ナバラ村にて原風景を | フィジー日記
6/20
ナバラ村でのこと。現在夕方17:30。部屋にはココナッツの身を削る音と、トゥイ(この宿のオーナー)が料理する音、それから鳥の鳴き声だけが響いていた。電気はついておらず、さっきまで読書をしていたのだけれどもう流石に暗くて字が読めず、今日の出来事を書き込むことにした。
朝、ナンディの宿にサム(運転手)は四駆の大きな車で8:20に出迎えてくれた。予定より25分早い。フィジータイムということを言い訳にして遅れるのではないかと予測していたので少し驚いた。ナバラ村までここから2時間半ほど。ナンディからラウトカ、バという街を抜けて、山を越えたらナバラ村である。
ナバラ村にはフィジーの原風景があるらしい。わたしたちはその景色を見るためにナバラ村へ向かった。1日目の体験があるので、わたしの心は不安が8割だった。宿の衛生状態、食事、全てが不安だった。それでも見なければ、というある種の使命感のようなものもどこかにあり、断念はしなかった。ナンディから丁度2時間半、ナバラ村に着いた。ナバラ村までの道はほとんど整備されていない。でこぼこ道が長く続く。夫はひどく車酔いをしていた。途中から電波もなくなった。
辺りは昨日とは打って変わって、山々に囲まれていて、美しい川が流れていた。海は見えない。人々がフィジーに対して持つイメージからは離れている場所だ。何種類もの鳥の鳴き声が響き、植物たちは都心のそれより力強かった。
宿に着くとトゥイと名乗る初老の男性が迎えてくれた。宿は想定内のクオリティだった。それでもトイレとシャワーはロッジについていた。トゥイは丁度わたしたちのためにダブルサイズのベッドを用意してくれているところだった。蚊の多いことと、ロッジの入り口に巣を作った脚の長い蜂の飛ぶ音が気になったけれど、昨日買った蚊除けを身体に塗りたくりなんとか気持ちを安心させた。シャワーはもちろん水しか出ないようだが、まあ最悪1日くらい浴びなくてもいいだろう。今日はここで一夜を過ごすのだという強い覚悟を持つことができた。
ランチを済ませたら村へ行こうとトゥイが言った。トゥイはわたしたちのためにたくさんのご飯と、太い太いきゅうり、パイナップル、そしてチキンを煮込んだものを用意してくれた。あまじょっぱい味付けで食べやすく、とても美味しかった。
ナバラ村までは歩いて20分ほど。傾斜のある石でごつごつした道と照りつける太陽が体力を奪っていく。
村に行くと、誰しもが笑顔で挨拶をしてくれた。村だけではない、フィジーでは本当に全員と言ってもいいくらい、みんなが笑顔で挨拶をしてくれた。大袈裟ではなく本当に。誰もが「bula!」と手を振ってくれた。ただ街ですれ違うだけでも、である。みんなが、気持ちの良い挨拶。すごくシンプルで、すごく大切なこと。もちろん東京駅でみんなと挨拶していたら大変なことになるかもしれないけれど、わたしたちの日常に足りないのは挨拶かも知れない。
村には幼稚園、小学校、中学校があり、子どもたちも元気よく興味津々に話しかけてくれた。
茅葺屋根の家、ブレと言われる伝統的な造りの家々が並んでいた。美しかった。6月はフィジーにとっての冬、乾季であり、丁度茅葺の入れ替えをする時期らしく、若い村民たちが屋根に登り茅葺を屋根に編み込んでいた。1つの屋根の修理に10人ほどの男性の力が大体4日間かかるらしい。
ブレの中に入れてもらった。部屋の中にはペンダネスで編んだゴザのようなものが敷かれていて、畳慣れしているからかその感触はわたしをホッとさせた。木で出来た枕がそこにあって、横になってごらんと言われて試してみると、いつの間にか眠っていた。20分ほど昼寝をして外に出ると、まだまだ屋根の作業をしていた。
彼らにとってこれは生きるための作業。わたしたちが畳を張り替えたり、障子を張り替えたりするのと同じだ。どの国にも、どの村にも、どの家庭にも、伝わるやり方、伝統、儀式、みたいなものがあるのだと思う。それをどこまで守っていけるかは、わたしたち世代にかかっているようなそんな気がした。
喉の渇きは限界だったけれど、宿までまた20分ほどかけて戻った。15:00を過ぎた頃だったけれど、まだまだ日差しは強かった。川はエメラルドグリーンに輝いていた。
