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アニミズムと汎神論による霊的エネルギーへの回帰 人格神を超えた自然との共鳴

日本の神々は、キリスト教における全知全能の人格神とは異なり、自然そのものの力が神とされています。日本人の祈りは、人格神への対話的なものではなく、自然の力を感じる行為であり、そこには言葉や思考が必要ありません。

古代の日本信仰はアニミズムに根ざしており、山や巨木、巨石といった自然の存在に霊的な力を感じ、畏れ敬うものでした。時代の流れとともに、これらの自然の力は擬人化され、太陽は天照大神、月は月読命、海は素戔嗚尊といった人格神が生まれました。しかし、私は、人格神の出現が信仰を複雑にし、煩雑な儀式やしきたりを生んでしまったと感じています。古代のようにシンプルに自然から霊的エネルギーを感じ、崇敬するだけで十分ではないでしょうか。

寺社仏閣で正しい作法を守らないと神様に失礼という考え方も、自然のエネルギーを人格神としたことから生まれた余計な発想です。ただ自然のエネルギーを感じ取り、自分がそれを受け入れる器になればよいのです。汎神論者である私にとって、寺社仏閣で手を合わせる行為は祈願ではなく、自然の癒しやエネルギーチャージを求めるものです。

アニミズムは多神教であり、すべての自然物や生物に霊が宿っていると信じます。一方、汎神論は一神教であり、神を非人格的な存在と捉えます。私は、人格神よりも霊的な力が宿るとされる山や巨石など、擬人化されていない精霊信仰に親しみを感じます。長い間大切にされてきた物に霊が宿るという信仰も、自然を畏敬するシンプルな考え方として魅力的です。

排他的な一神教には好感を持てません。過去から現在に至るまで、そのために多くの命が失われたのは歴史的な事実です。私にとっては、自然の霊的エネルギーをシンプルに感じるアニミズムで十分であり、宗教としての複雑な儀式は必要だとは思いません。この世界に、絶対を主張する排他的な一神教は不要だと考えています。

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