らしい、とわかったのは、今朝妻から夢の話を聞かされていたから。入れ替わってみるか、と妻の夢の中の私。言われて前回のことを思い出し、いや、もうこりごり、と私。

 妻はすごく夢を見る。それもけっこう長くて細かい。そんな夢に私が出てくる。こないだもそんな話を聞かされた。夢の中の私は、えっ、なんで? というような変なことをしていて、でもそんなこと聞かされてもこっちはどうしようもないわけで、妻の中では私がやったのと同じことなんでしょうけど。入れ替わるのはおもしろいそうだけど、とんでもない目に合いそうな気もするし。

【ほぼ百字小説】(5670) いつからか去年と今年を貫くのは棒状の何かになっていて、だから今年もそれを確認しに来た。なるほど、見事に貫かれている。これがあるから去年と今年の連続性が保たれているのだな。貫かれながら今年も更新される。

 去年今年、といえば虚子の句ですね。それは詩的な表現ととっても、言葉のまんまSF的だったり不条理的な光景ととっても、なかなかおもしろい。毎年この時期にはあの句を思い出して、そしてそれをネタにして作ったりしてる。まあ名作なんでしょうね。これはSFかな。意識とか記憶の連続性の話。そのための処置を受けないといけない存在の話。

1月3日(金)

【ほぼ百字小説】(5671) 妻と娘が新年早々出かけていった、と思ったら、なにやら抱えて帰ってきた。福袋だという。今は部屋の隅に転がしているが、ときおり動いたり袋越しにうめき声みたいなのが聞こえたりする。思い切り蹴ると静かになる。

 福袋というのはおもしろい言葉だなあと思う。福が入ってる袋。でも何が入ってるのかわからない。福だ福だと言っている。まあそんなところから。あと袋を蹴るのは、「山寺の和尚さんが」というあの歌ですね。あ、新年早々、黒沢清の映画を観たせいもあるかも。

【ほぼ百字小説】(5672) あれが獅子舞かどうかはともかく、かたかたと口を開閉させながらあの姿で家に入って来て噛むのは同じ。噛まれた者は、どこで手に入れるのか一式を用意して獅子舞になる。感染とかではなく趣味なら別にいいんだけど。

 お正月ネタですが、なんというか、あれですね。もうちょっとおめでたいこと書けないのか、という感じです。クリスマスでもこんな感じになってしまうし、ほんと困ったもんだ。外見は、獅子舞に似た何か。性質は、ゾンビに似た何か。いろいろ謎ですが、謎なんだから仕方がない。それはそれとして、獅子舞ってマジで怖いですよね。私は子供の頃、家に来た獅子舞に噛まれて泣いた記憶があります。もしかしたらあれがいちばん古い記憶かも。

1月4日(土)

【ほぼ百字小説】(5673) おめでたいかどうかあけてみるまでわからない。観測できないからわからないのではなく、めでたくもありめでたくもなしの状態にあって、あけたとき初めてどちらかの状態に収束するのだ。それが嫌だからあけない者も。

 お正月観測問題。まあそれだけの話。あけまして、というのがおもしろいですよね。新しい箱を開けるみたいで。

【ほぼ百字小説】(5674) このあたり、どこを掘っても古墳が出る。ほら、このショッピングモールの隣にもひとつ。いやあ、ここでも出たんじゃないかなあ。でも見なかったことにして――。だって、このモール、真上から見ると鍵穴の形してる。

 まあ、あるあるなんじゃないでしょうか。どのあたりとは言いませんが、ショッピングモールの隣に古墳、あそこにもここにも古墳、というのは本当。いや、絶対ここの工事のときにも何か出てるよなあ、とか。

1月5日(日)

【ほぼ百字小説】(5675) 始まりは、ごっこだった。泥団子に泥饅頭に泥ケーキに泥コーヒー。人間はそれを食べる真似しかできなかったけど、本当に食べることができる泥人間にとってはごっこじゃない。人間ごっこも人間ごっこじゃなくなった。

 まあ『カメリ』がこんな話。泥でやってるごっこなんですが、それを食べることができるものにとってはごっこでもなんでもない。人間よりもずっと強い。そこでは生きていけない人間の代わりに人間になれる。