不思議なものを見たような気分だった。彼らの生活とわたしの過ごす日々はいつだって同じ時間を共有している。どちらの生活がいい、というわけではもちろんない。昨日の日記にも書いたけれど、彼らは決して不幸だなんてこれっぽっちも思っていないから。そしてわたしたちの生活が完璧に優れているわけでもない。それでもやはり、豊かさについて考えるときわたしの感覚は彼らより鈍っているのだと思う。
それぞれが今の生活も心から愛している。もちろんわたしもだ。快適なシステムをうまく使えていると思うし、時々地球のことを思いやりながら、環境に配慮した選択をしている。家族や友人を心から大切に思い、仕事に精を注いでいる。
そう思うのに。自分の生活に後ろめたさがあるからか、食事、ファッション、ありとあらゆる消費行動にどこか納得がいっていないからなのか。本当の豊かさとは何か、という問いに、まだ胸を張って答えられないのはそのためだろうと思った。
それから宿に戻って夕食の時間まで本を読んだりなどした。他愛もないことを夫と話した。電波がないので、ただただこの時間を過ごした。それはここ最近なかった時間だったように思う。そして今に至る。
トゥイがやってきて、ココナッツの割り方、実の削り方を教えてくれた。とても地道な作業だった。わたしがいつもKALDIで買うココナッツチップはこうして作られてるのかもしれないと思うと、少し値段が高い理由が分かったし、それでもむしろ安いのかもしれないと思った。ココナッツを削る音が静かに響く。夜はこのココナッツを使ってトゥイが魚と野菜を煮込んでくれた。大きなきゅうりとパイナップル、そしてほうれん草、そしてキャッサバ。ココナッツソースはクリーミーでおいしくて、キャッサバは甘くて、たくさん食べた。トゥイはわたしたちの手が止まると「eat eat! more more!」と言った。あの優しい声が今も耳に残る。
夜はたったひとつソーラーの電球を灯した。ロッジはあまりにも真っ暗で怖かったけれど、夜中トイレに起きたときには夫も一緒に起きてスマホで明かりを照らしてくれたし、蚊帳がわたしたちを守ってくれた。ところどころ穴が開いていたけれど。朝方は寒くて身を縮こませた。けれど、すぐに太陽が昇って、いつの間にか暑くなった。やっぱりシャワーは浴びられなかった。水シャワーを浴びられる気温ではなかったし、暗かった。わたしは服だけ着替えた。化粧はシャワーを浴びられないことを見越してしていなかったから問題ない。
6/21
すっかり身体を起こしてトゥイのところに行くと、すでに朝食の準備をしてくれていた。バナナリーフにのったバナナとパパイヤが綺麗に並べられていて、パンケーキとカリカリに焼かれた薄めのトースト、半熟とろとろの卵焼きを出してくれた。日本のものより少ししょっぱめのバターにフィジーの名産のひとつであるブラウンシュガーを振りかけて、バナナをのせて食べた。とても美味しかった。
トゥイもあとから席について、一緒に朝食を取りながら色々な話をした。食事の間、こうしてトゥイと話したいろんなこと、この時間がわたしの胸にずっと残っていくことをもうすでに分かっているような気がする。トゥイはフィジーのいろいろなことを教えてくれて、日本のいろいろなことをわたしたちに聞いた。違う文化、違う世界、違う人種、どれも本物でどれも素晴らしい。話しながらわたしは日本を恋しく思ったし、誇らしいと思ったし、フィジーを素晴らしいと思った。
あっという間に1日が終わって、サムのお迎えを待つ。今日はナンディまで戻って、そしてコロトガ(シンガトカのもっと先)まで行く。また長旅だ。
ナバラ村に来て、わたしはフィジーの本当の姿と本当の美しさを見た気がする。もちろんビーチも素晴らしいが、山々はもっと美しかった。深い緑の山々に囲まれてエメラルドグリーンに輝く透き通った川も。
これから先旅をするときも、その国の本当の姿を見ることを、忘れないようにしよう。そういう心と目を養っていこう、そう心に強く誓った。
耳に残るトゥイの優しい声。鼻歌を歌いながら料理をする姿。そして時々見せる寂しそうな目も。ずっとずっと忘れないでおこう。トゥイ、ありがとう。