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あなたも変だし、僕も変。その認知こそが、編集の第一歩。

僕らは誤解の中で生きている。
ただ、それが自分の個性であり、存在意義である。
そんなことを学べたコルクラボ編集専科の最後の講義だった。


突然だが「男の人」を思い浮かべて欲しい。

頭に描かれたのは・・・



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こんな人かもしれないし・・・



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・・・こんな人かもしれない。

あえて大袈裟に表現したが、当たり前のように使う「男の人」という言葉を絵にしてみることで、ここまで意味揺れが発生するのが言葉というものであること。それを大前提において、人とコミュニケーションすることが今回の学びのど真ん中だと思って欲しい。

さらにこの言葉の意味揺れは「男の人」のように具体的であれば、絵にさえ出来れば共通理解がある程度可能と言える。

では、実態のないものだとどうだろう?

「失敗」を思い浮かべてください?
「理想」を思い浮かべてください?

これらは、そもそも自分自身でも定義付けやイメージがしづらいものである。それをお互いに理解することの途方の無さといったら計り知れない。

ただ、コンテンツが伝えることの多くは、そういう実態のない抽象概念である。そんな伝えたいことを作る人と編集者の理解が進まないまま取り組んでていては、意思疎通は出来ないし、良いものは生まれない。

今回は、その抽象概念を編集者が作り手と摺り合わせをするためのフォーマットを教わった。これはすごく良い。いろんなことに応用が出来て、具体と抽象の行き来の練習になる。これはきっと編集者にとっての大きな武器といえる。

それが「DoubRing(2円図)という2つの言葉の関係性を9つのパターンに分類する思考フォーマットである。

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このフォーマットをもとに先程の「失敗」について考えてみよう!

まずは「失敗」をより理解するために、その対となるものをイメージする。今回の場合はそれを「成功」としてみる。「失敗と成功」と考えることで、より「失敗」についてそれぞれが持っている感覚を深く理解できるのがこのフォーマットの特徴である。

では、あなたにとって「失敗」と「成功」の関係を上記のフォーマットの9つのパターンの中からどの関係性と捉えるかを考えて見てほしい。
※失敗をA、成功をBとしてください※



ちなみに僕は「失敗」も「成功」も捉え方次第であると思っているので【パターン6】をイメージしたのだ。さぁみなさんはどうだっただろうか?

もちろんこれに不正解はない。それぞれが持つ認識すべてが正解と言える。ただ、認識をすり合わせるということが大事だということだ。

たとえば僕のように【パターン6】のように失敗も成功も捉え方次第であって、なんの差もない人が言う「今回の実験は、失敗でした!」と【パターン1】のような失敗と成功はまったく交わらず、かつ失敗の方が大きいイメージの人が言う「今回の実験は、失敗でした!」ではその言葉の意味合いがまったくもって違ってくる。前者は比較的ポジティブに聞こえるだろうし、後者はすごくネガティブと言える。

この意味合いの違いを理解することが何になるか。
それこそが、編集専科で学び続けてきた、コンテンツをより強くすることであり、コンテクストをより深めることに繋がるのである。

なぜなら、各個人の認識の「違い」を可視化することが出来るのがこのフォーマットの強みであり、認識の「違い」こそコンテンツの「個性」と呼べる。そして、一般的な認識を持った人にそれを伝えるためにどうすれば良いかを考えることこそコンテクストを深めることになるからだ。

それは、もしかしたら料理に似ているのかもしれない。

スイカを食卓に出されて「召し上がれ」と言われる。

多くの人が「食べる部分=スイカの実の部分」だと考え、「食べない部分=スイカの皮」だと考える。

ただそこで勘違いして、「食べる部分=すべて」だと考えて、スイカの皮を食べる人がいるかもしれない。美味しい美味しいと皮を食べてしまうかもしれない。

この「皮=食べるもの」と認識することが個性である。実際、スイカで言うと皮の栄養価は高いらしい。ただ、もちろんそのままでは間違いなく多くの人にとってスイカの皮とは不味くてそもそも食べれないものだ。だから調理をする。すると食べられる人が増える。「スイカの食べる部分=すべて」の人が増えることになる。スイカの皮を食べることにしたあなたはイノベーターと呼ばれる。