【ほぼ百字小説】(5675) 徐々に泥と入れ替わっていったのは、陰謀とか侵略とかじゃなくて、替われるものなら替わって欲しいと思ってた者がそうしていったから。人間というのは、詰め替え可能の容器でしかなかったわけ。さて、私もそろそろ。

 もうお正月気分も終わったので、ということもないですが、泥を並べます。なかなか泥は難しい。泥人間と人間が入れ替わっていく、なんてのは、いかにも侵略ものっぽいですが、実際にはこんなではなかろうか、と。もう替わって欲しいんですね、人間のほうが。それで、入れ替わる。ペットボトルの中身が変わるみたいなもので。

【ほぼ百字小説】(5677) 犬の遠吠えを永く聞いてない。子供の頃は町のあちこちから聞こえたし、深夜のコール&レスポンスまであったものだが。そんなことを思ったのは、あの頃のように遠吠えがしたくなったから。あれって、犬だったのかな。

 どうなのかな。昔はほんとによく聞きましたよね。そして、大学の頃、酔っぱらって公園とかで何人かで遠吠えするのが流行ったことがあった。アホなことやってました。うまく遠吠えするとちゃんと返ってくる。それがおもしろくて延々やってたんですが、まあ考えたら遠吠えだけしか聞いてないんだから、あれって犬じゃなくて同じような酔っぱらいだったのかも。

1月6日(月)

【ほぼ百字小説】(5678) 充分にぬかるんだぬかるみには波が発生し、ゆっくり立ち上がる大きな波は、なだらかな丘のように見えたりする。丘の上には教会のようなものが見えたり、そのふもとに町のようなものが見えたりすることもあるらしい。

 泥ソラリスですね。ぬかるみ、という言葉が好きです。その字面も音も。いかにも泥っぽい。そしてぬかるみにもいろいろ。液状化しているぬかるみは、もう海と同じ、というか、海よりいろんなものを作りやすいような気がする。

【ほぼ百字小説】(5679) 充分にぬかるんだぬかるみには波が発生すると聞いて、まだ充分ではなかったか、とさらにぬかるむようにやってみて、身体の表面にさざ波くらいは立つようになった。自分の中からもっと大きな波が来るのを待っている。 

 上のペア。波だから量子エンタングルメントみたいもんかな。大きなぬかるみに小さなぬかるみ。そして泥人間は小さな生きたぬかるみですね。そこにも波が発生するとしたら。そして波と言えば、ビッグウェンズデー。

1月7日(火)

【ほぼ百字小説】(5680) あけない年はない、などとしたり顔で言う者もいるが、もちろんあけない夜があるのと同様、あけない年もある。だから、あけない夜の中でやまない雨に打たれる、ということもけっしてないとは言えない、こんなふうに。

 まあこういうのも、というか、こういうのばかりか。でもそれも仕方がない。小説は現実の反映ですからね。どうもろくでもない年になりそうなことばかりで。新年早々どうもすみません。

【ほぼ百字小説】(5681) 二階の物干しの亀がじつは天使であることに気がついたのは最近のことだが、しかし同時に亀であることにも違いはないから、今は亀らしく水底で冬眠していて、でも天気のいい日にはそれが天使の水死体のように見える。

 この【ほぼ百字小説】における、亀と天使の関係。『かめたいむ』と『交差点の天使』をまとめていて、わかったこと。亀と天使はかなり近い、というか、光の粒子性と波動性みたいなものかもしれない。ふたつあわせてひとつのものなのかも。

12月8日(水)

【ほぼ百字小説】(5682) 豆腐を引き揚げるように冬眠している亀を冷たい水から取り出して、布を敷いた紙箱に入れて蓋をする。亀は盥の水底で寝ていたいだろうが、手の怪我は乾かすほうがいいだろう。この冬は箱の中でおとなしく冬眠しろよ。

 今の亀。年末に怪我をしたので、いろいろ心配ですが、まあこのくらいしかできない。それにしても冷え切ってるなあ。こんなに冷たくなるんだ。亀はすごい。

1月9日(木)

【ほぼ百字小説】(5683) あかんようになる、というのは、開かんようになるのか、明かんようになるのか、空かんようになるのか、点検しようにも隙間なくぎっちりと泥がつまってどうやっても開けられなくなってしまった重くて暗い頭で考え中。

