信じたままで 会えないままで
一生友だちでいようね、って言ったのに、もう何年も会ってないひとがいる。あんなに毎日一緒にいたのに、今どこでなにをしているかさっぱり分からない。大好きだったのにもう他人になってしまったかつての恋人たち。そういう友だちや思い出の中の人のことを、時々思い出します。
これは全く悲しい話ではなくて、会えなくても、離れても、これから先も会わなくても、思い出は消えないという幸せな話です。誰にも知られなくても、自分だけがちゃんと覚えていて、大切に抱きしめることができたなら、それは最高に幸せなことだと心から思うよ。
それにもし、記憶がなくなっても、その時間は場所のようにちゃんとずっとそこにあるということ。それだけで十分だということをちゃんと知っていたい。
ずっと大切に思っていた人に『もう連絡はしないでほしい。』と言われたことがあります。父のような、祖父のような、優しい大好きな友だちでした。わたしの沖縄の父で、わたしに旅の悦びを教えてくれた人でした。わたしが島を出る最終日に、乗り継ぎの那覇で落ち合って、瀬長島で落ちていく夕日を一緒に見ました。あの日のあの景色をわたしは一生忘れないでしょう。そのあと美味しそうなアイスクリームを見つけて食べたこと。もう11月だというのに、まだまだ暑い沖縄の空の下で、奥さんにも食べさせたい、と買ったアイスクリームを持って歩いていた人。これは溶けちゃうな、と車に乗ってしばらく経って気づいて笑っていた。
『ごめんな、もう歳だから、いろんなことが面倒になってしまったんだよ』と言いました。最後に会ったときに、おじいが嘆いていたいろんな悲痛をもっと、ちゃんと受け止めて、一緒に考えればよかったなと後悔しています。ただの世間話だと捉えてしまった自分の愚かさが恥ずかしい。
その夜、わたしは声を出して泣きました。会いたくて、会いたくて、泣きました。ごめんね、と思って泣きました。ありがとう、と思って泣きました。何も返せていないことが悔しくて泣きました。
あれから時が経ち、いつも心にあるのはおじいとおばあと一緒にご飯を食べた夜のこと。ふたりの家のあったかくて、ふかふかの布団で寝た夜のこと。たくさん愛をもらったこと。あの時間は確実に今も生きている。記憶の中ではどこまでも一緒に生きてゆける。どこまでも、どこまでも。
何日かに一度はふたりのことを思い出します。寂しさではなく、ふたりが教えてくれた温かさばかりが思い出される。出来ればもう一度、会いたいけれど、叶わなかったとしても何も変わらないから、もう大丈夫。記憶の中で、わたしたちはいつも笑っている。
生きていても、そこにいても、もう、会えないことがある。それでも、人と人は繋がっていける。画面の中にはない記憶こそが、残り続けるものであり、わたしの人生を形取る。思い出は決して消えず、それでも日々は変わってゆく。思い出を勇気に変えて、進み続ける。これが、わたしの約束の守り方です。
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