自分の半生を振り返る①
ASDとADHDを併発している発達障害当事者の結城凛と申します。
今回は発達障害当事者である私がどのような人生を送ってきたのか書いていこうと思います。
私が子どもの頃は"発達障害"という概念がなかったのですが、今振り返ると小さい頃から特性は出ていたかもなと思いました。
発達障害当事者といっても人によって性格も特性も様々なため、ほんの一例として見ていただけると嬉しいです。
また過去を詳細に書いた部分は念のため有料エリアとさせていただきます。
ご了承下さい🙇♀️💦
人生を振り返る
幼少期〜社会人までを振り返ってみます。
幼少期はあまり記憶がないので母から聞いた話を参考にしながら振り返ります。
幼少期
とにかく人見知りが凄い子どもだったと。
母や父方の祖母(遠方住み)にしか心を開かなかったとのこと。
近所の人に挨拶をされても母に隠れる感じで挨拶を返さない可愛くない子どもだったと聞かされました(笑)
ディズニーのパレードを見せたとき、他の子たちはミッキーと一緒に楽しそうに踊っているのに、私は地蔵のようにパレードをじっと見ていたとのこと。
母が「楽しかった?」と聞くと「楽しかった。」と言っていたけれど、傍目から見たら全然楽しそうじゃなかったらしい。
個人的にめちゃくちゃASDっぽいエピソードだなと思いました😅
小学校へ進学するにあたって母は私に思うことがあったのか就学前検査を受けさせたそうです。
しかし当時は発達障害という概念はなく、知的障害ではない=通級クラスだったので、私は通級クラスへ。
小学生時代
近所に男の子の幼なじみがいたので、ずっとその子と遊んでいました。女の子とは誘われたら遊ぶ感じ。女子特有のグループとかあまり理解していなかった(笑)
しかし小学3年生で転校。小学5年生まで友達がいない時期が続きますが、私は全く困っていませんでした。
休み時間は大好きな絵をひたすら描いていたし、給食は席が近い者同士で食べるからぼっち飯にはならない。体育などでたまに"好きな人同士で組んで〜"と言われて余っても何も思いませんでした。
友達いなくても困らなかったので1人でいた私に母は「あんたが自己中で性格悪いから友達が出来ないのよ!」と言ってきました。当時を振り返ると性格が悪いからというよりも社会性がなかったから出来なかったわけですが、この言葉は私のなかではずっと残っていました。
そんな友達いなくても困らなかった私にもついに困る事態が起こります。
それは小学4年生のときの林間学校で1泊2日のお泊まりをするとき。
部屋割りはもちろん好きな人同士。そして当然のように余った私は今で言うスクールカースト上位の女子グループと一緒になることに。
端的に言って地獄でした(笑)グループのリーダーを押し付けられたり、私1人置いてみんな何処かへ行ってしまったり。
私はようやく"友達を作らないと!"と焦るのでした(笑)
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