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最近の【ほぼ百字小説】 2024年11月17日~11月28日

【ほぼ百字小説】をひとつツイート(ポスト)したら、こっちでそれに関してあれこれ書いて、それが24篇くらい溜まったら、まとめて朗読して終わり、という形式でやってます。気が向いたらおつきあいください。


11月17日(日)

【ほぼ百字小説】(5571) 最近、スナック菓子もパンも大きくなったように見えるが実際は小さくなっていて、でもそれ以上にこっちが小さくなっていて、それで小さくなったことをごまかしているらしい。こうしてヒトは小さくなっていくんだな。

 ほんとにいろんなものの値上がりがすごい。たまにスーパーに行くとびっくりします。そして、ステルス値上げというやつですね。小さくなるやつ。それがなぜか大きくなっている。その真相は、という話。あ、『ウルトラQ』の「8分の1計画」も入ってますね。

【ほぼ百字小説】(5572) いわゆるUFOが、夜の物干しから手の届く高さまで降下して来たが、光を放つその船底に並んでいるのはなぜか白熱電球。手を伸ばしてくるくる回すと簡単にソケットから外れたそれが今、うちにある。六十ワットだな。

 先日の犬街ラジオで、『未知との遭遇』の手に届くくらいの高さをUFOが飛び過ぎていくところがいいなあ、という話をしたせいか、そういうのを書きたくなって。電球がいっぱい使われているUFO。まあ地球に来てるんだから、地球で調達した材料を使って改造とかされててもおかしくはないですよね。

11月18日(月)

【ほぼ百字小説】(5573) どろにんげんはどろをたべるよ。でも、どんなどろでもいいってわけじゃない。いいどろしかたべないよ。と、どろにんげんはいう。どんなどろもおかまいなしにたべるなんてのは、にんげんだけさ、きみたちみたいなね。

 泥人間の話はけっこう書いてるんですよ。まあ『カメリ』とか『どろんころんど』に出てくるヒトデナシみたいなものですね。この泥人間がどういうものなのか、実際には私にもよくわかってない。ときどき頭の中に出て来て、こんなふうなことを言ったりする。
 別に出せる予定があるわけじゃないんですが、勝手に次の百字劇場をまとめようとしていて、それがたぶん「月」と「泥」になりそうです。だから、月と泥のことを最近はよく考えていて、それでまた出てきたんでしょうね。

【ほぼ百字小説】(5574) 今宵の月がいつもより大きいのは見えかたの問題ではなく、実際に膨張しているのだ。昔はそこまでではなかったのだが昨今では、その表皮の耐えられる限界近くまで内圧を上げて膨らむ。SNSの影響だと言われている。

 で、泥の次は、月。最近は、スーパームーンとかストロベリームーンとか、月の呼び方がずいぶん増えました。まあネットですよね。遠近法的な錯視で月は大きく見える、と思ってたんですが、スーパームーンはいつもより地球に近くてだから錯覚ではなく普段見るよりわずかに大きいらしい。でもまあそれも見えかたですね。そして、大きく見える理由をもうひとつ。


11月19日(火)

【ほぼ百字小説】(5575) 玄武岩という単語は前から知ってはいたが、その玄武があの亀のことなのかと今さら気づいて、岩石に内包されている六角形が甲羅にぴたりとはまるように腑に落ちた。世界を構成する要素がまたひとつ、亀に回収される。

 ずっと玄武岩の玄武と神獣の玄武とが結びついていませんでした。まあ言われてみればそうですよね。ただそれだけ。なんかすごく新鮮だったので。

【ほぼ百字小説】(5576) ひさしぶりに死人のかんかん踊りを堪能する。死人になってもかんかん踊りはできるが、死人にかんかん踊りさせるのも、そんなライブを楽しめるのも、生きているあいだだけだな。笑いながらつくづく思う。ライブだ。

