同じ場所で同じ気持ちでいられる奇跡
これは一生、忘れたくないな。思い出すと涙が出てきてしまう。夜から朝へ移り変わる瞬間の空の色。小さな手の温もりを鮮明に思い出せる。そういう旅の記憶って心のポケットにいくつかあって、大事にしまってある。
3年前の夏、思いがけず訪れることになった場所での時間はわたしにとって「そういうもの」だった。きっとまたここに帰ってくる、そう確信めいたものを持ちながら、涙をこらえきれずにさようならをしたときのこと。
あの頃、どこへ行っても東京から来たというだけで少し嫌な顔をされた。それなのに、見ず知らずのわたしを快く招き入れてくれた人たちがいた。世界がどんなに変わっても、旅はなくならない、あの日わたしは確かにそう思えたのだ。その勇気がそれからの3年間、どれだけわたしを支えてくれたことか。
つくばで過ごした学生時代の4年間、母のように友のようにあるいは姉のように守ってくれた人がいる。ゆかりさん。ゆかりさんの実家にお邪魔することになったのは本当に急なことで、予想もしていなくて。まだマスクをみんなが着けて、アルコール消毒ばかりしていたときのことだった。
ゆかりさんの帰省についていくことになって、それで、いろいろな流れで気が付いたらわたしはゆかりさんの実家でごはんを食べ、お風呂に入り、布団で眠っていた。ゆかりさんのお母さんと、弟さん一家と楽しくて、嬉しくて、温かくてたまらない夜を過ごした。BBQをして、お酒を飲んで、食後にみんなでラブリーという鹿児島のお菓子を食べた。ゆかりさんの姪のありちゃんと一緒に寝た。朝5時ごろ、ありちゃんに起こされた。「空の色が綺麗だよ」と、窓の外を指して嬉しそうなありちゃんを見て、「あぁなんか大丈夫だぁ」と思えた。
あれから3年して、ずっとずっと会いたかった人たちに会えた。わたしと同じ目線にまで背が伸びたありちゃんと、さらに若返ったように見えるゆかりさんのお母さんと、まるで先週も、その前の週も遊びにきたっけと思うくらい自然に当たり前に迎えにきてくれたありちゃんのお母さんとお父さんと、会えた。
ちゃんと同じ時間の中で、わたしが嬉しかった時も、悲しかった時も、この家族も進んでいたんだって思うとなんだかグッときた。やめなくてよかったなと思った、生きることを諦めなくてよかったな、今日まで生きててよかったなと思った。大袈裟に思われるかもしれないけど、本当にそう思った。
ゆかりさんより一足早く先にわたしがお邪魔してたから、ゆかりさんをみんなで空港に迎えに行って、「なんでわたしがユウリに迎えられてるんだろうね?」なんてゆかりさんが言ってみんなで笑った。流しそうめんを食べに行って、物産館を5つもまわって、ソフトクリームを食べて、本当に幸せな時間だった。ポケットには入りきらないくらい。全ての瞬間、味、言葉を記録して、記憶して、一生味わいたいくらい。
空港まで送ってもらって、ありちゃんとぎゅっとハグをして、ひとりきり保安検査場を抜けた。ふっと、ツーと、涙がでてきて、ここ最近泣いていなかったなと思った。また同じ場所で、同じ気持ちで涙することって人生の中であるんだなぁ、と。あぁ、なんて奇跡みたいなことなんだろう。これだけ自分を取り巻く環境が変わっても、世界が変わっても、みんなの状況が変わっても、また同じ気持ちになった。同じように、嬉しい気持ちになれた。わたしはこれを奇跡だと思う。旅人であり続けたいと思うのは、こういう気持ちを知ってしまったからだと思う。
飛行機の中、ありきたりなことを思った。会いたい人には会いに行こう。迷わず、躊躇せず、電話をかけよう、メールをしよう、手紙を書こう。日々は一瞬だ。本当に一瞬なのだから。