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苦しみの大きさを比べない
「こんな日だからこそ、書こう。」
そう思ってカフェでパソコンを開きました。
連日の悲しいニュース、悲惨な速報を見るたびに胸が痛む。誰もが、自分にできることは一体何なのか、迷い、もどかしく感じているのだろう、と思います。
一方で、心の何処かで「自分ではなくて良かった。」「家族が巻き込まれなくて良かった。」そんな風に安堵してしまうのも事実です。当たり前の感情だとしても、そう思ってしまうことへの罪悪感に襲われています。たくさんの感情が渦巻いて、ひどく苦しい時間がわたしの中にも流れています。
こんなときに思い出すことは「苦しみの大きさを比べてはいけない。」と思ったトンネルの中に居たいつかのこと。わたしよりも大変な人がいるから、と自分の苦しみを我慢したり、否定してはいけない。わたしも苦しい。何も出来なくて、わたしも苦しい。誰かが苦しんでいて、わたしも苦しい。そういう気持ちを認めようと、今こうして向き合っているところです。
石川県はいつか親友と出かけた大切な場所。近隣の県にもそれぞれ思い出があります。初めてスキーをした場所、大切な友のふるさと、仕事で関わっている地域。そして何より、わたしが生まれ、育った日本であるということ。
わたしに出来ることは、微力な募金、思いを馳せること、正しい情報を知ること、学び備えること。そして、日々を生きること。しっかり生きること。命に感謝をすること。ただ、それだけなのだと思います。
それだけだけれど、それだけでも。わたしに変わらず訪れる日常を、しっかり受け止めていくこと。今を、今の日々をきちんと愛すること。隣にいる人の手をしっかり握りしめること。
自然の猛威の前には、人間の力など無力であることを、それを痛感してしまうのは、いつも自然を人間がコントロールしていると思ってしまっているから。自分自身の傲慢さ、愚かさ。惨めで恥ずかしい。
何度でもこうして学んでいくしかないのだと、情けないけれど、感じています。
わたしが書くことで、わたしが繋がることで、エールを送ることで、その一瞬でも救われる心が一つでもあるのならば、書く意味が、発信する理由がちゃんとあるのかな、と思っています。
みんなを救えなくても、ここにきてくれる人たちと、自分の心はちゃんと救い続ける。それが今年の決意かもしれません。
1日でも早く、安心して過ごせる世界がやってきますように。みんなが、あったかい場所で眠れますように。
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