 先日、サンケイホールでの桂雀三郎独演会に行って、ひさしぶりに「らくだ」を聴きました。いやもう、すごかった。雀三郎師匠のらくだは、何度も聴いてますが、最近の師匠の落語は、ほんとに力が抜けていて、でももちろん力があって、達人の域だと思います。こんな落語が聴けるとは。テレビで上方落語大全集を観ていた小学生の自分に自慢したい。死人のかんかん踊りは、その「らくだ」という話の中に出てきます。二人で死体を持って躍らせる、と書いてもなんのこっちゃ、ですね。もし聴いたことなければ、ぜひ「らくだ」を聴いてみてください。あんなおもしろい話、ちょっとないですから。

11月20日(水)

【ほぼ百字小説】(5577) 月の海から見る地球のような月、という句を思いついたが無季か、まあ月からは地球の北半球も南半球も同時に見えるからな、いや待て、この句の視点人物は地球から月を見てるのか、などと月から地球を見ながら思案中。

 月から見た地球の写真がありますね。地球から見た月みたいな地球。その逆の俳句を月で思いつく、という話。俳句もフィクションですから、月にいながら地球で詠んだような句を詠むことはできる。それを思いついたのが、月みたいな地球を見たときだった、というだけ。

11月21日(木)

【ほぼ百字小説】(5578) ぬいぐるみとは無理でも、亀とならできるぞっ。つい声を荒げてしまったのは、ぬいぐるみと話せないことを亀に指摘されてくやしかったから。物干しから居間に戻ると、あんまり大声で亀と話さないほうがいいよ、と妻。

 わりといますよね、ぬいぐるみと話す人。知り合いにもいる。あれは当人の中ではどうなってるのかなあ、ぬいぐるみがぬいぐるみだということがわかってないはずないしなあ、とか思ったりしてたんですが、まあ考えたら私も亀とはよく話してる。

【ほぼ百字小説】(5579) 亀にはスキップなどできない、と一般には思われているが、冬眠のあいだ、冷え切った亀の体内時間はほとんど静止していて、だから亀にとっては、冬眠に入ったとたん春になる。そうやって亀は時間をスキップするのだ。

 亀のスキップ。水の中で冬眠している亀の主観的時間のことをよく考えます。肺呼吸なのに、水中で冬眠できるくらいだから、もうほとんど仮死状態ですね。生きているのに死んでいる。冬の亀は時をかける。

【ほぼ百字小説】(5580) 子供の頃は、よく月が降りてきた。稲刈りが終わった田んぼとか、空き地とか、川原とか。そういうある程度の広さがある平らなところが無くなってしまったから、降りてこなくなったのかな。そう思っていた頃もあった。

 子供の頃の、夢だか現実だかよくわからない記憶、というのが大好きで、私にもいくつかある。これはそれとは違うんですが、それを見本にして「月」で作ったやつ。なんかこんなことがあったような気がする、という感じの記憶。そして、子供の頃の自分はそれが普通のことだと思っていた。だから、最近降りてこないのはなんでだろう、と不思議に思っていた時期もあった、という話で、降りてくるのが当たり前なら、降りてこなくなった理由を考えるだろう、と。

11月22日(土)

【ほぼ百字小説】(5581) 押入れの奥に穴を見つけてしまった。では、やっぱり狸か。よく旅行に出るのは、向こうに用事があるからか。どうせならバレないようにうまく化かして欲しいが、こんなうかつさもやっぱり狸だからか、と妻の旅行中に。

 狸ものは『納戸のスナイパー』として一冊にまとめましたが、今もあいかわらず狸は出てきます。やっぱり私を作っているかなり重要な部分なんでしょうね、狸的世界観みたいなものは。このすぐにバレてしまう間抜けなところがあって、でもまあ化かされてもいいか、という感じは狐にはない。いや、どっちも実際には知らないけど。そのうち、『納戸のスナイパー』の続編、というか、狸ものでもう一冊作りたい。

【ほぼ百字小説】(5582) お椀の形をした月に見えていたあれは、月に擬態した船だったんだな。色も形もそっくりだから、ここまで近づいてきて、やっとそれがわかった。小型乗用車くらいの大きさのそれが今、二階の窓に横付けしてくれている。

