大切なのは、「これからどうするか」
電車、乗り過ごしました。
仕事に遅刻するという失態。
以前の僕は、遅刻常習犯。
そんな遅刻する自分がイヤで、自分が悪いくせにそのイヤな気持ちを全面に出してました。申し訳なさと、自分自身を責める気持ちで、暗い雰囲気を出してました。
ずるずる引きずって引きずって。
何かイヤなことがあった時、そういうイヤな雰囲気を出していたように思います。
それで誰かの気を引こうとしてたのか、「気にすることないよ」って言われて許されたかったのか。
結局、そういう時って、「気にすることないよ」って言われても、「でも」って反発しちゃいます。
周りの人の視点に立つと、そんなイヤな雰囲気の人を見たら、心配して「一人にしておこう」「そっとしておこう」って思うか、「関わりたくない」「関わらないでおこう」って思うか、です。
自分でもそう。
遅刻して、そんなことを考えました。
そして、アドラーの言葉を思い出しました。
大切なのは、「これからどうするか」。
遅刻してしまったことはもう変えられない。
じゃあ、これからどうするか。
まずは謝罪。この申し訳なさをちゃんと背負う。
そして、いつもと変わらず業務をこなす。
いつもと変わらず人と接する。
笑顔を忘れないこと。
こんな風に考えて、その日を過ごしました。
そして次の日から、電車を一本早くしました。
大切なのは、「これからどうするか」。
過去をずるずる引きずっても、何も変わらない。
変わらない過去じゃなくて、変えられる「これから」に目を向けて。
遅刻した。さて、どうする?
自分は繊細。さて、どうする?
最近、小説を読んでいて、発達障害や不登校のことを考えることが多くて。
発達障害かもしれない。グレーゾーン。
発達障害と診断された。
学校に行ってない。
学校に行けなくなった。
そう聞くだけで、自分の中に思い描いてしまうイメージがある。
それがすごくイヤで。
分類するのはすごく簡単だけど、その子自身のことは結局何も分かってない。
ありのままの、その子個人のことが知りたい。
大切なのは、その子がどう思っているか。
その子がどうしたいのか。
発達障害や不登校と言われる子どもたちと出会ったら。
発達障害のこととか、不登校のこととかは一旦置いといて、その子の好きなことや、やりたいことについて話したい。
発達障害だから、不登校だから、なんて考え過ぎるんじゃなくて。
これからどうしていきたいのか。
それが考えられるようになるといいなって思う。
今考えると、遅刻したくせにニコニコしてた自分ヤバいやつだったかも。
参考文献