最近の【ほぼ百字小説】2024年9月17日~
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【ほぼ百字小説】をひとつツイート(ポスト)したら、こっちでそれに関してあれこれ書いて、それが20篇くらい溜まったら、まとめて朗読して終わり、という形式でやってます。気が向いたらおつきあいください。
9月17日(火)
【ほぼ百字小説】(5453) 今夜も月を見に行く。そういう季節なのだ。狭い路地を奥へ進むと小さな空き地に出る。そこに立てばいつでも月が見える。だからあれは本物の月ではない、という者もいるが、それは我々だって同じようなものだろうし。
今夜は中秋の名月だそうで、まあ月の話を。月が見えるところ、というのは近所で何か所かあって、位置によってあそこに行くかあっちに行くか、みたいな感じ。舞台の書き割りなんかに月があったりして、もともと作り物っぽいですよね。三日月に腰かけたりするし。
【ほぼ百字小説】(5454) 月着陸船の模型を持っている。月の海に水は無いから船なのに脚がある。その脚で月の海に立ったのだ。帰るときはもういらないから、月の海に置いてきた。今もそこに立っている。月を見上げる度、その脚のことを思う。
アポロのプラモデルとか、売ってましたね。子供向けのちゃちなやつでしたが。まあそのくらいブームだったんですね。それにしても、「月着陸船」というのはいい言葉だ。よくあんなところに行って帰ってきたもんだなあ、とか今になると思いますね。
9月18日(水)
【ほぼ百字小説】(5455) 鉄橋を渡る電車の窓から川面を見ていて、でかい亀がっ、と声を上げそうになり、でもそれはわずかに水面に出た大きな岩だと気づいて、そうだった、この前もそう思ったっけ、と毎回思い出すというのはどうしたものか。
これ、ほんとにそうなんですよ。毎回思う。電車に乗って、そこを通る度にそうなる。アホなのか、と呆れます。大阪環状線の桜ノ宮駅のところの大川を渡る鉄橋から見えます。
9月19日(木)
【ほぼ百字小説】(5456) 開けた瞬間にもう缶詰ではなくなるから、それでは缶詰の中を見たことにはならず、だから缶詰の中を見るためには缶詰を開けずに見なければならない。いっしょに缶に詰められたのは、そんな理由らしい、と缶詰の中で。
昨日、ピッコロ劇団の『宇宙に缶詰』という芝居を観に行って、そこから書いたやつ。いや、芝居の中身に直接は関係ない。でもまあ缶詰ですからね、ある程度、関係はあります。脳を缶詰にされて宇宙探査機に乗せられた人の話。小松左京の『虚無回廊』の人類とか出てこないもっと個人的な話、かな。
まあ缶詰というのはおもしろいですね。私も何度も使ってます。そして演出は、『交差点の天使』の解説を書いてくれたサリngROCK氏です。
【ほぼ百字小説】(5457) 最初のドミノが倒された時点で、すべては決定されている。だから選択できるのは、最初のドミノを倒すか倒さないか、だけ。倒されれば結末まで進んでいく。もう止められない。ああ、うっかり倒しちゃったんだよなあ。
あるあるだと思う。結局のところ、選択できるのは(まあそれすらできないことも多いと思いますが)、そのことくらいで、そしてその唯一選択できる部分がそうなったのは、ただの「うっかり」とか「なんとなく」だったりする。
9月20日(金)
【ほぼ百字小説】(5458) 創作というより、自分に流れ込んでくるものを溜めて固めて出しているだけ。つまり、空っぽの器のようなもので、なるほど出てくるものはいかにも小さい器のそれだ。まあ小さい器には小さい器にできることがあるから。
小説は結局そういうものなのではないか、というのはよく思う。この【ほぼ百字小説】なんか、とくにそう。向こうから来るものを受け止めて固めて定着させてるだけ。そしてあんまりそこに自分の作為みたいなものが入らないほうがうまくいってる気がする。まあそれは私の主観ですが。
それと、人間の器が大きいとか小さいとかそういう言い方がありますよね。その小さい器側としての言い訳というかなぐさめ。まあ小器と小説は、形も似てるし。
【ほぼ百字小説】(5459) 地上はまだ暑いが、空は秋になって天使率が急上昇しつつあるようで、様々な天使の部品がそこここに浮かんでいる。それらを見上げ、頭の中で好きなように組み立てていると、ほんのすこし身体が浮かぶような気がする。
