【読書感想文】ライ麦畑でつかまえて
これは若い世代それ自身の問題というより、かつて若かった者が、どう生きていくかという物語である、とも思いました。
タイトルの「ライ麦畑でつかまえて」(原題:The Catcher in the Rye)の意味は作中において、妹であるフィービーから、将来の夢を尋ねられた主人公ホールデンの返答に、はっきり表されています。16歳の彼は科学者や弁護士にはなりたくない、大人のいないライ麦畑で遊ぶ子どもたちが、そのふちの危ない崖から落ちないように、落ちそうになったら、そんな子をつかまえる仕事をしたい、「ライ麦畑のつかまえ役」になりたい、というのです。
ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げていることは知っているよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知っているけどさ
ここでホールデンは、自分自身を『ライ麦畑で遊ぶ、危ない崖から落ちそうな子ども』であるとは思っていません。これは読者が作中全体から受け取る、彼に対する印象とは異なっています。そして彼は、むしろそれを見守る者になりたいというのです。
そして物語の最後には、ホールデンが回転木馬(メリーゴーランド)に乗るフィービーを見守る場面があります。回転木馬には、金色の輪が取り付けられていて、乗りながらそれを掴まえると無料でもう一度乗れるため、乗る子どもたちは皆、落ちそうになりながら、それを掴もうとします。
フィービーもやっぱし同じことをやってたんで、僕は木馬から落ちやしないかと心配でなくもなかったけど、何も言わず、何もしないで、黙ってやらせておいた。子供ってものは、かりに金色の輪なら輪を掴もうとしたときには、それをやらせておくより仕方なくて、なんにも言っちゃいけないんだ。落ちるときには落ちるんだけど、なんか言っちゃいけないんだよ。
そのうち激しい雨が降り出して、主人公はずぶ濡れになりながら、回転木馬に乗るフィービーを見守り続けます。そして、彼は「とても幸福な気持」になり、以下のように結ばれ、その場面は終わります。
ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、回りつづけてる姿が、無性にきれいに見えただけだ。全く、あれは君にも見せたかったよ。
ぐるぐる回り続ける若者、落ちそうになりながら、金色の輪を掴もうとせずにはいられないこと。それをずぶ濡れになることを引き受けながら、黙ってやらせておいて、見守ること。
ホールデンのなりたい「ライ麦畑のつかまえ役」と、最後の場面の『見守る』行動は、若者ではない、かつて若かった者が担う役目ではないでしょうか。もしかしたらそれは、ぐるぐる回り続けた末に、そのうちの若者の何人かが、たどり着く場所なのかもしれません。
どんな時代でも変わらない若者の尊さと、それに対する寄り添う気持ちが、この物語には込められていると思いました。そしてそれはもちろん、物語の中のものだけではなく、今の現実にもあるものだと、信じたいです。
馬鹿げていることは知っているよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知っているけどさ
出典
J.D.サリンジャー著、野崎孝訳、『ライ麦畑でつかまえて』、白水社、白水Uブックス、1984年5月、全332ページ