夏休み明けは憂鬱?
いよいよ新学期がスタート。夏休みは嘘だったのかー!幻だったのかー!とか言いながら登校していきましたw
兵庫県は9月から新学期だけど、大阪は8月末からだよね。
夏休み明けの憂鬱さは、大人では連休明けの初仕事と同等か?
いや、もっとツライかもしれない。
この時期、いつも思い出す。新学期が始まると自殺者が増えるという。図書館へおいで、という記事。
義務教育では教育を受ける義務はあれど、通学の義務はない。切り分けできるのよ。私も知らなかった。
上の記事では、女優さんや俳優さんや有名どころの人たちが、辛かったらいかずに休んでいたらいい、とある。
確かにそうだ。学校だけが世界じゃない。学校生活が合わなくたっていくらでも新しい環境はある。
と、大人の私たちは知ってる。通ってきた道だから。
でも、子どもからすると、学校という世界は広い。先生の言う事はちゃんと聞こうとするし、宿題しなかったり、忘れ物があると、責め立てられたりする(うちの子の担任はそういう人多め)
昨年、夢みる小学校という映画を自主上映した際、教育に向き合う機会があった。子どもがどうしたいかを優先する。私の想いを優先させるわけにはいかないのが何ともつらいところ。
子どもが元氣で楽しく通学できるなら、行ったらいいと思う。調理実習とか遠足とか、運動会とか。学校じゃなくちゃできないことも多いしね。
でも、もしいじめにあったり、学校生活に馴染めない、などで行きたくないというサインを感じた時には、すぐに対応できる私でいよう。そういう生活スタイルでいようと思った。
学校も、家もいづらいとなると、逃げ道が無くなる。
内の場合は、4年生くらいまでは行ったり行かなかったりで、フリースクールの見学にも行ったけど、今はわりと元氣に登校してる。
学校に行けない んじゃない。
行かない と能動的に捉えてこそ、今の足元がわかってくる。
学校に行かなければならない。不登校はダメな人間のすること。この思い込みが払拭されない限り、なかなか難しいのかなと思う。
親の立場としては、大勢の一般的だと言われる流れに逆らうとき、覚悟がいる。学校に行くべき、当然。という流れから外れる。
だから、子どもの不登校を通して、親のできる事と言ったら、レールから外れる覚悟、子どもに寄り添う覚悟、これさえあればあとはなんでもOKかなと思う。
周りの反応を恐れて大事な事を見失わないようにしたいよね。
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