師走と鬱の話。12月2日
気がついたら12月だった。
師走とは言うが、やってくる時まで駆け足である。
気づけば昼間も寒い日が続き、すっかり秋は遠のいてしまった。
私の住んでいるところの冬は、特に雪が降るわけでもなく、暖かいわけでもない。ただ強い冷風が吹きさらすのみだ。
そんな寒い冬が今年もやってきた。
少し私の持病について話そうと思う。
持病というのはいわゆる鬱である。今は薬を飲んでなんとか凌いでいるが、たまに鬱に負けて動けない日もある。
冬は特に日照時間も短く、冬季鬱なんて言葉もあるくらいには鬱病患者にとって日光は大切だ。
仕事に行く日は日の出前に起きなければいけないため、起床後1時間以上
経ってから陽を浴びる。日暮れも早い。
12月になってからフルタイム勤務に戻ったが、既に日照時間の影響を受けているのか、だんだん体が動かない日が増えている。
この、体が動かない、というのをどう表現したら鬱ではない人たちに伝わるのか難しいのだが、とにかく頭では動かなければいけない、動きたいと思っていても体が動かない。やっと起き上がっても起き上がっているのがキツい。常に体に重力が過分にかかっているようなイメージといえば伝わるだろうか。横になっていてもキツさは変わらず、私の場合は不眠の症状もあるため寝に逃げるという選択肢も取れない。
誰だって寒い日は布団から出るのは辛いよ、と思われるであろうが、それとはまた違うのだ。
ただでさえ鬱で気分が沈んで動けないところに、更に動けない自分が情けなくて落ち込み、病気だから仕方ないと割り切ることもできずに落ち込んでいることにも更に落ち込む…といった具合に負の連鎖が続く。
こればかりはどうしても、鬱になった人にしか解らないことだと思う。
ただ、鬱の人間が「動けない」という時は本当に動きたくても動けないのだ、ということだけでも理解してほしい。動きたくなくて動かないわけではないのだ。
そして鬱には波がある。
昨日は動けなかったと思えば、今日は動けたりする。今日動けているからといって明日も動けるとは限らない。1日の中でも動ける時間と動けない時間がある時もある。かと思えば同じ症状が数日以上続いたりもする。
そんな面倒臭さが鬱にはある。
自分の明日の体調すら見通しが経たないのだ、情けないにも程がある。
そんな人間が人間を助ける仕事をしているのがなんだか笑えてくるし、そんな場合でもないだろうと思っている。
そして新しい会社に入ったら症状がどう出てくるのか分からない状態で入社を控えているのも正直にいえば不安がある。
ただ、もう看護師として人のために働くのは限界だなあ、と思った。
フルタイムに戻って仕事をしてみて、それを改めて実感させられた。
自分の体調や感情を制御できない人間が、他人の世話をできるわけがない。
どの仕事もある意味他人のためになることをしているのだと思うのだが、命に直結する現場にはもういられないなと感じたのだ。
そんな情けなさでまた動けなくなっている自分にも嫌気がさすし、今はこうやってnoteをかけるくらいには頭が動いている日内変動にも疲れる。
できれば鬱にも師走のように駆け去ってほしい。
いつまで私は鬱と戦えばいいのだろうな、と思った日の話。