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リスペクトは興味からはじまる

仕事にこだわりを持って向き合っている方の話を聞くのが好きです。月並みな表現をするならば、「プロフェッショナル」となるでしょうか。

当たり前のことですが、世の中にはさまざまな仕事があります。私にとって身近な存在を挙げるとすれば、同業であるライターや編集者のほか、カメラマン、コンテンツの制作者・開発者などです。

けれど、ここでいう“プロフェッショナル”とは、クリエイティブな仕事をしている人だけを指しているわけではありません。たとえば、日頃よく利用するコンビニエンスストアやスーパー、その他の小売店などにも、専門家としての矜持を胸に、仕事と真摯に向き合っている方が必ずいるはずです。

そういった方たちの仕事に対するこだわりを、いわば門外漢である私たちはなかなか知れません。たとえ(仕事ぶりだけでなく)言葉にして伝えられたとしても理解できない部分が少なからずあり、その未知の領域のロマンのようなものにいつも惹かれてしまうのです。

私は、「もっとも暮らしに身近で“プロフェッショナル”の多い分野は、飲食業界である」と思っています。社会にごまんとあるからこそ、どこで差別化するのか。そのポイントを考えながら、店舗の経営・運営に向かっている方が多いからかもしれません。もしあなたに、店主と気軽に話せる行きつけの飲食店があったら、ぜひこだわりや矜持について聞いてみてください。なにげなく接していたときにはわからなかった、その方のプロフェッショナリズムが見えてくるはずです。

一方で、飲食業界には、もっとも暮らしに身近だからこそ、社会的に軽んじられがちという面もあります。私はライターとなる以前、バーの責任者をしていた時期がありましたが、ラストオーダー後に入店しようとする客、閉店時間を過ぎても席に居座り続ける客が少なくありませんでした。彼らの論理は、「閉店時間には出るから」「あと1杯おかわりするから」。つまり、「お金さえ払えば、お店側のルールは捻じ曲げても構わない」という、誤った「お客様は神様です」の論理によるものです。

飲食店で働いてみるとわかるのですが、ラストオーダーはその日の業務をスムーズに終えるためのボーダーラインのようなものです。仮に最後のお客様が閉店時間に席を立ったとしても、ラストオーダー後に注文が入っては、片付け作業が進まず、その分だけ終業時間が遅れます。そもそもあらかじめ店が設定したルールに従うことは、利用する上での店側と客側の約束です。あなたが閉店時間をまたいで最後に飲んだ1杯のカクテル代で、お店で働く人たちの時給や家賃、余計にかかった水道光熱費などを払えるでしょうか。そう考えれば、1杯の価格がルールを破ることの対価になり得ないことは、誰にでも容易に理解できるはずです。

こういった飲食業への冒涜は、関係者のプロフェッショナリズムに対するリスペクトのなさに由来すると考えています。あなたがお店を選ぶのと同様に、お店にも“客を選ぶ権利”があります。バブル時代の負の遺産のような“お客様至上主義”は、その手のサービスを売りにするお店で振りかざせばよいのではないでしょうか。

この論理は、すべての分野に応用できます。なぜそのような表現をするのか。なぜそのようなルールが設けられているのか。お金を払う、コンテンツを受け取る側の立場だったとしても、背景を想像すれば、いろいろなことが見えてきます。

リスペクトという言葉は大仰で形式的ですが、すべては相手に対する興味に帰結しているのです。「リスペクト」の対義語である「不尊」「不遜」「失礼」といった言葉が、「興味」の対義語である「無関心」「自分本位」といった言葉とニアリーイコールであることがそれを物語っています。

すべては相手に対する興味から。人間の社会性・協調性は、この言葉に宿っている気がします。

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