最近の空がそんな感じ。いろんな形や質感の雲がずらっとカタログみたいに並んでます。最近は歩いてるときはいつも空を見てるなあ。今日は翼と背骨を見た。
【ほぼ百字小説】(5460) すっかり天使率が高くなった空の下を『交差点の天使』の解説を書いてくれた演出家の手掛けた芝居を観に行くその途中、玄関前に置かれた亀の水槽を見かけて、水槽に書かれていたその亀の名がトキ。『かめたいむ』だ。
昨日あったことそのまんま。こういうシンクロニシティは嬉しい。そして、『交差点の天使』と『かめたいむ』を同時に出したことは、やっぱり正しかったのだ、と勝手に確信する。
9月21日(土)
【ほぼ百字小説】(5461) 波間に漂う紐のようなものが、図形を作っていた。次から次へと形を変えるそれらが文字のようにも見えたから、もっとよく見ようと覗き込んだところまでは憶えていて、だからこうして文字になって伝えることもできる。
侵略もの、というか、変身もの。何か違う生き物になってしまう、というのはありますが、文字になってしまうというのはあんまりないんじゃないか、と。百文字化。
【ほぼ百字小説】(5462) サメたーいむ、海水浴たーいむ。サメたーいむ、書き入れたーいむ。サメたーいむ、入れ食いたーいむ。サーメサメサメー、サメのたーいむ。サメじゃないけどサメのたーいむ。醒めた目をしたサメのたああああああいむ。
いや、それだけのやつ。かめたいむがあるんなら、これもあるだろう、と。だいぶ前に書いて、海水浴シーズンにアップしよう、とか思ってて忘れてた。でもまあ今も普通に海水浴はできそうですね。暑すぎるくらいだ。
【ほぼ百字小説】(5463) 砂の山に立っている棒を倒さないように気をつけながら、できるだけ多くの砂を取っていき、棒を倒した者が負け。だとばかり思っていたのに、砂をぜんぶ取り除いても棒はまだ立っている。誰が勝って、誰が負けたのか。
こういうゲームだとずっと思っていたのに、というやつ。そしてそこには、理解できない何らかの法則が働いている。じつは、『2001年宇宙の旅』のあのモノリス、どうやって立ってるのか。押しても倒れないのか。とかそういうことを最初に見たときから思ってて、それもあると思います。ヒトザルのところはともかく、月面のシーンであんなふうに立ってて、あれが倒れないのか、どうなってるのか、に関する言及が何かあってもいいと思うんですが、映画の中には出てこない。まああの場にいるみんなが知ってることだから言う必要はない、ということで文字通り成立はしてるんですけどね。でもちょっと一言くらい欲しかったな。
9月22日(日)
【ほぼ百字小説】(5464) 固く畳まれた翼は甲羅として機能するし、空気中を高速で運動するとき揚力が発生する甲羅は胴体翼として機能する。つまり、翼は甲羅であり甲羅は翼である。天使と亀とが同じものかも、と考え始めたきっかけは、それ。
これも「天使」と「亀」。今回は同時に配列作業をやっていて、それをやるまでは思わなかったんですが、どうも天使と亀は関連している。関連しているというより、自分の中にあるひとつのものの別の面なのかも、とか思うようになったのですが、まあそこに繋げるための屁理屈みたいなもの。もちろん屁理屈ですからあんまり意味はない。
【ほぼ百字小説】(5465) もう夏も終わるはずだが、あいかわらず真夏の暑さで、そして物干しにいる亀はこの夏、卵を産まなかった。二十五年以上、ずっと産んでいたのに。老化なのか、それとも何か他に原因があるのか。亀のことはわからない。
あったことそのまんま。どうなのかなあ。わからない。そのうちわかるのかどうかもわからない。
【ほぼ百字小説】(5466) 廃物で作られた天使が迎えに来た。翼はどこかに捨てられていた鷹の剥製のものだろう。見覚えはあるが、どこで見たのだったか。頭の上の輪は、缶詰のパイナップル。垂れた汁が、額を濡らしている。できたてなのだ。
これは何でしょうね。こういうのがいきなり浮かんできた。まあ夢みたいなもんでしょうね。缶詰のパイナップルはこのあいだ観た芝居『宇宙に缶詰』の中に出てきたもの。あの真ん中の穴はいいなあ、と芝居を観ながら感心したのでした。そういうのが入ってるのも夢っぽい。
9月24日(火)
【ほぼ百字小説】(5467) もう秋になってもいいはずなのにずっと真夏みたいで、狸にでも化かされているのかも、とか思っていたら、雨の後いきなり涼しくなって、ようやく秋が来たのかそれともこれも狸の化けた何かか。空には尻尾みたいな雲。
