新入生なキモチ
先日、約5ヶ月ぶりにお仕事のご依頼をいただきました。
明日、4ヶ月3週ぶりに仕事に行きます。
来月始まる、上演にむけての準備(稽古)の前哨戦的なご依頼ですが、
久々すぎて仕事のやり方を覚えているのか不安になってます。
初心者の頃のような気持ちだよ、、、
持ち物の準備して、目覚ましもかけたけど、さっきから心拍数上昇しがち。
緊張してるなあ……。
ん、待って。
この緊張感、覚えがある。
仕事始めて5年目くらいのときだ。
私の仕事は舞台監督助手、舞台進行を司る舞台監督の部下。
これが説明し難い職種で、なんでも屋というか、会社組織なら庶務課なんじゃないかというか、舞台の進行に関わる全てを仲間で分担して、稽古初日から千穐楽までご奉公する仕事です。またの名は、演出部。演劇にはいろんな部署がありますが、演出部は大道具、小道具、衣裳の本番進行に携わり、稽古期間には照明、音響、ヘアメイクなどに関連することの連絡係で検証係というポジション。稽古を円滑に進めることも仕事のひとつです。
大道具、小道具、衣裳でいうと、大道具は男性が担当することが多く、衣裳は女性が担当することが多く、小道具は半々。その例に沿って、私は衣裳や小道具に関わることが入職当初から多かったのですが、ある時、大道具として派遣されることになりました。「大道具はできない」と言ったのですが、親しい先輩からの急な依頼で、断りきれなくて。
しかも巡業を数ヶ月続けた現場に途中参戦。芝居も、職場の人間関係も出来上がったところに行く。しかも初めてのカンパニー。なにかトラブルがあったらしい急な依頼だから、来る人には「できる」ことを求められているに違いない――
そんな考えがますます緊張を呼びました。依頼を受けてから、眠れないし、寝てもすぐ目覚めるし、動悸は激しいし、すぐキョドるし。
でも受けた以上はやらなきゃ。結果を残さなきゃ。
プレッシャーは募る一方でした。
出発前夜、緊張と不安が急上昇。不安すぎて仕方ありませんでした。
でもそんなんじゃダメだ。
どうしよう。
どうやって元気出して乗り込もう。
考えた挙げ句、母に頼みに行きました。当時はまだ母と同居していたのでした。
「お母さん、お願い。明日、お弁当作って」
母は一瞬怪訝そうにしましたが、すぐに「いいよー」と笑顔をみせてくれました。
それだけでも良かったのかもしれない。それだけで安心できました。不安は消えないけれど、緊張は消えました。
翌日。荷物を背負って出かける私に、母は約束通りお弁当を持たせてくれました。
秋田に向かう新幹線の中でお弁当を広げました。
おかずのすべては覚えていません。でも、玉子焼きが入っていたことだけははっきりと覚えています。私が玉子焼き好きだから入れてくれたのでしょう。ちょっとだけ出汁が入った塩味の玉子焼き。ひと口含むと、ジュッと口の中に美味しい味が広がります。
その瞬間、涙が出ました。泣きながらお弁当を平らげました。
悲しい涙じゃない、かと言って嬉しい涙でもない。
でもなんだろう。なんて言えばいいんだろう。
頑張ろうって思えた涙?
あの時の自分の感情はよくわからないままですが、ひとつだけはっきりわかっているのは、頑張ってくるって思えたこと。できるかわかんないけど、一生懸命やってこよう、そう思えたのです。
現場ではやっぱりあたふたしたし、失敗もしました。どうにか乗り切ったけれど、今でもあの時の私はひどかったなあと思い返してます。断りきれなかったとは言えひどかったなあ。ある意味、黒歴史。
まあ、でもさ。
仕事における自分的黒歴史はいずれどうにか挽回できるんだと思う。
逃げたくなるキモチをどうにかできれば。
それが私にとっては、母のお弁当でした。
あの日以降、母にお弁当を作ってもらったことはありません。あれが最後の母弁当でした。単に機会がないままってだけですけど、あの日のことがあって、どうにかしてでも頑張るしかない時、お弁当が元気をくれるんだと思うようになりました。だから、どうしても不安がある時は自分でお弁当を作って仕事に行くようになりました。
どういう心理なんだろう? 家で作ったごはんで紐付けしてるのかな。不安がある環境に出陣しても、巣と紐付けされていれば、何があっても帰り着くことができる、そうすればまた英気を養えると思うからなのか。単に食いっぱぐれない安心感なのか。心理の根っこはよくわからない。わからないけど、乗り切れたという結果だけが残っています。
そんなわけで自分でも意味はわかりませんが、今晩もとりあえず明日のお弁当のおかずを仕込みました。それで動悸は穏やかに。んんん、これはとりあえず食は確保した安心感かも?
ますますなんだか意味不明ですけれど、これもセルフメンテナンスだということだけは確実。
とにもかくにも、明日、頑張ってきます。
そのためにも早う寝よ!