#12 気まぐれ日記 | 悲しみの中に悦びを
2024.03.11
地震が多い。油断するんじゃないよ、って地球に言われているみたいだった。あれから13年。流れるときのはやさに反して、思い出すその光景はとてもスローだ。
中学生だったわたし。体育委員だったから、校庭に避難して、なんとなく整列したクラスの列のみんなの人数を数えて先生に伝えた。泣いている子が何人かいて、しっかりしないとと思った。わたしはしっかりしないと、と思って泣いてる女子をからかう男子に立ち向かって言葉を発してみたら涙が出た。わたしも怖かった。
そんな3月11日はわたしたちの結婚式を挙げた日でもある。日程を決めるとき、少し迷った。めでたい日にしてしまっていいのか、とか、不謹慎だと思われてしまうかな、とか。誰かにとって苦しい記憶の日に、わたしたちはみんなを笑顔にできるだろうか、と、少しだけ不安だった。
でも、わたしたちは人間だから、どんな苦しみの中にも、絶望の中にも必ず光を見つけることができるし、立ち上がることができることを知っている。その一筋の光に向かって、一筋の光さえあれば、前に進むことができる。だから、そういう日にしたかった。後付けもちょっとあるけれど。敢えて選んだわけではなかったけれど。1年経ってみて、この日を選んでよかったなと思った。上書きではなく、記憶を重ねていくこと。全部忘れたりはしない。
2024.03.13
最近寝ても寝ても眠い。肩こりもひどい。家の近くのもみほぐしに行こうかと思って空いているか電話をしてみたけれど、電話の対応がイマイチで行く気が失せた。電話対応ってほんと大事だなあと思う。わたしも気をつけようと思うのだった。
2024.03.14
お互いにないものを持っていて、それぞれ違う道を歩んでいるのに、どこか気が合って、似ているところもあって、でも違くて、優しくて、大切な友だちがいる。彼女の人生のステップがどうやら進んだらしい。連絡を受けてひさびさにゆっくり食事をしようということに。わたしたちの思い出の味(に近いもの)を食べながら、近況報告。ふと、話したいと思ってここ最近の心にひっかかっていたことを話した。誰にも話せていなかったから、すごく心が和らいだ。ずっと我慢していた涙がぶわっと溢れてきた。いい意味でドライな彼女のことばのひとつひとつが、わたしの心を救ってくれた。
これは前にも書いたかも知れないけれど、学生時代に自転車が盗まれて相当落ち込んだことがある。自転車が大事だったということはもちろんだけれど、なんとなくその頃は心が敏感で、考えすぎてしまっていた。そのときに彼女が「そういう人がいただけだよ。」と言ってくれた。わたしが彼女のそういう考え方にどれほど救われたことか。今でも心のお守りにしている。