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〇身辺整理

いつ死んでもいいように身辺整理をしようと実家に行ってきました。
昨日から今日にかけて泊りがけで断捨離していましたが、なかなか終わらないですね。
自分が死んでしまえば、家族や大切な人に引き継いでも価値がありそうなものがありません。なので、全て捨ててもいいのですが…。
これからも生きる前提の場合、自分のルーツや生きてきた過去を振り返ろうと思う機会があると思います。そうなると、なかなか捨てがたいものが沢山あります。

消したい過去、消したい記憶、辛い記憶、沢山ありますが、
それ以外にも幸せな過去もありました。どちらも自分の感情でありました。
断捨離は結構辛い気持ちになりました。

小学校2年~6年生の頃の者を処理しようとしていると、凄く辛い気持ちになりました。
ああ、何故、子どもの頃の私はあんなに気持ち悪い顔をしているのだろう。
中学生の頃のものは、家庭の制限がある中で、幸せでのびのびした記憶がよみがえっていました。母と教師に「出来ている事を認めてもらっている」ことが、自分にとって自信につながり、幸せにつながっていったんでしょうね。ひそかに教師にあこがれていたことを思い出しました。自分の中学の頃の先生たちは、かなり聡明な先生が多かったなと思います。
小学生~中学生の体験が、自分なりの「人を正しく見る目」に繋がっていったのだと思います。(主観ですが)
写真を見ていると、人はこんなに変わるものかと驚くほど、自分の表情は年々変わっていっています。
今の私なら、辛いことも悲しいことも、ストレスをあまり感じないようにできたのに、なぜ、そのように生まれてこなかったのだろう。普段忘れている記憶を掘り起こすと、なぜ、と考えてしまいます。
いつもは仕事で忘れているからいいのですけどね、こうしてたまに過去を振り返ると、全ては今の自分を形成している自分にとって必要な過去なのだなと思います。

帰り際は地獄を見てしまいました。
やはり、蓄積しているものは簡単に変えられませんでした。死にたい気持ちに襲われました。
私の中で、家族に精神的・時間的・物理的・経済的に人生を奪われてきた量は、あまりにも多いと感じます。その物事に直面すると、私は死にたいと思うのです。「違う家庭であれば、こんな未来があったのに」と、自分の人生に価値がなくてとても辛い。
しかし、人のせいにしてはいけません。分かっています。でも、今はどうしてもそう捉えてしまうのです。アドバイスは要りません、自分で解決するので。

やはりもう実家には帰りたくありません。そう思うと、全てをいつ死んでもいいように処理するべきだと思いました。
そして、今と未来を一生懸命生きたいな、と思います。

内容が少し暗くて申し訳ありませんが、久しぶりの投稿を見ていただいてありがとうございます。
Noteを初めて2年だそうです。また少しずつ更新します。

冬譜

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