 あかんなあ、という言葉は、関西人ですからしょっちゅう使っていて、そしてほんまにあかん感じがする言葉だなあと感心したりするのですが、実際にそれがどういう語源なのかは知らなかったりする。まあそれも含めてあかんところですね。あけましておめでとう、から連想した絵でもあります。頭を開けてるところ。まあここでは開かないんですが。

1月9日(金)

【ほぼ百字小説】(5684) 箱の中に入れた亀のことを思いながら、箱亀か、などとつぶやいて、そう言えば昔、暖房の無いアパートで暮らしていた頃、NIKEの箱の中に入れて部屋の隅で冬眠させていたことを思い出す。亀は憶えているだろうか。

 亀日記。今、こんな感じ。そして、三十年ほどいっしょに暮らしてきたので、三十年分の亀との記憶がある。不思議なもんです。いつか『かめたいむ2』を出したい。

【ほぼ百字小説】(5685) 固い大地の上を歩くように、泥海の上を泥人間が歩いている。一見そんなふうに見えるが、実際は泥海の表面が人間の形に盛り上がっていて、その盛り上がる場所が変化しているだけ。泥は上下にしか動いていないらしい。

 泥アニメーション、というか、ライトが順番に点滅してって、光点がその方向に進んでるように見えるやつありますよね。まああんな感じか。なんのために泥の海がそんなものを見せるのかわからないが、とにかくそういうものらしい、ということはわかってる。

【ほぼ百字小説】(5686) 泥仕合だ。双方共に戦略も技術も泥縄式で、戦いは泥沼化の様相を呈し、ふらふらの泥酔状態。それでも決着だけはつけねば主催者の顔に泥を塗ることになるから、とここまでは続けたがついに時間切れで、判定はドロー。

 いやまあこれだけのやつです。泥尽くしというか、泥だらけというか。まあこういうのもお正月っぽい。もうお正月でもないですが。

【ほぼ百字小説】(5687) 狸はいつも雨を連れてくる。この雨も狸が近くにいるからに違いなくて、なによりの証拠に、雨は家の外だけでなく家の中にも降っている。もう家に入り込まれているのだ。もうすぐ、この頭の中にも降り始めるのだろう。

 子供の頃、雨のしょぼしょぼ降る晩に豆狸がとっくり持って酒買いに、という歌をよく歌って聞かせてくれました。雨の夜に狸は似合いますね。もしかしたら、その雨も狸が化かして作っているもので、化かされているとしたら、その雨は頭の中でだけ降っている雨かも、とか。

 というわけで、今回はここまで。

まとめて朗読しました。

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【ほぼ百字小説】(5653) 物干しの亀が怪我をしていた。手の爪が一本、取れてしまっていて痛々しい。いったい何があったのか。とりあえず、傷が治るまでは部屋の中に入れておくことにする。亀がそれを望んでいるのかどうかはともかくとして。

【ほぼ百字小説】(5654) しばらく部屋の隅で寝ていたが、どうやら外に出たいようで、物干しに出るなり水に潜って目を閉じた。室内で冬眠したあの頃とは、もう違う。まだ娘が生まれる前のことだからな。亀も変わる。こっちもだいぶ変わった。

【ほぼ百字小説】(5655) 心配していたが、これまでと変わらず板のスロープを上り下りして盥の水に入ったり出たりできているようだし、手の怪我もだいぶ治ってきているようなのでひと安心。そういえば、あの亀の怪獣もよく怪我をしていたな。

【ほぼ百字小説】(5656) どこまで転がっていくのだろうと見ているが、どこまでも転がっていく。遠近法の見本のような消失点のある風景の中を転がっていく。遠ざかっても小さくならずそのままの大きさ。転がりながら大きくなっているのかな。

【ほぼ百字小説】(5657) どろどろいどは、どろのようにどろどろではあるが、どろに似たどろではないもので、でも自分がどろだと思いこんでいるどろどろいどもいて、いきなりそれを知らされたりするとどろのように崩れ落ちてしまうので注意。

【ほぼ百字小説】(5658) 猿の手を読むのはもう何度目か。読んだはずなのに忘れてしまっている細部がおもしろいが、それより今は怪我をした亀のことを思わずにはいられない。物干しの盥の水底で冬眠している亀。痛々しい亀の手の回復を願う。

