第二次世界大戦における日本人犠牲者の人類史的意義


私が幼い頃から疑問に思い、また悔しくも感じてきたことがひとつある。

それは第二次世界大戦における日本の民間人が、空襲によりあまりに多く殺されたこと、そしてそれは「日本軍国主義に対する正義の報復に伴うやむを得ざる犠牲」として、西洋列強中心の世界史に解釈されてしまうのか、ということだった。

これは幼心に疑問だった。
しかも彼らは日本が負けたことにより、何の意味も持たない、何も生み出すことのない死であったことになる。その数八十万。
現代の平凡な日本人が同じ数いたずらに死ぬと考えたら、とんでもなく恐ろしいことであろう。彼らの実態はそうした平凡な日本人に他ならないのだ。

ゆえに、彼らは日本の敗戦のため無駄死にしたということになるのだろうか?

否、彼らの死は実に偉大な意味を有していた。現代の日本人、いや、世界の人間が知らない崇高な意義を。

彼ら空襲により死んだ者たちの犠牲によって、人類は核戦争による滅亡を回避したのである

やや突拍子もなく、また都市伝説臭く感じるかもしれないが、説明していこう。

大戦末期、日本本土空襲の指揮をとったのは、カーチスルメイという男だった。
その男の部下にロバートマクナマラという男もいた。

マクナマラは優秀な男で、ルメイの本土空襲を様々手助けしたが、途中からルメイに対して抗議を繰り返すようになった。

それはカーチスルメイという男が非常な残虐さを有していて、平気で日本の民間人を十万単位で焼き殺していたからだった。
マクナマラはルメイの残虐さ、また民間人の殺戮の実態をこれでもかというくらいに目の当たりにした。
そしてルメイを止めきれず多くの死者を出したことことは、彼に死ぬまで後悔の念を残したのである。
これは後年のインタビューでも強く語っている。


その後月日が流れ、マクナマラはケネディ大統領の下で、国防長官へと出世した。
やがてキューバ危機が勃発し、アメリカはソ連と全面戦争の危機を迎えた。
その時CIA長官から各軍指導者までもが口を揃えて先制攻撃による戦争の開始を唱えた。
そしてそれを最も強烈に望んだのは、空軍大将となっていたあのカーチスルメイであった。

が、ケネディと共に彼らを必死で抑え、何とか東西全面戦争=核戦争を止めたのは、他ならぬかつての部下、マクナマラだった。
ケネディでさえも親族のかつての失態をルメイらにあげつらわれ、押しきられかねないところであったが、マクナマラは必死にルメイたちの開戦を抑え続けた。

彼はのちに、その時日本本土空襲のことを思い出さずにはいられなかったと語っている。
カーチスルメイを止められず、日本の民間人を焼き殺した自責の念が、新たな大戦争の勃発を食い止めたのだと。

私はこれを知ったとき、日本人の死者たちが完全なる無駄死にではなかったと思われ、救われた様な気がしてならなかった。

日本人はこの事実をより多く知らねばならない。これは無論仁の心をもったマクナマラという偉大な人物があっての話だが、それでもよい。
意味はあった、そう思うだけでよいのである。


そしてその一方で、同胞を焼き殺したルメイに日本政府が勲章を送ったという愚かな事実も知らねばならぬ。
チェ・ゲバラが知れば、日本人のことを呆れてならなかったであろう!

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