エッセイ / 頭に置き去りにされる身体
「頭でわかっていても、なんだか決断ができないとき」って、「頭が身体を置き去りにしてしまっている状態」なんじゃないかと気がついた。
身体は、過去にも戻れないし、未来に行くこともできない。常に現在、今この瞬間にだけ、存在することができる。一方で頭(思考)は、未来を先取りすることができてしまう。
「このままの道を進んだら、のちのち後悔することになりそうだ」、「あっちの道を選んだ方が、きっと自分は幸せになるだろう」。頭でそう分かっていても決断ができないのは、その後悔も幸福も、あくまで未来に起きるであろう出来事で、「今この瞬間」の私(=身体)には、全く関係のないことだからなんじゃないか。「頭でわかっていても、心がついていかない」ってことが起きるのは、ここに要因があるんじゃないか。
そう思い至ったのは、私が最近、恋人と別れるか別れないかで悩んでいたからだ(結構勇気のあるカミングアウト)。周囲の人に相談したり、自分なりに考えたりして、私は「別れた方がいいだろう」という結論に至っていた。でも、いざ別れ話をする段になると、自分のなかに迷いがあることに気がついたのだった。
そこで私は別れ話の最中に、自分の五感に集中してみた。それは以前、メンター的存在の方から「自分の現在地を知るには五感を頼ることだ」というアドバイスをもらっていたから。別れた方が幸せになりそうだと頭ではわかっている、でもいざ彼と話すと情が湧いてきて、自分がどうしたいのかわからない。そこで私は、自分の本心を探るために、五感に耳を澄ませた。
その時に感じたのは、私の身体は彼を拒絶してはいないということだった。昔、別の恋人に私から別れを切り出した際は、もっと感覚的に恋人を拒絶したくなる感じがあったよなあと思う。
結局私たちは、ほんとうにいろいろな葛藤と会話の末、引き続き一緒にいてみることになった。私は結局、話し合いの最中は、自分が本当はどうしたいのかという結論を出しきれなかったのだけど、話し合いの後しばらくして、「別れた方がいい、というのは、あくまで未来を先回りした考えだったんだ。だから、今ここにいる自分(=身体)は、納得できていなかったんだ」という先述の気づきが、突然降りてきたのだった。
だから、心(=身体、だと私は思っている)から納得する決断をするためには、頭を働かせて「情報」だけを集めて断定するのではだめで、身体感覚を伴った「経験」を集めなくてはいけないんだ、と思った。
平たく言ってしまえば、彼氏との別れを迷わず決断するには、私はまだまだ痛い目を見足りていなかったってこと(笑)。悩んでいた私に必要だったのは、誰かに相談することでも、自分の頭で考え抜くことでもなく、恋人と真正面から向き合い、彼との経験を積み重ねることだったのかもしれない。(前提として、信頼できる人たちに相談し尽くし、自分なりによく考え抜いたことは、本当によかったと思っている。それもすごく大切だけど、それだけだと片手落ちだという話。)
思えば以前にも、同じような体験があった。
私は新卒で就職先を選ぶとき、企業に勤めるかフリーランスになるかで悩んで、結局企業に就職した。当時の私にとってフリーランスになることは、頭で考えるぶんにはとてもワクワクする選択だったけど、身体感覚では足がすくみ、震えてしまうような選択だったのだ。
でもそれから数年経った現在、私は会社を辞め、フリーランスをしている。新卒の時にはできなかった選択ができたのはきっと、フリーランス的に生きて楽しそうにしている人たちや、ちゃんと生計を立てている人たちとたくさん出会ったことで、その選択に安心感を持てるようになったからだ。
新卒の時は、フリーランスの生き方について、ネットや本などで情報を集め、頭で考えているだけだった。でもその後、フリーランスをしている人たちに生で会い、五感を使ってその魅力や確からしさを味わい、感覚的に確信したからこそ、私はフリーランスになる道を選ぶことができたんだと思う。
「あっち道を選んだ方が、きっと自分は幸せになるだろう」。でもそれはあくまで、未来の話、「選択した後の自分」が幸せになるだろう、って話なのだ。だから今この瞬間の自分(=身体)からすれば、「そんなの知ったこっちゃない、あっちの道に行かずとも、今の私はこの道にいてなんら不便はございません」って話になっちゃうんだと思う。
「行けば絶対楽しいと分かっているんだけど、行くまでがめちゃめちゃ面倒くさい集まり」も、同じ理論で説明できるんじゃないか。「きっと楽しいだろう」というのはあくまで未来の話で、今の自分(=身体)からしたら知ったこっちゃないのである。だから、頭ではどんなに楽しいだろうとわかっていても、集まりに顔を出すのはいつもあんなに面倒なのだ。
とはいえ、身体的な納得感を伴わなければ決断ができないわけでもない。
私たちには二つの選択肢があると思う。一つは、納得感がなくても、頭で言い聞かせて意思決定をすること。もう一つは、納得感が生まれるまで、体験を積み重ねること。
前者と後者は、どちらが正しいとかじゃなく、きっと好みの問題なんだろう。時と場合で使い分けることもあると思う。私はたぶん、「行ったら絶対楽しいけど、行くまでが面倒な集まり」には、頭で体に鞭打って参加するけれど、恋愛になると、納得感が伴わないと意思決定ができないタイプ。
だから私はこれから、特に恋愛においては、頭のPDCAと身体のPDCAを同時に回していくことを心掛けていきたい。「心がついてこない」状態に陥った時は、考えるのはもう十分だから、体験を取りにいくようにする。
引き続き、彼氏との関係性には悩みもあるけど、「私に足りないのは体験だから、これ以上いくら考えても、納得感にはつながらないんだ」とわかると、なんだか清々しい気持ちになった。自分でぐるぐると思い悩むのを、やめることができたからだ。これ以降は、頭で考えるんじゃなく、もっと彼と時間を過ごして、自分の身をもっていろいろなことを味わって、納得できる答えを見つけていけたらいいと思う。