桜の百字 2024年版
【ほぼ百字小説】(5123) 岡持ちを持っている。閉店する中華料理屋のを貰った。妻はそういうものが好きなのだ。そういうものがどういうものなのか私にはわからないが、カレーを入れて近所の公園に持って行き、花を見ながら食べたことがある。
【ほぼ百字小説】(5127) ごろり仰向けになると青空を背景にした満開の桜は水底から見上げた花筏みたいで、でも、いつそんなものを見たんだっけ、と余計なことまで思い出しそうになり、桜の下の死者たちにとめられて慌てて考えるのをやめる。
【ほぼ百字小説】(5129) いつからか音として聞こえるようになったから、この季節になるといたるところでいろんな大きさいろんな種類の爆発音を聞くことになる。ことにこんな満開の桜の下は、さながらお祭りの爆竹の中を歩いているかのよう。
【ほぼ百字小説】(5130) 花に擬態した虫たちが、風をきっかけにしていっせいに枝から離れ、宙を舞いながら地面に落下していく。ひと通り終わると、虫たちは訓練された通り幹を登って、再び元の位置に着く。再生可能な桜吹雪と呼ばれている。
【ほぼ百字小説】(5133) 夜桜だけは今も変わらない。いや、ライトアップなどしていない分、前よりもずっと良くなっているか。こんな春の夜には、ずらり並んで現れる。今宵は夜空に白く浮かぶあの桜の幽霊たちに酒を供えに行くことにしよう。
【ほぼ百字小説】(5134) 向こうの岸にもこちらの岸にも桜が並んでいるから、条件さえ整えば水面に浮かぶ花筏を踏んで向こう岸まで渡れるはず。実際、そうやって渡る者を見かける。でも、帰ってこれなくなることも。まあそれはそれでいいか。
【ほぼ百字小説】(5136) 梅には鶯だが、桜には亀なのだ、と前々から主張しているのに、なかなかその認識は世間に広まらない。花筏の中に浮かぶ亀、とかそんな花札のある世界がどこかにあるのではなかろうか。たとえば、亀の甲羅の上とかに。
【ほぼ百字小説】(5144) 人が桜の下を通り抜けているのではなく、桜が人の上をまたぎ越えているのだ。桜にまたぎ越えられながらそのことに気がついて、そして気づいたことはそれだけではなく、そうか、桜が散っているのではなく、人が――。
【ほぼ百字小説】(5147) このあいだまでそこらじゅうが真っ白だったのに、もうすっかり黄緑色の方が多い葉桜だ。今年は散るのが早かったなあ。ああ、あっちにある白いのは、歯桜ってやつだね。歯茎は綺麗な桜色。噛まれないよう気をつけて。
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