そのまんま。まあ日記ですね。ほんとに急に涼しくなったけど、どうなのかなあ。また戻るんじゃないか、とも思う。そして最近の空は、展示会みたいにいろんな雲が並んでておもしろい。
9月25日(水)
【ほぼ百字小説】(5468) ずっと探していた。この世界が舞台のようなものだとすれば、神の視点の客席からも観測できないそんな場所がどこかにあるはず、と。そして見つけた。やはりあの世界は舞台だったのだ。今、楽屋でそんな話をしている。
先日、うちの近所に最近できたバーで、ひょんなことから朗読をすることになりました。知り合いがそこで飲んでてそんな話になって、私にも声をかけてくれたのです。「ガクヤ」というバーで、楽屋のことだとか。まるで舞台セットみたいにかっこいい店で、実際、内装をやったのは維新派の舞台を作ったりしていた方だとか。ということで、挨拶がてらに「楽屋」というお題でひとつ。そういうことがやれるのは、マイクロノベルのいいところですね。
【ほぼ百字小説】(5469) スマホを持つようになってもまだ古いデジカメを持ち歩くのは、たまに撮った覚えのない写真が入っているから。なんでもない空や雲や道端の草の写真だが、それがどこなのかわからない。こういうのも心霊写真なのかな。
今もデジカメで撮ってるのは本当ですが、理由はそっちのほうがだいぶ操作性がいいから。すぐに片手で出して片手で撮れる。スマホだとそうはいきません。動作が多くなるし、ちょっともたつく。そしてこれは、幽霊じゃなくて写真の幽霊、みたいな話ですね。ないはずの写真が入っている。べつにおどろおどろしい写真でもない普通の写真。あ、それと、「スマホ」とか「デジカメ」って、昔は小説の中で使うのにちょっと抵抗がありましたが、今はもう抵抗ない、というか、使わないと不自然ですね。わざわざ、スマートフォンとかは。まあ場合にもよりますが。
9月27日(金)
【ほぼ百字小説】(5470) 稽古場にしている区民センターから駅までの近道を教わる。公園を抜け、路地を歩き、パチンコ屋の裏口から入って台の間を通って反対側のドアから出ると、道の向うは駅の改札。しかしどうやってこの道を見つけたのか。
あったことそのまんま。本当にパチンコ屋の中を抜けるとかなりの近道。なんか悪いなあ、と思いながら抜けていくんですけどね。それにしてもいつもガラガラで、大丈夫か、あの店。
【ほぼ百字小説】(5471) すこし時間を置いてまた部品を持ち寄り、また組み立てる。そしてまた持ち帰り、叩いたり曲げたり削ったり。それを繰り返していると思っていたが、実際はそれで変形しているのは自分自身か。まあ同じことではあるが。
これもそのまんま。今、芝居の稽古期間なので、まあこんな感じのことばっかり考えている、というか、そういう毎日。
9月28日(土)
【ほぼ百字小説】(5472) 機械の中から虫の音が、と驚いたが、虫が鳴いているのではなく、機械の音の中にこちらが勝手に虫の音を聞いてしまうらしい。そんなふうにして我々の脳は、失われた様々な音を聞けるのだ。そのための機械なのだとか。
まだ暑いですが、そういう季節です。いろんなところから聞こえてくる。空き地の前を夜通りかかるとうるさいくらいですが、そんなところじゃなくても、いったいこんなところのどこに、というようなところからも聞こえてくる。これって、自分の頭の中から聞こえてるのでは、とかそんなの。
【ほぼ百字小説】(5473) 自分で自分を掘っているのは自分を掘り出すため、というのはわかっているが、もし自分を掘り出してしまった場合、この自分をどうすればいいのか、というのは自分でもわからない。まあ掘り出した自分に聞けばいいか。
この【ほぼ百字小説】というのは、自分にとっては寝ているときに見る夢みたいなところがあって、そのせいなのかどうかはわかりませんが、これを毎日書くようになってからほとんど夢は見ない。で、今はたぶん芝居の稽古に入ってるので、こういう絵が浮かぶ。昔住んでいたところの近くにあった河川敷みたいなところで掘っている。自分を掘り出す、というのは【ほぼ百字小説】に出てくる定番のシチュエーションみたいなもので、それもまたやっぱり夢っぽい。
9月29日(日)
【ほぼ百字小説】(5474) ようやく秋らしくなって物干しも涼しくなり、物干しで亀と話す時間も増えた。冬眠にはまだ早いが、もう何も食べなくなるこの時期、それでも亀が近づいてくるのは、話したいことが溜まっているのだろう。お互い様だ。
