m/M Ⅱ
今はどうなのか定かでないが、私の中学時代、吹奏楽部とは、女子の部活と言っても過言ではなかった。
三年間で、男子の出入りは多少あったものの、比率で言うなら、誤差の範囲というところだった。
紆余曲折あり、中学1年の6月中旬、私は吹奏楽部に入部した。
当然、中途入部である。
そして、男子は独り。
いや、顧問と二人か。
マウスピースからということはないだろうと思ってはいたが、楽譜と楽器を預けられるとは、考えもしていなかった。
男子には人気がなかった吹奏楽部だが、女子にとっては、ステータスということもないだろうが、一番部員が多い部活だった。
文芸部は無かったが、一通りの部活が拾っていて、それが珍しいことではない時代だった。
我が吹奏楽部は、他校と比べて、決して部員は多くなかったが、それでも60名は所属していて、コンクールのクラス分けでは、Bクラスという35人編成で出場していたのだ。
初心者の一年生は、ほとんど補欠という状況だ。
それはそうと、一通り部活の習わしを個人指導され、最初に覚えなければいけない曲が校歌だと知る。
何度かあった音楽の授業でも教えられていたので、そんなもんだろうと、思ったものだ。次に、応援歌。
第一から第六ぐらいまであっただろうか。
記憶は定かでないが、けっこう練習した覚えが、残響のように唇を震わす。
そして、コンクールの課題曲。
生まれて初めての、吹奏楽曲だ。
単なるマーチでもなく、単なるポップスでもなく、クラシックぽいのでもなかった。
課題曲「ムービング・オン」。
そうとう後で知ったことだが、課題曲の中ではあまり演奏されなかった曲で、確かに、その時代にしては、トランペットに結構な高音域があった。
正直言うと、「なんだ、これ?」であった。
カッコいいとも思わなかったし、スゲー!とも感じなかった。
ただただ、あんまり拍子がかわらないで欲しい・・・などと、個人練習で思っていた・・・。
しかし、それは贅沢な悩みであった。
初心者じゃないからといって、中途入部で、即合奏に参加させられる。
同学年女子部員と会話ができるようになったのは、三年生が引退した、その後であった。
そして、私がジャズを体験するのも、同じ頃となる。
マイナー男子/マジョリティー女子。