ニーチェの死因 神の死から超人へ
1889年1月3日、ニーチェはトリノの広場で鞭で打たれる馬に出会いました。彼は駆け寄り、その首をかき抱いて涙を流しました。
その後、彼の精神は崩壊し、最期の10年間を看取られながら穏やかに過ごしたと伝えられています。
ニーチェは『ツァラトゥストラ』で次のように述べています。
ニーチェは『ツァラトゥストラ』において「同情」を執拗に批判しましたが、それは彼自身が他者の苦しみに対する感受性が強かったことを表しています。
彼は「同情」には「神を死に至らしめる」ほどの問題点があることに気づいていたため、「同情」を執拗に批判し続けたのです。
しかし、その同情の裏に隠された人間の醜さへの軽蔑が「超人」を生むきっかけになるのです。
「神の死から超人へ」という大きな流れが、『ツァラトゥストラ』という物語の骨格であり、要旨と言えるのです。その間に「力への意志」と「永遠回帰」の思想が挟まれています。
同情を批判し続けたニーチェの最後は、皮肉にも神の死因と同じく「同情」でした。
ニーチェは自身の作品と最後までリンクした人生を送った人物でした。
最後の10年間は「超人=無垢な子供」として穏やかに過ごしたことでしょう。
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〈引用〉
手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』中公クラシックス、Kindle版
森一郎訳『ツァラトゥストラはこう言った』講談社学術文庫、Kindle版