【ほぼ百字小説】(5659) 心というものが演算過程でしかない、ということが証明されてしまい、様々な計算機械がその能力を用いて次々に自分にも心があることを自ら証明し始めると、人間は次第に心というものについて言及しなくなっていった。

【ほぼ百字小説】(5660) 高収入だと歌っている。作業は楽で、働きやすい職場で、しかも高収入なのだという。行ってみようかな、と思ったが、男はダメ。地球人で価値があるのは、女だけらしい。つまり女にとって彼らは侵略者ではないのだな。

【ほぼ百字小説】(5661) タイムマシンを過去へと進める動力源は搭乗員の後悔で、だから必然的に当人にとっていい現在に属していない者たちばかりを過去に送り込むことになってしまう、というのが、これまでの計画の失敗の原因なのかもなあ。

【ほぼ百字小説】(5662) 泥人間の表面に植物らしきものが芽を出す。はたしてそれは、泥人間にとっていいことなのか。抜いてしまう泥人間もいれば育てている泥人間もいるから、まだ結論は出ていないようだ。泥人間にはいろんな可能性がある。

【ほぼ百字小説】(5663) 泥のことを書くには、泥の気持ちを理解しなければならず、それには泥になるのがいちばんで、だが泥には書くことができないから、泥のことを書くのを誰かに依頼することになって――。そんな連鎖で世界は泥だらけに。

【ほぼ百字小説】(5664) 見渡す限りのぬかるみの中に突っ立って、まだぬかるんでしまう前の世界のことを思い出そうとしているこの自分は、ぬかるみが思い出そうとしているまだぬかるむ前の何かなのだ、と思い出して、泥のように崩れ落ちる。

【ほぼ百字小説】(5665) 泥船が泥の海へと出航する。たくさんの泥人間が組体操のように繋がりあってできた船。ここからどこへ向かうのか。泥平線の終わりには何があるのか。乗せてもらえない役立たずの人間たちは、羨ましそうに見送るだけ。

【ほぼ百字小説】(5666) 泥コンピュータです。正確に積み上げられた泥が崩れ落ちる過程が演算で、その操作は、泥とどれだけ仲良くなれるか、にかかっていると言われていますが、さらなる上級者になると喧嘩したり仲直りしたりもできるとか。

【ほぼ百字小説】(5667) 竜だと思っていたがどうやらそれは竜の着ぐるみで、竜の着ぐるみを来て竜に成りすましていたのだ。いや、騙したなんて言うけど、そもそも竜なんて実在しないんだから。脱皮するように着ぐるみを脱ぎ捨てた蛇が言う。

【ほぼ百字小説】(5668) 例年通り妻の実家へ行き、例年通り近所の川に棲む尻尾の長い動物に橋の上から挨拶。夫婦と子供らしき三匹がいる。何年もずっとそうだから、同じ個体とは思えないが、どうなのかな。まあこっちもそうかもしれないが。

【ほぼ百字小説】(5669) 私には違いないのだが、どうやら妻の夢の中の私らしい、とわかったのは、今朝妻から夢の話を聞かされていたから。入れ替わってみるか、と妻の夢の中の私。言われて前回のことを思い出し、いや、もうこりごり、と私。

【ほぼ百字小説】(5670) いつからか去年と今年を貫くのは棒状の何かになっていて、だから今年もそれを確認しに来た。なるほど、見事に貫かれている。これがあるから去年と今年の連続性が保たれているのだな。貫かれながら今年も更新される。

【ほぼ百字小説】(5671) 妻と娘が新年早々出かけていった、と思ったら、なにやら抱えて帰ってきた。福袋だという。今は部屋の隅に転がしているが、ときおり動いたり袋越しにうめき声みたいなのが聞こえたりする。思い切り蹴ると静かになる。

【ほぼ百字小説】(5672) あれが獅子舞かどうかはともかく、かたかたと口を開閉させながらあの姿で家に入って来て噛むのは同じ。噛まれた者は、どこで手に入れるのか一式を用意して獅子舞になる。感染とかではなく趣味なら別にいいんだけど。