 これもちょっと狸っぽいですが、でもこれは月ですね。月でまとめるのに入れよう、というか、今、月でまとめることを考えているので月の話が浮かぶ。このくらいの大きさの月とそっくりの何かが二階の高さに浮かんでいる、というのはなかなか絵になるんじゃないかと思う。

11月23日(土)

【ほぼ百字小説】(5583) 線路が敷かれることになったから、もうそこでは遊べなくなった。線路が敷かれればいろいろ便利になる、と大人たちは言っていた。線路は敷かれて、その上を列車が走って来て走り過ぎた。駅はいつまでもできなかった。

 あるあるですね。

【ほぼ百字小説】(5584) 旅先の妻から写真が送られてくる。それは、もうひと昔ほど前にいっしょに泊まった宿だったり、歩いた海岸や買い物をした雑貨屋、そしてあのとき探し回ったが結局出会うことができなかった亀。セマルハコガメの写真。

 あったことそのまんま。それにしてもほとんど変わっていない。懐かしい。また行きたい。どこに行ったのかはクイズにするまでもないですね。

【ほぼ百字小説】(5585) あの公園をジュラシック公園と呼んでいたのは、恐竜がいたから。その恐竜は、コンクリートの山にある洞穴みたいな土管の中にひとりで棲んでいた。土管の奥から聞こえてくる声は、お風呂の中で泣いてるみたいだった。

 小さいジュラシックパークの話。なんかこういうのが好きなんですね。夢だか本当だかよくわからない記憶っぽい話。恐竜もそんなに大きくない。

【ほぼ百字小説】(5586) ヒトというよりカッパのように見えるのは、復元の際、欠損している遺伝情報をカメやカエルのそれで補ったから。水辺でカメやカエルたちと仲良くやっているのもそれでか。そんな生き物なら、ヒトは滅びなかったかも。

 ジュラシックパークつながり。滅びた生き物を復元する方法は同じ。だから、ヒトに似てるんだけどちょっと違うものができてしまう。その点は、ジュラシックパークも同じですね。まあオリジナルの通りならいい、というわけでもないし。

11月24日(日)

【ほぼ百字小説】(5587) 妻の実家の庭には小人が出現することがあって、妻は何度も目撃しているとか。すごく小さいよ、と妻は言う。ちょっと前にもひさしぶりに見たけど、昔見たときより小さくなってた。あれは成長してるのかもしれないね。

 小人が出る庭の話は、だいぶ前に旅行していたとき聞いた。それを言ってた人は、いろんなものを見る人だったので、まあそういうのもおもしろいな、という程度で聞いてましたが。で、ちょっと離れたところにあって、時間を置いて何度も目撃するには、ということでこういうことに。だんだん小さくなっていくのは「縮みゆく人間」(昔のSF映画にそういうのがあったことは知ってるんですが観たことはない。ストーリーは知ってる)かな。

【ほぼ百字小説】(5588) 日課のように自分の頭を掘っているのは、泥にまみれた何かの部品らしきものが出てくるからで、掘り出したそれらを並べて、自分の中に埋まっているこれらはいったい何の部品なのだろう、と穴だらけの頭で考えている。

 今ココ、というか、ずっとこんな感じですね。考えたら「頭山」をやってるのか、とか。

【ほぼ百字小説】(5589) 貸金庫の中に死体、それも人間にこんなことができるのかというようなぐちゃぐちゃの惨殺死体だ。わかりました、と探偵。冬眠目的で貸金庫に入ってきた熊と窃盗目的で貸金庫に入ってきた行員とが鉢合わせしたのです。

 銀行の行員による貸金庫からの窃盗、というニュースで、藤井太洋さんが、ミステリに使えないか、みたいなツイートをされていて、それに対して私が、貸金庫に死体が、というのを返した。まあそこから、そういうアホミスを書いてみようと思って。探偵は、ぜんぜん謎が解けてないのに、謎が解けたみたいな顔をすること。

【ほぼ百字小説】(5590) 月光のほうが日光より曲がりやすくて、それで家々や塀の隙間をぐねぐね抜けて、こんな路地の奥の借家の小窓まで届くのだ。何度も曲げられた月光は散乱しにくくなっているから、こうして窓の下の浴槽に溜めておける。

