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窓ぎわのトットちゃん~大人がいる世界~

先月ですが、映画「窓ぎわのトットちゃん」を見てきました。
偶然予告を見て、いてもたってもいられなくなり、久しぶりに映画館に足を運びました。
見終わった後、今の自分に本当に必要な映画だった、同時に今の日本に必要な映画だと思いました。なぜなら、映画の中に「大人」が描かれていたからです。

その大人とは、落ち着きがないことで小学校を退学になったトットちゃんを受け入れた新しく通う学校トモエ学園の小林校長先生。
トットちゃんのなかなか終わらぬ話にじっと耳を傾け、予告編の中にもある全てを受け入れる言葉を発します。

トットちゃん「・・・・・・どうしてみんな、わたしのことを困った子っていうの?」
ー校長先生「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」

不覚にもここで涙しそうになりました。私も学校になじめない「困った子」だったからです。校長先生がこんなに受け入れてくれるなんて。この世界にいてもいいよ!っていわれたも同然です。

これホント、私が大人にいわれたかった言葉。大人って受け入れられる器のある人のことをいうんだなーと鼻をすすりながら思いました。
私にとって、トモエ学園の校長先生は大人の象徴です。大人とはどのような人間か、それを目に焼き付けることができただけでも、この映画を見に行ってよかったです^^

水彩っぽい画が素敵でした

この映画の見所は他にもあります。親友の小児麻痺の男の子泰明ちゃんとのお話、トットちゃんの創造力を表現したシーン(上写真の左)など。繰り返し見たくなる特別な作品の一つになりました。

この映画を見た後、連想ゲームのように思い出された本があります。その本は有名なコヴィー博士の「7つの習慣」です。家に帰るとすぐに気になるページを開き読み直しました。それは学校生活になじめない息子を書いた箇所です。学業もスポーツも対人関係もパッとせず皆の笑い者になっていた息子。コヴィー夫妻は息子の力になろうと必死になるのです。

「頑張れ!おまえならきっとできる!」

夫妻の必死のサポートにも関わらず、息子は自信をなくしていきます。励まし、手を差し伸べ、前向きな態度で接したのに、どれもこれも失敗に終わり、ある気づきを得ます。

どんなに言葉を尽くして励ましても、息子がそこから感じとるのは「おまえは劣っている。だからお父さんとお母さんが守ってやらなくてはならない」というメッセージだ。

P.7

励ましの言葉の後ろに「おまえは劣っている」という見方があった。この見方が子どもを「困った子」にしてしまうんですね。存在(being)を受け入れていない気持ちが子どもにダイレクトに伝わってしまう。

その後、コヴィー博士は、新しい見方で息子と接します。

息子は社会に十分適応して生きていける。(中略)おまえを守ってやる必要はない。一人でも十分にやっていける。

P.11

月日が経つと、息子は自信を持ち始め、自分を認めるようになり、自分のペースで花を咲かせ始めたそうです。親に心から信じてもらえるなんてこんなにうれしいことはありません。私は今でも自分を信じてくれた大人の態度や言葉を覚えています。
コヴィー博士が「息子が自分で独自性を表現できるように、邪魔にならないようにしていよう」と決心したように、私もそう在りたいと思いました。

「困った子」なんてひとりもいない。
あるのはそんなふうに見る「見方」だけなのかもしれません。

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Leni
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