まだまだ暑いですが、でもまあこんな感じにはなりましたね。今朝はこうでした。
【ほぼ百字小説】(5475) 自転車でまっすぐな広い道を走って港を目指す。港の近くで昼間から劇の練習をするのだ。今日は衣装を着てやってみる。秋のはずだがまだまだ暑い。口の中で台詞を転がしながらペダルを踏み続ける。夏休みみたいだな。
昨日の日記。まあこんな感じで進んでます。
9月30日(月)
【ほぼ百字小説】(5476) ずっと住んでいる借家なのだが、今朝初めてこんな部屋があったことを知って、しかしそんなおかしなことはないだろうから、これは夢に違いない、などと考えている自分は、自分の頭の中の知らない部屋にいるのだろう。
今稽古をしている芝居が、夢の中で自分で夢だとわかっているいわゆる明晰夢の話で、まあそれでこんなことを思うのかも。ずっと住んでいる借家に変なものを見つける、という話はけっこうあって、まあそういう話が好きなんですが、それは、そういう状況がちょっと夢っぽいからのような気がする。そして、自分の頭の中にもそういうものを見つけることがあって、そういうとき、脳を含む肉体というのは借家で、借家住まいなんだな、と思う。
【ほぼ百字小説】(5477) 亀の中にも秋が来る。それは甲羅に入った秋で、ではこれまでそこにあったはずの夏はどこへ行ったのか。いや、そもそも同じ亀なのか。あんなに食っていた煮干しも食わないし。食っていたのは甲羅の中にいた夏なのか。
今日はまた暑くなりましたが、昨日までは涼しかった。いきなり秋が来たと思いました。そしてこんな感じでした。亀は季節です。
ということで、今回はここまで。
まとめて朗読しました。
*
【ほぼ百字小説】(5453) 今夜も月を見に行く。そういう季節なのだ。狭い路地を奥へ進むと小さな空き地に出る。そこに立てばいつでも月が見える。だからあれは本物の月ではない、という者もいるが、それは我々だって同じようなものだろうし。
【ほぼ百字小説】(5454) 月着陸船の模型を持っている。月の海に水は無いから船なのに脚がある。その脚で月の海に立ったのだ。帰るときはもういらないから、月の海に残してきた。今もそこに立っている。月を見上げる度、その脚のことを思う。
【ほぼ百字小説】(5455) 鉄橋を渡る電車の窓から川面を見ていて、でかい亀がっ、と声を上げそうになり、でもそれはわずかに水面に出た大きな岩だと気づいて、そうだった、この前もそう思ったっけ、と毎回思い出すというのはどうしたものか。
【ほぼ百字小説】(5456) 開けた瞬間にもう缶詰ではなくなるから、それでは缶詰の中を見たことにはならず、だから缶詰の中を見るためには缶詰を開けずに見なければならない。いっしょに缶に詰められたのは、そんな理由らしい、と缶詰の中で。
【ほぼ百字小説】(5457) 最初のドミノが倒された時点で、すべては決定されている。だから選択できるのは、最初のドミノを倒すか倒さないか、だけ。倒されれば結末まで進んでいく。もう止められない。ああ、うっかり倒しちゃったんだよなあ。
【ほぼ百字小説】(5458) 創作というより、自分に流れ込んでくるものを溜めて固めて出しているだけ。つまり、空っぽの器のようなもので、なるほど出てくるものはいかにも小さい器のそれだ。まあ小さい器には小さい器にできることがあるから。
【ほぼ百字小説】(5459) 地上はまだ暑いが、空は秋になって天使率が急上昇しつつあるようで、様々な天使の部品がそこここに浮かんでいる。それらを見上げ、頭の中で好きなように組み立てていると、ほんのすこし身体が浮かぶような気がする。
【ほぼ百字小説】(5460) すっかり天使率が高くなった空の下を『交差点の天使』の解説を書いてくれた演出家の手掛けた芝居を観に行くその途中、玄関前に置かれた亀の水槽を見かけて、水槽に書かれていたその亀の名がトキ。『かめたいむ』だ。
【ほぼ百字小説】(5461) 波間に漂う紐のようなものが、図形を作っていた。次から次へと形を変えるそれらが文字のようにも見えたから、もっとよく見ようと覗き込んだところまでは憶えていて、だからこうして文字になって伝えることもできる。
【ほぼ百字小説】(5462) サメたーいむ、海水浴たーいむ。サメたーいむ、書き入れたーいむ。サメたーいむ、入れ食いたーいむ。サーメサメサメー、サメのたーいむ。サメじゃないけどサメのたーいむ。醒めた目をしたサメのたああああああいむ。
