エッセイ / 二段階右折ができない
昨日、ジモティで買った原付を受け取りに行った。移住先で使うための原付を新しく購入したのだ。受け取り場所は、私の家から30kmほど先。そこそこ遠かったけど、価格が安かったので購入を決めた。
行きは電車で向かい、帰りは受け取った原付を運転して帰ってくることにしたのだが、問題は、私は二段階右折ができないということだった。
こうして図で見てみるとめちゃめちゃシンプルで、「二段階右折ができないってどゆこと???」と我ながら思う。でも、二段階右折をすることになるのは、片側三車線以上ある大きな道路だ。いざそうした巨大な道路に身を置くと、二段階右折ってマジでやり方がよくわからないのである。
二段階右折ができる人、もしくは実際にやろうとしたことがない人にとっては、「は???」と思われる話かもしれないが、とにかく私は二段階右折ができないのだ。なぜできないのか、という議論は今日は置いておく。頼むから置いておかせてください。
ゆえに私は、二段階右折を避けまくって家まで帰ってきた。本来右に曲がるべきところを、諦めて真っすぐ行ったり。その結果、もちろん予定よりも時間はかかったものの、一応ちゃんと帰ってくることができた。
そんな、二段階右折を避けまくって帰ってきた経験から私が感じたことは、以下の3つだ。
これって、「自分の見たくない面(=シャドウ)」についても全く同じことが言えるよなあと思った。
自分の見たくない面、認めたくない面は、別に見つめなくても生きていける。でもいくら避け続けても、それはいろんな形で自分の前に現れ続けるし、避け続ける限り、遠回りを強いられる。
私も長い間、自分のシャドウをちゃんと見つめられずに生きてきたので、自分のシャドウが「嫌いな人」として数年に一度のスパンで自分の目の前に現れたり、それを避けたがゆえに遠回りをしてしまったり、そんな体験を何度もしてきた。
でもやっぱり、いつかはちゃんと根本的なところを叩いてあげないと、そういう苦しい体験が起こり続けるんだろうなあと、二段階右折を避け続けるなかで、改めて気づかされた。
しかも、避ければ避けるほど、どんどん追い詰められていくというか、どうしようもない状況になってくるような気もする。二段階右折を避け続けた結果、「ここで右に曲がらないとマジでもう、家からどんどん遠ざかっていくぞ……」という局面まで来てしまうような感じで。
まあでも、二段階右折をしなくてもいいような(=三車線以上の道路なんてないような)田舎に住むとか、そもそも原付に乗るのをやめるとか、二段階右折というシャドウを克服せずとも、うまく生きていく方法はたくさんあるとも思う。だからシャドウを克服することだけが絶対の正解ってわけでも、きっとないんだろう。
でも私はこれから、原付に乗っていくと決めたから、、、、とりあえず、二段階右折特訓します。