 なんでこんなことを考えたのかなあ。もしかしたら、『コブラ』のことを考えたせいかも。懐かしい絵を見たんですね。で、なんでそれがこういうことになるかといえば、コブラのサイコガン、あのビームは曲がるんですよ。なんで曲がるのかはしらない。精神力かな。とにかくああいうのは絵の強みですよね。理屈抜きで、もう曲がってるところを描かれると、ああ曲がるのかあ、と納得するしかない。そうなるともう、曲がるんなら溜まりもするだろ、と川とか池みたいな感じに。

11月25日(月)

【ほぼ百字小説】(5591) 巨大怪獣をやってたことがある。巨大じゃなくてむしろ小柄だが、ミニチュアの街で暴れて見せた。ミニチュアの時代が終わって職場を去る日、花束と着ぐるみをもらった。ヒトの着ぐるみ。今もそれを着て、演じている。

 巨大怪獣を演じていた小型怪獣の話。まあ『大怪獣記』という長編というか連作短編というかそういうのを書いたんですが、そのときによくこんなことを考えてたけど、その話の中には入れられなかった。で、最近もまた怪獣のことを考えてて、そういえば、と思い出して書いた。

【ほぼ百字小説】(5592) 最近の気候の変動のせいか、坂が削られてどんどん急になってきていて、それなりの装備がなければとても下ることができそうにない。転げ落ちても同じでは、などというのは生者の考えで、死者だって死ぬのは怖いのだ。

 黄泉平坂の話。死者の国と生者の世界を隔たているのが坂道、というのはすごいと思う。地続きで、でもやっぱり隔てられてはいる。でもはっきりした境界はたぶんない。坂道、というだけですからね。そして坂道だから、激しい雨に削られたりもする。

11月27日(火)

【ほぼ百字小説】(5593) ビル街ではなく怪獣の墓場。だからビルではなく怪獣のお墓。では、暴れているのではなくお墓参りなのか? そう尋ねると、違う違う、遊んでるだけ。でも墓場で遊ぶのって危ないんだよ。墓石が倒れてきたら死ぬから。

 ビル街で暴れている怪獣を見て、よくこんなことを思う。あれって、人間がお墓で暴れてるみたいな感じだよなあ、とか。そう考えると、ビルを壊すのもけっこう大変そうだし、危なそうだ。お墓で遊んではいけません。

11月27日(水)

【ほぼ百字小説】(5594) 昔、同じ映画に出演したのだが、商店街で出会ってもわからなかったのも道理、あの頃の彼はまだ小学生だったのだ。変わったなあ、と私は言い、変わってませんねえ、と彼は言う。もうずいぶん昔のことだったんだなあ。

 あったことそのまんま。映画は『月夜釜合戦』という映画。西成が舞台で16ミリフィルムで撮ったやつ。撮影してたのは、もう10年ほど前か。海外でいくつか賞を取った。DVDにすればいいのなあ。あ、私ももちろん変わった。頭もだいぶ白くなった。でもまあ私より背が高くなった彼からすればその程度の変化、変わったうちに入らないんでしょうね。

11月28日(水)

【ほぼ百字小説】(5595) 昔、メンテナンスのアルバイトをしていた博物館へ。あの頃のままのところも変わったところもあって、懐かしいような寂しいような。呪いの人形は今もガラスケースの中。あのガラスケースの中に入ったこともあったな。

 万博公園にあるみんぱく(民俗学博物館)です。バイトをしていたのは、本当。アフリカの呪いの人形もあります。でも、今はだいぶ小さなケースになってました。私がバイトしてた頃は、もっと大きくて、鍵を開けて中に入れるガラスケースでした。これ、大丈夫かいな、とかつぶやきながら入ってた。

【ほぼ百字小説】(5596) あの球面のスクリーンに昔から映写されてきた映画だ。誰もが観たことがある映画だが、いつから続いているのか、いつまで続くのか、誰も知らない。そんな長い長い映画。夜空にあるその銀幕は、月、とも呼ばれていた。