【ほぼ百字小説】(5463) 砂の山に立っている棒を倒さないように気をつけながら、できるだけ多くの砂を取っていき、棒を倒した者が負け。だとばかり思っていたのに、砂をぜんぶ取り除いても棒はまだ立っている。誰が勝って、誰が負けたのか。
【ほぼ百字小説】(5464) 固く畳まれた翼は甲羅として機能するし、空気中を高速で運動するとき揚力が発生する甲羅は胴体翼として機能する。つまり、翼は甲羅であり甲羅は翼である。天使と亀とが同じものかも、と考え始めたきっかけは、それ。
【ほぼ百字小説】(5465) もう夏も終わるはずだが、あいかわらず真夏の暑さで、そして物干しにいる亀はこの夏、卵を産まなかった。二十五年以上、ずっと産んでいたのに。老化なのか、それとも何か他に原因があるのか。亀のことはわからない。
【ほぼ百字小説】(5466) 廃物で作られた天使が迎えに来た。翼はどこかに捨てられていた鷹の剥製のものだろう。見覚えはあるが、どこで見たのだったか。頭の上の輪は、缶詰のパイナップル。垂れた汁が、額を濡らしている。できたてなのだ。
【ほぼ百字小説】(5467) もう秋になってもいいはずなのにずっと真夏みたいで、狸にでも化かされているのかも、とか思っていたら、雨の後いきなり涼しくなって、ようやく秋が来たのかそれともこれも狸の化けた何かか。空には尻尾みたいな雲。
【ほぼ百字小説】(5468) ずっと探していた。この世界が舞台のようなものだとすれば、神の視点の客席からも観測できないそんな場所がどこかにあるはず、と。そして見つけた。やはりあの世界は舞台だったのだ。今、楽屋でそんな話をしている。
【ほぼ百字小説】(5469) スマホを持つようになってもまだ古いデジカメを持ち歩くのは、たまに撮った覚えのない写真が入っているから。なんでもない空や雲や道端の草の写真だが、それがどこなのかわからない。こういうのも心霊写真なのかな。
【ほぼ百字小説】(5470) 稽古場にしている区民センターから駅までの近道を教わる。公園を抜け、路地を歩き、パチンコ屋の裏口から入って台の間を通って反対側のドアから出ると、道の向うは駅の改札。しかしどうやってこの道を見つけたのか。
【ほぼ百字小説】(5471) すこし時間を置いてまた部品を持ち寄り、また組み立てる。そしてまた持ち帰り、叩いたり曲げたり削ったり。それを繰り返していると思っていたが、実際はそれで変形しているのは自分自身か。まあ同じことではあるが。
【ほぼ百字小説】(5472) 機械の中から虫の音が、と驚いたが、虫が鳴いているのではなく、機械の音の中にこちらが勝手に虫の音を聞いてしまうらしい。そんなふうにして我々の脳は、失われた様々な音を聞けるのだ。そのための機械なのだとか。
【ほぼ百字小説】(5473) 自分で自分を掘っているのは自分を掘り出すため、というのはわかっているが、もし自分を掘り出してしまった場合、この自分をどうすればいいのか、というのは自分でもわからない。まあ掘り出した自分に聞けばいいか。
【ほぼ百字小説】(5474) ようやく秋らしくなって物干しも涼しくなり、物干しで亀と話す時間も増えた。冬眠にはまだ早いが、もう何も食べなくなるこの時期、それでも亀が近づいてくるのは、話したいことが溜まっているのだろう。お互い様だ。
【ほぼ百字小説】(5475) 自転車でまっすぐな広い道を走って港を目指す。港の近くで昼間から劇の練習をするのだ。今日は衣装を着てやってみる。秋のはずだがまだまだ暑い。口の中で台詞を転がしながらペダルを踏み続ける。夏休みみたいだな。
【ほぼ百字小説】(5476) ずっと住んでいる借家なのだが、今朝初めてこんな部屋があったことを知って、しかしそんなおかしなことはないだろうから、これは夢に違いない、などと考えている自分は、自分の頭の中の知らない部屋にいるのだろう。
【ほぼ百字小説】(5477) 亀の中にも秋が来る。それは甲羅に入った秋で、ではこれまでそこにあったはずの夏はどこへ行ったのか。いや、そもそも同じ亀なのか。あんなに食っていた煮干しも食わないし。食っていたのは甲羅の中にいた夏なのか。
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以上、25篇でした。
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