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スキーマ療法実践シリーズ #2 「絡み合った歪んだ認知を理解する」

普段の曜日別の更新を一時中断をして、スキーマ療法の実践をnoteで行なっていきます。

 今回の原稿はすでに完成しています。しかし、プライベートな内容を多分に含むためにカウンセラーの先生と家族と協議をしています。そのため現段階で別な内容を書くことで同じ目的を達成してみます。

 私が酷い傷着いたと「認知」したのはすべて私の「認知」の問題である。結論からいえばすべてその状態であった。しかし、その「認知」に対抗する別な「認知」を取り入れることで、「認知」による結果通しを対立させて、双方のスキーマを活性化を維持していたということだ。特に第三者が絡むエピソードでこれになりやすい。

 具体的に話しをしてみよう。例えば、子供の学習塾のテストであまり良い点数をとらずに、塾の先生から怒られたとしよう。(実際に自分が子供の頃にあったエピソードだったりするけど)このときのわたしの思考では以下の2つの対立が起きる。

a) 勉強しなかったんだし、仕方無いし誰も悪くない。だから塾が良くない。
b) 結局怒られたことには変わりないので、自分が悪いと思わないといけない。

 アドラー心理学の立場でいえば、「課題の分離」から考えれば子供本人の問題なので、子供が支援が必要なときだけ手助けすればいいはずだ。でも、この状態になると(b)のロジックが働くことで自分の問題として引き寄せてしまう。だからこの時点ですでに認知を歪ませている。

 この二つの(a)と(b)の問題を同時かかえてえしまうことにより、問題を相互に解決しようとする。すると片方を解決しようとするともう片方がスキーマとして活性化するというサイクルを繰り替えしていた。だからこの問題を解決するには同時に一つのスキーママップに落とし込むことで、全体性としての自分と向きあった。そのことでスキーマの活性化を把握することができるようになった。

 無限ともつづくこのサイクルに怒りとして燃料が投下されてつづけていたことが今回起きたことである。ここにどのようなハッピースキーマを構築していくかは、次回以降試みてみます。



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