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美しさとは一瞬で、儚い | チェンマイ日記

2024.11.15 @ Chaing Mai, Thailand

タイで過ごす中でのメインイベント、通称「コムローイ祭り」の日を迎えた。ランタンが夜空に上がっていく絶景を一目見ようと世界中からタイのチェンマイに人々が集まる。チェンマイだけで行われていると思われがちだが、この日はタイ全土で「ロイクラトン」という仏教のお祭りの日であり、チェンマイのみならず各地で祝われている。

元々は川の女神へ「1年間大切な水を使わせてくれてありがとう」と感謝を捧げるお祭りで、クラトンというバナナの葉で蓮の花を模った灯籠を川へ流していたことが起源になっているらしい。川への灯籠流しももちろん今でも行われている。ちなみにわたしも宿泊していたゲストハウスのオーナーファミリーが誘ってくれてクラトンを作って灯籠流しをした。

ロイクラトンは旧暦の12月の満月の夜に開催され、昨晩も立派な満月が夜空からタイ全土を煌々と照らしていた。

この灯籠流しの代わりに、チェンマイではランタンを空に放ち無病息災を祈るようになったとか。しかし、その美しい景色はどんどん認知が広がり、徐々に巨大化。やがて、環境問題も考慮され、地元ではだんだんと行われなくなったらしい。

それがいつしか「イーペン・ランナー・インターナショナル」という大々的なイベントとして、外国人向けの観光イベントとして登場し、盛大に祝われるように変わっていき、今日のコムローイ祭りと呼ばれるイベントがこの時期にチェンマイの各地で開催されているのだと、Google先生に教えてもらった。

わたしはこの「イーペン・ランナー・インターナショナル」の発祥の地であるメージョー大学近くの会場で行われているお祭りに参加した。見渡す限り、様々な国から人々が集結していて、もちろん日本人もたっくさんいた。旅が始まって以来、こんなに日本語を耳にしたのは久しぶりでどこか安堵感さえあった。

わたしは会場までの交通混雑を避けたかったので、会場の近くに宿を取り、歩いて会場まで向かった。この会場はメージョー大学というチェンマイの北にある大学の近くで行われていて、会場もメージョー大学の学生たちがボランティアで催しを取り仕切っていた。

この大学の雰囲気、周辺の雰囲気がどうにも自分の出身大学と似たところがあり、なんだか懐かしい気持ちでいっぱいだった。大学の周りには学生寮がたくさんあり、大学敷地内の道路の頭上には緑が生い茂っていて、そこから差し込む木漏れ日はあの日のようだった。

入場してチケットを見せると、食事と交換できるチケットをもらえる。会場内には、数種類の食事が提供されていて、チケットの数だけ好きなものと交換できる。パッタイやフライドチキン、バナナチップスなど、チケットを使いきれずにお腹いっぱいになってしまった。だんだんと陽が沈んでいき、コムローイをあげる会場までさらに移動した。移動途中も、さまざまにブースがあって、タイ北部の伝統文化を知ることができる。

多くの人が一度は社会の教科書で見たことがあるであろう首長族の人たちもいて、たくさんの観光客が写真を撮る列に並んでいた。実際に見てみると、やはり不思議な光景だった。実際には首が伸びているというよりかは金の首輪の重みで肩の筋肉が下がっているのらしいが。なぜそうしているのか、など色々知りたくなった。

気がつくとあたりは真っ暗で、ただ満月だけがどこまでも輝いていた。お祭りが始まり、30分ほどの瞑想時間があった。静かに目を閉じる。「過去のこと、これからの未来への心配も全て、忘れましょう。楽に、楽に。」と、流暢な日本語でアナウンスもあった。わたしは肩の力を抜き、ただただそこに流れる音を聴いていた。旅が始まってからの1ヶ月間、あっという間だったし、長かったようにも感じる。いろんなものを見た、聞いた、知った。自分に期待し、落胆し、それでも生きた。生きている、ということの尊さを強く感じた。30分はとてもあっという間だった。

そしていよいよランタン上げの時間。先ほどまでの静けさが一変して、みんなのドキドキした抑えきれない高揚が会場を包んだ。全部で3回ランタン上げは行われるらしい、タイミングを合わせて一斉に上げることで生まれる絶景。ランタンに火をつけ、その時を待つ。みるみる熱気で膨らむランタン。カウントダウンが始まり、そして一斉に空にランタンを放った。

夜空に舞う数千個のランタンの灯り。
あぁ、あれは一瞬の出来事だった。美しかった。そのあまりの美しさに涙は自然と頬を伝った。一瞬。本当に一瞬のことだった。すっと周りの音が何も耳に入ってこなくなり、その景色だけを感じていた。

それからすぐに花火の音や人々の歓声にハッと我に帰り、流れゆくランタンの灯りを再度眺めた。

お祭りが終わって、宿まで帰る道すがら、あの瞬間だけをずっと思い出していた。いや、思い出せるのが一瞬だけだった。何度も何度も、その瞬間の景色だけを思い出して、記憶した。忘れないように。動画も撮っていたけれど、見返さず、自分の心と頭の中にある景色だけを繰り返し繰り返し。

美しさとは、一瞬だ。そして、儚い。そう思った。動画を見返せば、写真を見返せば、蘇るものもあるだろう。でもあの瞬間が最上で、それ以上には到達できないのだと、痛感させられるような時間だった。あの感動はもう二度と味わうことができない。

敢えてランタン上げ写真は載せない。代わりに帰り道に川でひっそりクラトン流しをする地元の人たちの写真を。伝統とはなにか、ということにハッとさせられる光景だった。

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Yuuri
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