連休も折り返して3割
※注)『明日になったら忘れてしまう!』そんな私の意識をパックマンしようとする睡魔との壮絶な闘いの最中に書いているため、いつにも増して支離滅裂です。
今日は両親とゴールデンウィーク恒例(?)の近場散歩に行ってきました。
お天気はまあまあ、ちょっと風は強いものの日陰は爽やか。日焼け止めは必須...
今年は行ったコトのない方面へ、というコトで、東京の西方面に向かう!...ウチから見たら、正確には北西なのかしら。
『高円寺には高円寺があるはずだ』
という根拠のない理由で、目的地は高円寺に決定。
事前に周辺地図を少し見ただけで、その地図も持たずに私たちは出発。迷ってもひたすら歩くのみなのは、いつものことだし...と開き直る一家。
高円寺駅にて、周辺地図を見るも何故か『高円寺』の文字はなく。
「あっちに緑が見える!」
という母の言葉を受け、『緑がある=神社など』みたいな根拠のない三段論法一家な私たちは、そちらに向かって歩き出す。
しかし、まったく違う神社。
せっかくなので参拝し、再び歩き出すと。
『宿鳳山・高円寺』の文字が入った案内板が!
墓地の入り口しか見つからない..._| ̄|○
「入り口が~」と口走りながらウロウロする私たちに、通りすがりの親切なおじさまが教えてくださる♪
なかなか素敵な。
とにかく、一番の目的は達成しました。
あ、私は寺社仏閣の写真は撮らないことが多いので、入り口のとこだけ。
たまに撮ることもありますが、何かわからないけど恐れ多くて撮りにくいのです。
そこから、またテケテケ歩いて五日市街道入り口まで行ったのですが、父が「お腹空いた」と言い出したので、お店を求めて放浪。
まだ11時半になってなかったのであまりお店が開いてなく...連休なのでお休みも多かったみたいです。
結局、高円寺駅の近くまで戻り、パスタランチを戴きました。
予想外に美味しかったです(失礼)。
昔々、武蔵野に住んだ期間が数年ある父が「和田堀公園の方に行ってみるか」と提案してくれたので、ランチのあと行ってみることに。
...ホントに行き当たりばったりです。
せっかくなので違う道から...と、中央線の高架線下をテケテケ。
線路下の有効活用がすごかったです!
しかし途中で道を折れて、全然、場所がわからなくなってしまったので仕方なく『文明の利器』に頼りつつ。
偶然、馬橋稲荷神社に遭遇!
こちらは、鳥居がすごかったです!
関東三大鳥居のひとつなのだとか。立派な龍神さまが!
さらにまたテケテケと歩いて...歩いて...歩いて。
和田堀は運動場もいっぱいあって、さすが連休、練習やら試合やら強風による砂埃やら(*`゚Д´)(っ*`з´)っ・:∴ケホケホ
早々に通り過ぎると、今度は大宮八幡宮が。
神々しいのか、何故か霞がかった写真に...(; ̄Д ̄)?
古武道の演舞とか催しがあったみたいですが、既に終わってしまっていて。
そーゆうのが大好きな父はちょっと残念そうでした。
とにかく立派な御宮でした。
さらに歩いて...歩いて...歩いて。
永福町の駅に到着。
ひとまず電車に乗り、井の頭公園へ。
中は混雑していると見て、井の頭公園駅の真ん前にあるお店『炭火珈琲 千』にてお茶休憩。
父はココア、母はアメリカン、私はカフェオレ。
実は今日は、もちろん亡くなってますが、父方の祖母の誕生日だった日。
父曰く「お袋を思い出して、よく飲んでいたココアにしてみた」のだそうな。
そして、井の頭公園内を散歩。
ボート、混雑しすぎ。
いや、乗りませんけどね。
そう言えば、井の頭公園のベンチには寄贈した人の名前が彫られた銅板が埋め込まれているんですよね、確か。満席で確認は出来ませんでしたが。
そして案の定、公園内のお店はどこも長蛇の列に満席。
早めに休憩して行って良かったです。
これも神々しい感じに霞んでますが。
『ちいさい秋みつけた』
つい『ちいさい秋、ちいさい秋~』から歌い始めてしまい、強引に最後を『ちいさい秋みつけた』で終わらせる私ですが(これをやると他に歌詞がなくなってしまう)。
それから吉祥寺駅に出て。
父の思い出の中とはすっかり変わってしまった駅周辺を少しプラプラ。父が覚えていた『ダイヤ街』とかは、当時から名前はあったようで。でも街並みは変わりすぎていて全く記憶に残っている様子とは違うとのこと。
吉祥寺駅の周りは、もうメチャクチャ人が多くて、渋谷のスクランブル交差点みたいな状態でした。
いいかげんお尻も痛くなって来たし、疲れて来たし、ボチボチと帰ろうかと。
途中の乗換駅で、祖母が好きだったらしい『みたらし団子』+アルファ(私たちの好きな和菓子)を買って帰宅しました。
当然、+アルファの方が多いよ!
というワケで。
本日の総歩数は、
21,278 歩でした。
ちなみに。
『吉祥寺にも吉祥寺があるはずだ!』と思ったものの見つけられず。
『吉祥寺は吉祥寺ではなく、元々は別の場所にあった』というような事実をちゃんと調べたのは、帰って来てからの我が家なのでした。