【ほぼ百字小説】(5673) おめでたいかどうかあけてみるまでわからない。観測できないからわからないのではなく、めでたくもありめでたくもなしの状態にあって、あけたとき初めてどちらかの状態に収束するのだ。それが嫌だからあけない者も。

【ほぼ百字小説】(5674) このあたり、どこを掘っても古墳が出る。ほら、このショッピングモールの隣にもひとつ。いやあ、ここでも出たんじゃないかなあ。でも見なかったことにして――。だって、このモール、真上から見ると鍵穴の形してる。

【ほぼ百字小説】(5675) 始まりは、ごっこだった。泥団子に泥饅頭に泥ケーキに泥コーヒー。人間はそれを食べる真似しかできなかったけど、本当に食べることができる泥人間にとってはごっこじゃない。人間ごっこも人間ごっこじゃなくなった。

【ほぼ百字小説】(5676) 徐々に泥と入れ替わっていったのは、陰謀とか侵略とかじゃなくて、替われるものなら替わって欲しいと思ってた者がそうしていったから。人間というのは、詰め替え可能の容器でしかなかったわけ。さて、私もそろそろ。

【ほぼ百字小説】(5677) 犬の遠吠えを永く聞いてない。子供の頃は町のあちこちから聞こえたし、深夜のコール&レスポンスまであったものだが。そんなことを思ったのは、あの頃のように遠吠えがしたくなったから。あれって、犬だったのかな。

【ほぼ百字小説】(5678) 充分にぬかるんだぬかるみには波が発生し、ゆっくり立ち上がる大きな波は、なだらかな丘のように見えたりする。丘の上には教会のようなものが見えたり、そのふもとに町のようなものが見えたりすることもあるらしい。

【ほぼ百字小説】(5679) 充分にぬかるんだぬかるみには波が発生すると聞いて、まだ充分ではなかったか、とさらにぬかるむようにやってみて、身体の表面にさざ波くらいは立つようになった。自分の中からもっと大きな波が来るのを待っている。

【ほぼ百字小説】(5680) あけない年はない、などとしたり顔で言う者もいるが、もちろんあけない夜があるのと同様、あけない年もある。だから、あけない夜の中でやまない雨に打たれる、ということもけっしてないとは言えない、こんなふうに。

【ほぼ百字小説】(5681) 二階の物干しの亀がじつは天使であることに気がついたのは最近のことだが、しかし同時に亀であることにも違いはないから、今は亀らしく水底で冬眠していて、でも天気のいい日にはそれが天使の水死体のように見える。

【ほぼ百字小説】(5682) 豆腐を引き揚げるように冬眠している亀を冷たい水から取り出して、布を敷いた紙箱に入れて蓋をする。亀は盥の水底で寝ていたいだろうが、手の怪我は乾かすほうがいいだろう。この冬は箱の中でおとなしく冬眠しろよ。

【ほぼ百字小説】(5683) あかんようになる、というのは、開かんようになるのか、明かんようになるのか、空かんようになるのか、点検しようにも隙間なくぎっちりと泥がつまってどうやっても開けられなくなってしまった重くて暗い頭で考え中。

【ほぼ百字小説】(5684) 箱の中に入れた亀のことを思いながら、箱亀か、などとつぶやいて、そう言えば昔、暖房の無いアパートで暮らしていた頃、NIKEの箱の中に入れて部屋の隅で冬眠させていたことを思い出す。亀は憶えているだろうか。

【ほぼ百字小説】(5685) 固い大地の上を歩くように、泥海の上を泥人間が歩いている。一見そんなふうに見えるが、実際は泥海の表面が人間の形に盛り上がっていて、その盛り上がる場所が変化しているだけ。泥は上下にしか動いていないらしい。

【ほぼ百字小説】(5686) 泥仕合だ。双方共に戦略も技術も泥縄式で、戦いは泥沼化の様相を呈し、ふらふらの泥酔状態。それでも決着だけはつけねば主催者の顔に泥を塗ることになるから、とここまでは続けたがついに時間切れで、判定はドロー。

【ほぼ百字小説】(5687) 狸はいつも雨を連れてくる。この雨も狸が近くにいるからに違いなくて、なによりの証拠に、雨は家の外だけでなく家の中にも降っている。もう家に入り込まれているのだ。もうすぐ、この頭の中にも降り始めるのだろう。

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 以上、35篇でした。

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