 月もの。今、次の百字劇場(まだ出る予定はありません)のために「月」の話を並べているのですが、それでわかったのが、私は月と映画を似たものとして捉えているらしい、ということ。まあ自分で光ってるんじゃなくて、光を当てられて光っているものですからね。映画のスクリーンと同じ。まあそんなことを考えてたら、これになった。

ということで、今回はここまで。

まとめて朗読しました。

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【ほぼ百字小説】(5571) 最近、スナック菓子もパンも大きくなったように見えるが実際は小さくなっていて、でもそれ以上にこっちが小さくなっていて、それで小さくなったことをごまかしているらしい。こうしてヒトは小さくなっていくんだな。

【ほぼ百字小説】(5572) いわゆるUFOが、夜の物干しから手の届く高さまで降下して来たが、光を放つその船底に並んでいるのはなぜか白熱電球。手を伸ばしてくるくる回すと簡単にソケットから外れたそれが今、うちにある。六十ワットだな。

【ほぼ百字小説】(5573) どろにんげんはどろをたべ
るよ。でも、どんなどろでもいいってわけじゃない。いいどろしかたべないよ。と、どろにんげんはいう。どんなどろもおかまいなしにたべるなんてのは、にんげんだけさ、きみたちみたいなね。

【ほぼ百字小説】(5574) 今宵の月がいつもより大きいのは見えかたの問題ではなく、実際に膨張しているのだ。昔はそこまでではなかったのだが昨今では、その表皮の耐えられる限界近くまで内圧を上げて膨らむ。SNSの影響だと言われている。

【ほぼ百字小説】(5575) 玄武岩という単語は前から知ってはいたが、その玄武があの亀のことなのかと今さら気づいて、岩石に内包されている六角形が甲羅にぴたりとはまるように腑に落ちた。世界を構成する要素がまたひとつ、亀に回収される。

【ほぼ百字小説】(5576) ひさしぶりに死人のかんかん踊りを堪能する。死人になってもかんかん踊りはできるが、死人にかんかん踊りをさせるのも、そんなライブを楽しめるのも、生きているうちだけだな。笑いながらつくづく思う。ライブだ。

【ほぼ百字小説】(5577) 月の海から見る地球のような月、という句を思いついたが無季か、まあ月からは地球の北半球も南半球も同時に見えるからな、いや待て、この句の視点人物は地球から月を見てるのか、などと月から地球を見ながら思案中。

【ほぼ百字小説】(5578) ぬいぐるみとは無理でも、亀とならできるぞっ。つい声を荒げてしまったのは、ぬいぐるみと話せないことを亀に指摘されてくやしかったから。物干しから居間に戻ると、あんまり大声で亀と話さないほうがいいよ、と妻。

【ほぼ百字小説】(5579) 亀にはスキップなどできない、と一般には思われているが、冬眠のあいだ、冷え切った亀の体内時間はほとんど静止していて、だから亀にとっては、冬眠に入ったとたん春になる。そうやって亀は時間をスキップするのだ。

【ほぼ百字小説】(5580) 子供の頃は、よく月が降りてきた。稲刈りが終わった田んぼとか、空き地とか、川原とか。そういうある程度の広さがある平らなところが無くなってしまったから、降りてこなくなったのかな。そう思っていた頃もあった。

【ほぼ百字小説】(5581) 押入れの奥に穴を見つけてしまった。では、やっぱり狸か。よく旅行に出るのは、向こうに用事があるからか。どうせならバレないようにうまく化かして欲しいが、こんなうかつさもやっぱり狸だからか、と妻の旅行中に。

【ほぼ百字小説】(5582) お椀の形をした月に見えていたあれは、月に擬態した船だったんだな。色も形もそっくりだから、ここまで近づいてきて、やっとそれがわかった。小型乗用車くらいの大きさのそれが今、二階の窓に横付けしてくれている。

