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「もう1度生きたい」韓国ドラマ「トンイ」の言葉


韓国ドラマ「トンイ」
全60話。

1回目、見たり見れなかったりで、
今回2回目は、1回目見れてなかったシーンをしっかり見てみようと。

同じものを2回以上見るのは時間が勿体ないくらいに思っていたけど、
1回、見ただけでは、よくわかってないと最近になって思った。

大体の流れはわかっても、台詞1つ1つの国語辞典的な意味だけでなく
その思いまでは、深く掴めない。
2回目は、ストーリーが分かっているからこそ、台詞や俳優さんの表情や、
背景や時間の流れを含めて、味わうことができるように思う。

そして、あ、こんな事言ってたんだと、
1回目には見逃していたものをキャッチできる。

2回目見て、心を掴まれた言葉。

「もう1度生きたいんです」という主人公トンイの言葉。

賎民と呼ばれた最も低い階級から王の側室まで登りつめたにも関わらず、
宮廷を離れることを決意。
そのまま、宮廷に残れば、不自由のない生活を送ることができるのに、
その生活を捨てて、宮廷から出ようと決め、
王様に引き留められても、彼女の気持ちは変わらなかった。
まぁ、この時だけではなくて、
トンイは、この時だけでなく、決めたら必ずやり遂げる女性なのだけど。

「宮廷から出るなんて許さない」という王様に対して
「もう1度生きたいんです。
「私は、賤民として生まれ、生きるために宮廷に入りました。
・・・・
父と兄のように、貧しい人を助けながら生きたい」と。

幼い時に、家族を失い、生きるか死ぬかという境遇から、
生きるための選択をしてきたトンイ。
今度は、貧しい人を助けながら生きると決意し、宮廷を出て
その決意通りに、生きていく。

生き方は、人それぞれだけど、
ただ楽をするという生き方、確かに楽でいいんだけど、
そう、楽っていい。楽なのがいいって思う。

でも

そこから充実感は生まれないと思う。
「楽する」から得られるのは、刹那的快楽。
だから、すぐに冷めて、消えて、
だから、また新しい「楽する」を追い求めていく。
そんな繰り返しをずーっと続けられない。
自分の身体の稜線の外にあるものは、
自分でコントロールし続けるのは不可能だから。

でも、自分で考えて決めて行動した結果は、
それが成功とか失敗とか他者からの評価は関係なく、
自分の中に自己効力感が生まれる。

それが、私は、「しあわせ」と思う。
私は、そう思う。

ほかの人のしあわせの価値観と違っていい。
自分のしあわせの価値観に、自分が生きればいい。

とにかく、生まれた。
そして、今、生きている。
私も確かに、生きるために生きてきた。
生き続けるために、自分の思いとは裏腹に、
自分を生きることができなかった日々。

そしてようやく自分を生きる機縁が揃った。
1日1日、毎分毎瞬、すべて自分に裁量権があるのが何より幸せだ。

これまでの人生で意図せずに経験してきた数々は
私が自分を生きるために手にした術
だと、今は解釈する。
これから先に、その解釈が拡がるように、深まるように、
そんな生き方をしたい。

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