そう。これが「違い」を可視化することによってコンテンツがより良いものになり、コンテクストが深くなり、世の中に届く様だと言える。

実際に勘違いで生まれた料理は多い。ただ、それはあくまで勘違いだ。偶発的だ。その確率を上げるために、このフォーマットによって「違い」を可視化しよう。僕らは思っているほど、同じではない。違っている。そして、その違いこそが「存在意義」であったり「個性」と呼べるものとなる。

人と違う認識をしていることが個性となる。そして、その認識の価値をあなたが絶対のものだと信じて、他者に届けたいと強く願えば、それは武器となり、作品となる。あなたの世の中からはみ出した部分が、多くの人に愛される作品になるかもしれない。編集の立場であれば、作り手をそうやって導いてあげられるかもしれない。そんな魔法のような編集スキルが今回の思考のフォーマットだ。

「好きのおすそわけ」をしよう。そうやって始まった編集専科だったが、僕らは嫌いな理由はたくさん言えるのに、好きはなかなか表現することが難しい。そこで、なぜ好きかの前に自身の価値観や作品の価値観をこのフォーマットによって抽出し、説明が出来るようになるだけでも作品に対する理解が深まるし、相手に伝えることが出来る様になるのが分かる。

たとえば僕の好きな漫画家である冨樫氏の「幽遊白書」や「HUNTER×HUNTER」について考えた。抽出した言葉は「正義」と「悪」だ。子供の頃は、戦隊モノやウルトラマンの影響で、当たり前のように勧善懲悪の価値観だった。つまり、正義と悪はまったくもって交わるものではなかった。少しでも悪いことをすれば、たとえ昨日まで正義だったとしても悪と認識する。二項対立のイメージだった。フォーマットで言うとAとBが離れている分離型に属する。

でも冨樫氏の作品は違った。もはや正義も悪も立場や価値観次第であるということが分かる。特に、冨樫氏の作品で言えば人間の方が妖怪や怪物よりよっぽど醜く性根も腐っているように描かれがちで、そこまでされたことで当時小学校高学年だった僕ですら、この作品に触れたことで「正しい」なんてなくて【正義の反対は他人の正義】でしかないと思えるようになった。つまり、パターン6の完全一致型なのである。

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※幽遊白書/冨樫義博(仙水が人間に絶望するシーン)

この価値観の変化は今も根強く刻まれている。

・・・こんな風に好きを抽出し、思考フォーマットに乗せると自己理解が深まるし、伝え方も洗練される。

うん。これは使える。習慣にできたら強くなれそうだ。それはきっと、HUNTER×HUNTERで言う「念」であり、ワンピースで言う「覇気」を習得していくようなワクワク感だ。ぜひみなさんにも習得してほしい。

文章での説明の難易度が難しく、さらに僕の説明が下手だと思うので、ぜひこの思考フォーマットについては下記サイトを覗いてほしい。日本と海外での言葉の捉え方の違いも掲載されていて、相互理解の難しさをより理解出来るようになる。

以上が最後のコルクラボ編集専科の講義の振り返りレポートだ。



最後に・・・
このコルクラボ編集専科で学んだことはあまりにも多い。このレポートの過程でも自分の成長を感じれるほどだ。ただ、僕はまだまだ何ら変われていない。それは、レポートを書くのが上手くなっただけだからだ。これからは、自分で生み出すことを自分に課す。実際、いろいろ動いていく。世の中を少しでも豊かにする作品を作りたいと思っている。その成長過程こそが、コルクラボ編集専科一期生の卒業生としてできる最大の恩返しだと思っている。佐渡島さんを代表とする講師のみなさん、そしていつも暖かく接してくださったラボのみなさん、本当にありがとうございました。

またどこかでお会いしましょう。

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