【ほぼ百字小説】(5583) 線路が敷かれることになったから、もうそこでは遊べなくなった。線路が敷かれればいろいろ便利になる、と大人たちは言っていた。線路は敷かれて、その上を列車が走って来て走り過ぎた。駅はいつまでもできなかった。

【ほぼ百字小説】(5584) 旅先の妻から写真が送られてくる。それは、もうひと昔ほど前にいっしょに泊まった宿だったり、歩いた海岸や買い物をした雑貨屋、そしてあのとき探し回ったが結局出会うことができなかった亀。セマルハコガメの写真。

【ほぼ百字小説】(5585) あの公園をジュラシック公園と呼んでいたのは、恐竜がいたから。その恐竜は、コンクリートの山にある洞穴みたいな土管の中にひとりで棲んでいた。土管の奥から聞こえてくる声は、お風呂の中で泣いてるみたいだった。

【ほぼ百字小説】(5586) ヒトというよりカッパのように見えるのは、復元の際、欠損している遺伝情報をカメやカエルのそれで補ったから。水辺でカメやカエルたちと仲良くやっているのもそれでか。そんな生き物なら、ヒトは滅びなかったかも。

【ほぼ百字小説】(5587) 妻の実家の庭には小人が出現することがあって、妻は何度も目撃しているとか。すごく小さいよ、と妻は言う。ちょっと前にもひさしぶりに見たけど、昔見たときより小さくなってた。あれは成長してるのかもしれないね。

【ほぼ百字小説】(5588) 日課のように自分の頭を掘っているのは、泥にまみれた何かの部品らしきものが出てくるからで、掘り出したそれらを並べて、自分の中に埋まっているこれらはいったい何の部品なのだろう、と穴だらけの頭で考えている。

【ほぼ百字小説】(5589) 貸金庫の中に死体、それも人間にこんなことができるのかというようなぐちゃぐちゃの惨殺死体だ。わかりました、と探偵。冬眠目的で貸金庫に入ってきた熊と窃盗目的で貸金庫に入ってきた行員とが鉢合わせしたのです。

【ほぼ百字小説】(5590) 月光のほうが日光より曲がりやすくて、それで家々や塀の隙間をぐねぐね抜けて、こんな路地の奥の借家の小窓まで届くのだ。何度も曲げられた月光は散乱しにくくなっているから、こうして窓の下の浴槽に溜めておける。

【ほぼ百字小説】(5591) 巨大怪獣をやってたことがある。巨大じゃなくてむしろ小柄だが、ミニチュアの街で暴れて見せた。ミニチュアの時代が終わって職場を去る日、花束と着ぐるみをもらった。ヒトの着ぐるみ。今もそれを着て、演じている。

【ほぼ百字小説】(5592) 最近の気候の変動のせいか、坂が削られてどんどん急になってきていて、それなりの装備がなければとても下ることができそうにない。転げ落ちても同じでは、などというのは生者の考えで、死者だって死ぬのは怖いのだ。

【ほぼ百字小説】(5593) ビル街ではなく怪獣の墓場。だからビルではなく怪獣のお墓。では、暴れているのではなくお墓参りなのか? そう尋ねると、違う違う、遊んでるだけ。でも墓場で遊ぶのって危ないんだよ。墓石が倒れてきたら死ぬから。

【ほぼ百字小説】(5594) 昔、同じ映画に出演したのだが、商店街で出会ってもわからなかったのも道理、あの頃の彼はまだ小学生だったのだ。変わったなあ、と私は言い、変わってませんねえ、と彼は言う。もうずいぶん昔のことだったんだなあ。

【ほぼ百字小説】(5595) 昔、メンテナンスのアルバイトをしていた博物館へ。あの頃のままのところも変わったところもあって、懐か
しいような寂しいような。呪いの人形は今もガラスケースの中。あのガラスケースの中に入ったこともあったな。

【ほぼ百字小説】(5596) あの球面のスクリーンに昔から映写されてきた映画だ。誰もが観たことがある映画だが、いつから続いているのか、いつまで続くのか、誰も知らない。そんな長い長い映画。夜空にあるその銀幕は、月、とも呼ばれていた。

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以上、26篇でした。


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